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人文系の美術史研究の人が書いてる美術本で哲学的で難しい
ゴッホについて解説してるYouTube腐るほどあるのに、ギュスターヴ・クールベとかはまじで少ない。本も少ないし
マティスもカンディンスキーも音楽に例えられるんだけど、音楽センス無いから、未だにこの説の意味がわかってない。
抽象画は、具象的な神の姿を消していくという意味で、ある種の神の否定とも読めるのかもしれないけど、それは単純な無神論というより、神を人物像としてではなく、線・色・構成・秩序として捉え直す試みでもあると思う。そう考えると、ヨーロッパで初めて同性婚を法制化した国がオランダであり、格子状の抽象画を描いたピエト・モンドリアンもまたオランダ人であることは、まったく無関係ではないように感じる。どちらにも、伝統的な宗教的権威や固定化された価値観から距離を取り、より抽象的で普遍的な秩序や自由を求める感覚が通底しているのではないかと思った。
マティスもカンディンスキーも法学を学んでた共通点がある。
モンドリアンもオランダ人
写実画なら分かって、抽象画は分からないという人が逆に分からない。ピカソとかは分かりやすい抽象画を描くけど、写実画カテゴリーのモナリザなんてとてもじゃないけど私には意味がわからない絵だな。
宮下 誠
(みやした まこと、1961年 - 2009年5月23日)は、日本の美術史家。専門は20世紀西洋美術史、美術史学史、画像解釈学、一般芸術学。パウル・クレー研究で知られる。東京都出身。
1985年 早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業
1988年 早稲田大学大学院文学研究科芸術学(美術史)専攻修士課程修了
1992年 バーゼル大学哲学部美術史学科大学院修士課程修了
1993年 バーゼル大学哲学部美術史学科大学院博士課程単位取得博士論文執筆資格取得退学
1994年 早稲田大学大学院文学研究科芸術学(美術史)専攻博士後期課程単位取得退学
1999年 別府大学大学院文学研究科文化財学専攻助教授
2000年 國學院大學文学部哲学科助教授
2006年 國學院大學文学部哲学科教授
2007年 バーゼル大学哲学部美術史学科大学院博士課程修了
2009年 5月23日に学会のため出張していた滞在先の京都のホテルで心不全のため死去
「 今なお、いわゆる抽象絵画を「何が描いてあるかわからない」というただそれだけの理由で拒否する人が決して少なくない。驚くべきことに、美大生や美術史を学ぼうとする学生たちにまでそういわれることがある。中には、抽象絵画はわからないから嫌い、なんで誰にでも描けるような、子供のいたずら書きのようなものを好き好んで見るのか全然わからない、となんとも単刀直入に断罪するものさえいる。 時代のせいにするつもりはないが、このような無理解の壁が次第に高く、堅固にさえなっているような気がしないでもない。なるほど、抽象絵画は卑近な事物も物語も描いていないように見える。また、確かになんらのメッセージもはらんでいない気の抜けた抽象絵画というものも残念ながら多く存在する。しかし、一方、私たちの思惟思考にかけがえのない認識を提供する抽象絵画も多く存在する。それどころか、具象/抽象の如何にかかわらず、 20世紀絵画はそれ以前の絵画が思いもしなかった無数の認識を伴っている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「芸術理解とは、詮ずるところ人間理解のことである。いうまでもない、当のその芸術を生み出したのはほかの誰でもない、我々のご同類だからである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「絵画の起源 別の例を見てみよう。 ティチアーノの通称『ウルビーノのヴィーナス』(一五三八年、図 7)のヴィーナスの左手は、かえって隠すべきものの所在を明白にしている。絵画とはセクシュアリティ発現のメカニズムでもある。 絵画とは欲望の表象である、と書いた。絵画とは戦場に旅立つ男の壁に映る影をその恋人の女がなぞったものだと言う良くできた話がある。その真偽は問うまでもないが、それでもなおここには絵画の欲望が理想的なかたちで表現されている。 影はオリジナルのコピーである。シルエットであるから、細部はわからぬが、影と言う痕跡がオリジナルとの正当な関係性を証している。オリジナルとの正当な関係性こそ絵画の目指すところのひとつであった。