作品一覧 2019/09/20更新 現代の肖像 天野篤 試し読み フォロー 現代の肖像 市川孝典 試し読み フォロー ことばを写す 鬼海弘雄対話集 試し読み フォロー 誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 試し読み フォロー 1~4件目 / 4件<<<1・・・・・・・・・>>> 鬼海弘雄の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 鬼海弘雄 もらいものだが、「エッセイ+写真かー、あんまり合わないな―、気が向いたら読むか」と思っていたのだがちょっと読み始めると止まらなくなってしまった。 それほど、写真家がついでに文章書いてみた、というレベルではないほどの読み応えがある文章。 写真自体も文章中では「写真なんて誰でも撮れる」的なことを書いてい...続きを読むるのだが、どうやったらこんなん撮れんのというものばかり。モノクロってやっぱり特別な力持ってるなぁ。 この人の他の本や写真集も買ってみたい。 Posted by ブクログ 誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 鬼海弘雄 魚を突くモリのことを「ヤス」と呼び、家の陰辺りから突然出現してちょろちょろっとすぐ隠れてしまうトカゲやヤモリのことを「カナチョロ」と言う。 著者の、数十年前の日本や現代のインド、昭和から今に至る下町や自宅の茶の間までという極めて広範囲な時間と空間に跨る回想と写真作品は、見過ごされがちな者たちや、愛...続きを読むされるべき者たちや、場合によっては蔑まれ虐げられている者たちへの慈愛に満ちた視線を感じさせるものばかりだ。 『誰をも少し好きになる日』というタイトルは、本書を貫くテイストを絶妙に表していて実にいい。 それに加えて、冒頭の「ヤス」と「カナチョロ」は、この本の書き手であり、写真の写し手である鬼海さんと私との共通の故郷である山形の、しかもかなり庶民的な地言葉で、それだけでも私個人としてはジンと来るものがある。 本書最大の圧巻は、「一番多く写真を撮らせてもらったひと」と題した一編の文と一連の肖像写真である。 本文によると、鬼海さんは実に22年に渡って浅草の同じ場所でほぼ同じポーズで、その「お姐さん」の無数の肖像写真を撮り続けた。その場所に行けばお姐さんに逢える、同じポーズで写真を撮らせてくれる。ズラリと並べられたお姐さんの写真を見た大抵の読み手は圧倒されるだろう。他の題材を撮った作品同様、写し手の濁りのない慈愛に満ちた眼差しを感じさせるのはこの一連のお姐さんの写真も同様である。 ただ、お姐さんがいつも立っていたのは浅草六区の交差点の所で、彼女はいわゆる「たちんぼ」だった。それがどういう職業というか生業であるのかを理解できない向きも多かろう。だが、著者の偏見のない撮り方書き方と矛盾しないように詳しく説明するのは難しい。 初めてのときにすでに50代か60代であったと思われるお姐さんが、その後も20年以上「立ち」続けていたというのは驚くべきことだ。 檀一雄の代表作『火宅の人』の中に、戦後すぐぐらいのパリで、当時日本国内では「パンパン」と蔑称された生業のある女性が、貧しい絵描きや留学生達を同胞として「おばちゃんの世話にならなかった者はいない」と言われるほど面倒をみた話が出てくる。そのおばちゃんが亡くなった冬の日、世話になった連中が集まってペール・ラシェーズの墓地に葬るとき、貧しい者揃いの彼らは供える花さえ買えず、ほうれん草の葉っぱを花の代わりに棺にいっぱい入れた、という場面がある。 浅草のお姐さんも、亡くなった後、道行く人たちの多くがお姐さんの「立って」いた場所に花を手向けた。下町の人々の如何なる存在にも共に生きる同胞として注ぐ慈愛は、インドの辺境や古の山形の片田舎にならかつてあったが、今はノスタルジーの対象でしかないのかもしれない。 改めて圧巻の写真群を眺めてみると、20年に渡る「お姐さん」の表情は一貫して、乾いた実はどこか内に秘めたものは見せまいとする笑顔とも無表情とも、どちらともとり得る顔をしている。 その一連の顔の陰に、写真の撮し手さえもついに名を知り得なかった「お姐さん」の、内面に秘めた荒野を見てしまうのは私だけであろうか。 Posted by ブクログ 誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 鬼海弘雄 一番印象に残ったのは、たくさん衣装を持ったお姐さんこと「浅草のジェルソミーナ」、そして番外編として再び登場する「一番多く写真を撮らせてもらったひと」のさくらさんだ。 浅草寺の境内にある歌碑の近くに一人佇む年老いた娼婦を、なんと20年以上も同じ構図、同じ場所、同じ光で撮りつづけ、短いセンテンスを繋げて...続きを読む淡々と書かれた文章には、侮蔑やいやらしさや好奇の目線が全く感じられず、むしろやさしさを感じる。 最後に言葉を交わした(熱い缶コーヒーをカイロ代わりに2本差し入れした)冬の寒い日から、路上に誂えた小さな祭壇に手を合わせる数日までの動揺ぶりが、単に被写体としての存在以上の想いが滲み出ていて、鬼海さんが抱き続ける「人間とは何だろう」という問いかけがこちらにも伝わってくる。 Posted by ブクログ ことばを写す 鬼海弘雄対話集 鬼海弘雄 / 山岡淳一郎 きかい ひろおと読むのね。 好きだわ、この人の写真。 モノクロームで外国が多いけど子ども、風景、 他の写真も観たくなった。 対談相手の山田太