そしてそれが恋人の影であることは絵画がセクシュアルな欲望の表象であることを裏書する。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「見るものに驚きを与えること、感心させることである。この作品ほどに、見るものを強く意識しトリッキーな仕掛けを用意したものは西洋絵画史上においてもそう多くはないだろう。絵画は見られるために存在する。しかしわたしたちは普段そのことをあまり意識しない。あまりに当たり前だからだ。 しかし、絵画は見られるため、ひたすらそれだけのために存在することをわたしたちは忘れかけてはいないか? 認識番号を封蠟で留め、その撓みまで表現するヘイスブレヒツの『絵画の裏側』は、マースのカーテンを思わず開けようとする不注意な観者に、その絵の「表側」(「裏側」)を見るよう促すのだ。 そして現れた「表側」は実は本当の意味での「裏側」であることに気づくとき、観者は己の粗忽に気づくと同時に画家の伎倆の冴えに素直に感心するはずだ。絵画は人を「だまそう」とするものでもあり、そこに無上の喜びを見いだすものでもある。そして観者はその仕掛けに促され絵画とは何かを考えないだろうか? ヘイスブレヒツの裏側は絵画についての絵画、すなわちメタ絵画でもある。「絵画の自意識」はいよいよ明確に画家たちに「世界を所有せよ」と迫ってゆく。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
夭逝したクレーの研究者で海外における最新の研究成果を反映しより本質的で触知的な絵画史を描き出そうとされていた宮下誠さんの『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』を読んでいる。
新書判ながらモダニズム絵画はおろか絵画というメディア全般に渡る根源的な問題を提出しており、記述は濃密。
「わたしたちは今日、遠近法によって世界を見ることに慣らされているが、これまでの概観からも明らかなように、世界は何らかのシステムによって「見られ」ない限り、あまねく渾沌である。自分がどこにいるかさえ定かではない。中世絵画において神は絵画内部から世界を見ていた。だから人々は遠近法を必要としなかった。世界をそのように見るよう絵画によって要請されていたからである。世界はそうであるほかなかったのである。 遠近法とは神という「デウス・エクス・マーキナ(機械仕掛けの神/説明原理)」を見失った人間が、渾沌として際限なく拡がる世界を、人間のまなざしという新たな視点で一から解釈し直すための方法であり、ルネサンスの科学や技術の発展と完全に軌を一にしたものだったのである。つまり遠近法とは、新しい世界解釈のシステムだったのである。新たな王である人間が世界を渾沌から守るために生み出した、人間の視点から世界を説明可能なものと幻想しうるための切実な技術革新のたまものだったのである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「 別の例を挙げよう。わたしたちは絵画が四角いことになんの不思議も感じない。しかし私たちの生理的視覚は実は世界を楕円で見ている。ではなぜ絵画は概ね四角いのか? 絵画のはじまりのひとつは建築体への装飾である。建築体は四角い形で最も確実に安定する。窓の形状を見れば良い。「絵画とは窓だ」とは奇しくもルネサンスの建築家の言葉である。 私たちは窓によって、現代ならテレビの画面によって世界を四角く見るよう強制されているといっても過言ではない。だから世界の似姿である絵画もまた四角であることに不都合を感じないのだ。この場合「四角」とは世界の説明原理である。だから絵画とは言うまでもないことだが、およそ人工的な、世界解釈システムの「ひとつ」に過ぎないのである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「さらに時代が下り画家の主観が拡大するにつれ、作家自身の解釈(タイトルを付けた時点で画家はその作品の最初の「解釈者」となる)がタイトルとなる。曖昧模糊とした画面を意味論的に方向づけたり、寓意的内容を解明するものだったり、抽象絵画のように一見して何が描かれているのかがわからない作品の「解説」だったりと、タイトルの性格自体が多様化する。クレーの場合のようにタイトル自体が謎をはらみ、かえって作品の性格を多義的にするという方法や、「無題」という解釈の極北に作品を放り出してしまうタイトルなども生まれるようになる。 いずれにせよ、一見してわかる、ということが絵画作品の金科玉条では必ずしもなくなるとき、タイトルの、解釈としての能動性が格段に高くなることは間違いない。タイトルという「解釈」もまた神を相対化して行く過程の、近代の副産物なのである。附言するなら、美術史学、すなわち「美術作品」の言語化は印象派と同時代に確立され抽象絵画の誕生から現代に至るまでにその言説の精度を高め、過剰なまでの言説の生産を許してきた。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「 ラインハートはその「説明」として禅の思想を持ち出すかもしれない。禅とは思想であり観念である。観念に質量はないから三次元を二次元に抽象するよりもはるかに融通無碍である。一方、『モナリザ』は何が描かれているかは自明に見えるものの、私たちは「モナリザ」の手に触れることも、「モナリザ」と空間を共有することもできない。手に触れようとして私たちが触れるのは乾燥しひび割れた絵の具に過ぎない。『モナリザ』の描く世界はレオナルドによって、あるいはレオナルドの所属する時代と社会によって「世界の似姿」として認められたものに過ぎないのである。『モナリザ』と『黒に黒』は思いのほかに似ている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「もちろん、それでもなお「何が描かれているか」という基準で見る限り『モナリザ』は「わかる」し、『黒に黒』は「わからない」。しかしそれはどうやらレオナルドの所属する世界とわたしたちにとって常識的な世界とが『黒に黒』の示す世界に較べ、外見上(見かけの点で)比較的似ているからに「過ぎない」のではないか。なるほどそこには「モナリザ」が描かれているのだろう。しかし「モナリザ」とは誰か、レオナルドがこの絵によって何を言おうとしたのかは今もって謎である。主題がわからないのだ。その点で『黒に黒』と寸分も違わない。端的にそれは「わからない」のだ。『黒に黒』が私たちにとって『モナリザ』と違うのはだからその外観(「見た目」)に過ぎない。ラインハートの世界解釈システムが「見た目」とは違うところで機能しているからだ。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「しかし、このような記述がこの作品の何を説明しているだろうか? 全くとは言わないが、これではこの作品を見たときわたしたちが直観する尋常ならざる気配が全く伝わってこない。このような事態こそファン・ゴッホ作品の特質であり彼の作品が 20世紀絵画にもたらした貢献であり、呪いである。 まず背景の青い空。画面右の方の空を見てみよう。かなり幅の広い絵筆に絵の具をたっぷりしみ込ませ押し付けるように描いた短いストロークが、垂直水平に何本も並行して描かれている。絵筆を押し付けたときに生まれるストローク両端の絵の具の盛り上がりが鮮やかに浮き上がって見える。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「普通に考えれば未完成の下地か、あるいは先に描いたものが気にくわないために塗りつぶしたまま残されたものであろう。実際そのようなものだったのかもしれない。しかしこの部分はとりもなおさずファン・ゴッホが描き、今ある姿のままに残したものである。そうしてこの「場所」は特別なものとなる。ここには絵の具しかない。何かを描くために、何かを模倣するために、あるいはモネのように、ある現象を立ち上がらせるためにでさえもなく、ただそこにあるばかりである。実存的という言葉が浮かぶ。 そう、この場所にあるのは実存的なレベルに放り出された色彩であり絵の具なのである。 この、いわば絶対零度の色彩はそれゆえに不安である。不気味である。なまじ建物によって生み出される遠近感が深いだけに、それらをはるかに凌駕して見るものに文字通り迫ってくるこの「場所」は見るものを不安にさせる。不気味さの根拠はおそらく空の青と、暗黄色のこの「場所」の物質的(実存的)リアリティと、とってつけたような遠近感とが無媒介に接続されたために起こる視覚的幻惑、いわば眩暈のような感覚に観者が襲われるからだろう。 このような眩暈の感覚はアルル時代以降のファン・ゴッホの作品にしばしば見られるものである。同年の『種蒔く人』(図 30)の太陽や翌年に描かれた『星月夜』(図 31)の月などがその好例だろう。しかしこれらは太陽や月という主題をなぞったものであるがゆえに異常ではあってもそれほど不安な感じはしない。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「いずれファン・ゴッホは主観の拡大をよしとする人々によって徐々に受け入れられて行くことになるだろう。いやむしろひとびとはファン・ゴッホの描く世界によって主観の解放を知りつつあると言うべきかもしれない。おそらくはその両方ともが正しい。客観という名の古い神を見放したひとびとは新しい神を人間の内面に見いだそうとし始めたのである。 その点でファン・ゴッホは印象主義の画家たちが住む世界とは全く異なった世界の住人である。印象主義から多くを学んだとは言え、ファン・ゴッホの眼差しは外界よりはむしろ己の内面に向かっていたのである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「『タ・マテテ』(図 35)は第一次タヒチ時代の代表作の一つである。『オランピア』(図 24)を模写したことからもわかる通り、ゴーガンは、マネやセザンヌ同様、オールドマスターの傑作や同時代の絵画、あるいは過去の自作を好んで参照する画家でもあった。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「考えてみよう。ルネサンス以来、 19世紀半ば辺りまで、絵画とは遠近法というまことに良くできたトリックによって、三次元を二次元平面へと翻訳することを可能とした画期的システムのことである。ところがこのシステムは写真の発明、一神教的神の独裁に対する疑義、直線的進歩史観の失速などによって相対化されてしまう。ピカソが『アヴィニョン街の娘たち』を描く頃には、進歩的な画家たちの多くは遠近法に依存せずに二次元という現実に立ち向かう方法を模索していた。ピカソはうずくまる娘によって遠近法という嘘を媒介としないことで露呈する三次元と二次元の間に横たわる翻訳不可能性というアポリアを一気に解決したのである。三次元空間に存在する立方体を遠近法を使わずかつ二次元の現実に矛盾しないで描こうとするとき答えはおそらく一つしかない。立方体を展開図として描くことである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「『アヴィニョン街の娘たち』(図 42)をはじめて見たとき、ブラックは憤慨混乱したという。 セザンヌを信奉し、フォーヴィスムをこともなげに吸収した若きエリートは、ピカソのあまりに奔放で暴力的なイメージの逸脱に我慢ならなかったのであろう。調和を重んじるフランスのエスプリと、先へ先へと自己を追い立てるスペインの情熱との対立といえば話は俗に落ちるけれど、それでもなお、ブラックの戸惑いは当然といえば当然だった。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「しかしこのどこか稚拙に「描かれた釘」は更に別のことも教えてくれる。描かれた釘はあくまでも描かれた釘だということである。この「釘」はこの絵画を貫通しない。絵画はあくまで絵画であってそれ以上でも以下でもない。しかしだからこそ、それは現実の世界とは全く違う位相に絵画を置くことになる。ブラックは描こうと思えばはるかに巧妙に釘を模倣できたに違いない。しかしあえてそうすることを控え、「描かれた釘」を描いたのだ。ここにブラックの画家としての自負がある。それにしても、この絵画は美しい。ここには絵画だけが生み出しうる固有の美しさがむき出しのままに存在する。 キュビスムの実験を経て、ブラックは具象的絵画世界に「戻って」行く。それは退行では金輪際なく、キュビスムによって手に入れた叡知を携えての新しい具象表現探求の道行きであった。晩年のブラック作品は闊達でありながらすべてが収まるべきところに収まって、はなはだ構築的である。 20世紀具象表現最良の一ページがブラックによって生まれることになる。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「印象主義の画面を「まだ暗い」と惜しみ、原色の解放を高らかに歌い上げたマティス、フォーヴィスム期(一九〇八年以前の数年間)の作品群はその後の展開を充分予測させるものではあるが、もし、マティスがフォーヴにとどまっていたとしたら 20世紀絵画史は大きな損失を嘆いたことだろう。 歴史に「もし」などないのだから、筆者の心配など余計なお世話である。しかしそれでもなお、「もし」と書き急いだのはマティスを巡る理解が未だに「フォーヴの画家」からさほど遠いところにないことを残念に思うからだ。マティスにとってフォーヴィスム期の模索がその後の豊かな実りを保証したことは間違いないとしても、マティスはその後五〇年近くを画家として生きている。そもそもフォーヴィスムというレッテル自体お仕着せである以上、その標語をもって自分を代表されることに素直には喜べないだろう。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「モノクロームな線描の厳格さと沸き上がるような色彩の謳歌、人体に対する幾何学的な探求と生命そのものへの純粋な興味、画面の二次元的抽象化と具象的世界への素朴な信頼、これら相反する両極が和解へと収斂して行く過程で生まれる快い緊張感こそ、マティスの作品が音楽にたとえられるゆえんである。 絵画が抽象へと傾斜して行く中、マティスもまたその実験に加担し、見事な成果を生み出した。しかし、それらが硬直化せず、後のマティスに豊かな具象世界の創造を許したのは、この、矛盾するほかないように見える相反関係を、装飾という根源的欲求によってマティスが架橋しえたからこそなのである。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「カンディンスキーははじめ法学を学び、大学教員としてそのキャリアを築きはじめたものの、絵画への思い断ちがたく一八九六年、ミュンヒェンに移住、世紀末芸術の粋を身近に経験しつつ、そこに偏在する装飾的ないし形式的様式展開をいわば外国人として、と同時に「遅れてきた西欧人」として受容して行く。 当時のミュンヒェンはドイツにおける芸術の一大中心地であり、地理的にもパリの動向をいち早く知ることができた上、世紀末象徴主義とフランス印象主義、更にはドイツ・ロマン主義的風景画の伝統と、バイエルン特有の比較的明るい宗教性(カトリック的)、農村文化特有の素朴な自然観、宗教観を背景にもつ風景画の伝統がいわばアマルガム(混成的)に存在した。古いものと新しいものが肯定的な雰囲気の中に同居していたのだ。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「抽象絵画を「何が描かれているかがわからないもの」と仮定してみよう。であるとするなら、抽象絵画で「ある」『コンポジション V』を「何が描かれているかがわかる」絵画として記述することの背後にはどこか不自然なイデオロギーが介在しているように感じられる。それはおそらく「芸術とはわからなければならないものだ」という、モダニズム絵画観から見れば逆説的な芸術観である。わからないものをわからないままに放置しておくことに我慢ならない世界観といっても良い。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「マティス同様、クレーもまた、閉塞するヨーロッパ的自我意識からの離脱を目指して、南へと赴いた。一九一四年、第一次世界大戦前夜のことだ。彼が向かったのは古代地中海文化の精華カルタゴ市の記憶を孕んだ北アフリカはチュニジアである。 スイス、ベルン近郊に生まれたクレーは、幼少より絵画的才能を発揮し、特にカリカチュアの才に優れていた。スイスというヨーロッパの精神的辺境に生まれ、母(その家系にオリエントの血が流れているとも言われている)をスイス人、父をドイツ人に持つという、生まれながらの「中間者」は自分を取り囲む「世界」に早くから疑いの目を向ける。音楽と絵画という二つの芸術に己の進む道を長く逡巡したことも「中間者」クレーらしい。 ギムナジウム卒業後、ミュンヒェンに出て画家としての基礎教育を受ける。二三歳で裕福な家庭に育ったピアニスト、リリーと婚約、徹頭徹尾現実主義者であったクレーは生活のたつきを求めて挿し絵画家を目指したが、当時のミュンヒェンにあっても辛辣過ぎるクレーの線描画を受け入れる出版社は容易に見つからなかった。同時期にベルンで制作された一連のエッチング『インヴェンション』(図 48)はミュンヒェン、ベルンに共通する本音と建前の二面性、保守主義の老獪、そのような社会になかなか受け入れられないクレー自身の屈託を鋭い線描と、もはや完成されたといって良い古典主義的対象描写によって余すところなく表現したものであった。クレー自身この作品群を作品一として、その画業の出発点としている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「最後に幾らか感慨めいたことを書いておこう。本書全体の骨格にもかかわることなので読者にもじっくり考えていただきたい。ピカソはヨーロッパの周縁によってヨーロッパ絵画を救済しようとした。その成果の一つが『アヴィニョン街の娘たち』(図 42)であったことは間違いない。ここに抽象絵画(アヴァンギャルド)の道行きはほぼ決定されたと考えて良い。しかしピカソはまさにその絵画が「何が描かれているか」がわからないものになること(分析的キュビスム)を恐れその作品に文字を導入し、ものそのものをコラージュし、壁紙や新聞を貼り付けた(総合的キュビスム)。そして二〇年代には具象の世界に戻って行くことになる。ここには具象と抽象の根源的な関係を引き出すヒントがあるのではないか?」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「オランダに生まれ、おそらく厳格に過ぎるカルヴァン派教徒だった家庭に育ち、干拓によって極めて人工的に整備されたアムステルダムで教育を受け、神智学に傾倒し、不純なもの、不定形なものを嫌って、パリ、ロンドン、ニューヨークへとその住まいを変えて行ったモンドリアンの作品は、具象から抽象への展開が他のどの作家よりもいわば合目的的である。 一九一一年から一九一四年にかけて滞在したパリでキュビスムに熱中し、それ以前の神智学に影響された象徴的図式的画風から一転して、急速に抽象絵画への道を辿りはじめる。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「 筆者もかつてモンドリアンのそれらの作品を森鴎外の都市方眼図になぞらえたことがある。神を相対化した人間が、神という説明原理をもちいないで世界を前に立ったとき、遠近法が精神史的に基礎付けられたとすれば、モンドリアンのグリッドは、神を見放した人間が画家の眼差しという一点から世界を仮の姿として提示する遠近法の独裁をも拒否し、主観の拡大に身を任せ多様でありながら幾分混乱した世界観の乱立を結果したことを受け、改めて世界のありようを整理し直したものである、と。 筆者の考えかたは今でも以上の通りだ。それが結局はモンドリアンの主観に解消されるものであることは間違いないが、グリッドには絵画世界を縦横デジタルの絵画面に翻訳する際の模範的解答を見る思いがする。二つの世界大戦という未曾有のカタストロフは価値観の混乱、統一的世界観の崩壊を引き起こしたが、その時代を大都市から大都市へと駆け抜けたモンドリアンのグリッド絵画には、そのようなとてつもない混乱を生理的に拒否し、たった一人で瓦礫を整理し新しい世界を組み立てて行くことに倦むことを知らぬ偉大なるドン・キホーテの足跡が刻印されている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「抽象表現主義の代表的作家の一人ジャクソン・ポロックについては、掛け値なしに独創的な絵画を生み出したアメリカ初の画家との評価が画家の生前からあって、そのためポロック作品については無数の言説が生産されてきた。 巨大なカンヴァスを床に置き、絵筆から滴る粘度の低い絵の具を「カウ・ボーイの投げ縄」よろしく激しい身振りで画面にぶちまける「ドロッピング」。その身振りは、画家をイーゼルから解放し、後のアクションやハプニングをさえ用意したといわれる(「アクションペインティング」)。主題(対象)と背景の前後関係を前提としてそれまでのあらゆる絵画に存在し、キュビスムでさえ超えようとはしなかった絵画面四隅の空白を消した「オールオーヴァー」。これらのカタカナ言葉は日本での抽象表現主義理解においてもそのまま、横文字として受け入れられカタカナのまま定着した。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「抽象表現主義の代表的作家の一人ジャクソン・ポロックについては、掛け値なしに独創的な絵画を生み出したアメリカ初の画家との評価が画家の生前からあって、そのためポロック作品については無数の言説が生産されてきた。 巨大なカンヴァスを床に置き、絵筆から滴る粘度の低い絵の具を「カウ・ボーイの投げ縄」よろしく激しい身振りで画面にぶちまける「ドロッピング」。その身振りは、画家をイーゼルから解放し、後のアクションやハプニングをさえ用意したといわれる(「アクションペインティング」)。主題(対象)と背景の前後関係を前提としてそれまでのあらゆる絵画に存在し、キュビスムでさえ超えようとはしなかった絵画面四隅の空白を消した「オールオーヴァー」。これらのカタカナ言葉は日本での抽象表現主義理解においてもそのまま、横文字として受け入れられカタカナのまま定着した。 若い頃からのアルコール依存は、極度の緊張を強いたと思われる描画行為によって加速され、また、抽象と具象の狭間で揺れ動く心の葛藤は、ついに事故とも自殺ともとれる自動車事故によって四四歳の画家の命を奪う。このような劇的な生涯ゆえ、その半生は映画のモティーフになるなど、いわばアメリカ文化の偶像にさえなった。 しかしこのような言説の過剰によってポロック作品の、絵画としての特性が見失われてはならない。ニューヨークのアート・スチューデント・リーグで学んだポロックは、キュビスムや抽象など、第二次世界大戦以前のヨーロッパ絵画の前衛たちの作品に学び、また大戦中アメリカに亡命してきたヨーロッパの芸術家たち、とりわけシュルレアリスムの作家、画家たちのもたらした深層心理の絵画的解明にも深い影響を受けている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「クリムト、ココシュカ、シーレ。この三者の作品はついに抽象絵画とは無縁であった。しかし、三者三様の具象表現の多様性は、抽象の専制へとシフトチェンジしつつある同時代の美術の動きとの創造的対決の熾烈を物語っているだろう。彼らに共通する肉体への触覚的愛着は抽象を肯じ得なかった。しかしだからこそ、彼らの具象表現は現代に通じ、改めてその可能性が取りざたされているのだ。わたしたちは今日、旧東独の解体による旧東独美術の西側への解放とその衝撃に対し幾らかの距離をとれるようになったが、その創造的源泉の一つとしてのクリムト、ココシュカ、シーレの新しいパラダイムによる読み直しは未だ今後の課題として残されている。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「ピカソもまた、黒人彫刻に近代合理主義が見失ってしまった根源的諸力に対する畏怖の念を読み取っていたふし無きにしもあらずとは言え、しかしそれは人類学者が高みから研究対象を観察するような冷酷さに裏打ちされていた。ブリュッケのメンバーにとっても、その黒人彫刻への思い入れは実態に対する理解に支えられているものではなく、西欧の倦み疲れた状況からの避難所としての未開文化への無責任な憧れに起因するものであったことは論を俟たないが、ピカソのような探求の対象では少なくともなかった。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「わたくしたちが絵画を見るとき、わたくしたちは絵画に見つめられてもいる。絵画は鏡である。これは比喩ではない。見つめ返すのは自分自身のダブルである。その自己が自己自身によって不信に晒されるとき、わたくしたちはわたくし自身のダブル(鏡像)に脅かされ、そして疎外される。わたくしたちが成長して行く段階で、わたくしたちは己の他者性(ラカンによる「鏡像段階」。鏡に映るわたくしの視認像とわたくし自身の知覚する身体の一致を巡る葛藤)を克服し、一個の統一体としてのアイデンティティが形成されるが、幼児期の分裂した自己は、わたくしたちを常に「他者」として脅かす。普段は意識されることのないこの自己同一性にまつわる不安が鏡像としての絵画によって引き起こされる。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著
「表現主義や抽象にとってその生成発展のエネルギーは、時代が動いていること、である。時代が変わりつつあれば、絵画の世界がちょっとばかり尋常ではなくとも、「世界の渾沌を描いているのだ」、といわれれば、「ああそうだね、君も頑張っているね」、と鷹揚に答えてくれる環境が比較的生まれやすい。しかし「とりあえず戦争も終わって良かったね、でも明日のご飯をどうしましょ?」、という時代に、絵画が一人で渾沌していてもそっぽを向かれるだけだろう。それよりは「今の時代をせめて肯定的に捉える心のゆとりが欲しいじゃないか」、となる。保守的為政者にとって、「抽象絵画」はユダヤ性、或いは共産主義と容易に結びつき忌避される。一方、絵画を戦後も購入しうるような経済力を温存している「芸術愛好家たち」の多くは「具象絵画」のわかりやすさに惹かれることが多いだろう。画商たちはその期待に応えるほかないし、画家たちも画商に見放されたくはないだろう。一方、「抽象絵画」を扱う画商たちの多くはユダヤ人であった。彼らは次第に仕事がしにくくなり、ごく緩やかにではあるがマーケットを新大陸アメリカに移して行く。これが戦後の「抽象表現主義」の誕生をいわば側生的に準備する。具象絵画はそのような状況を梃子に二〇年代再び勢力を盛り返す。」
—『20世紀絵画~モダニズム美術史を問い直す~ (光文社新書)』宮下 誠著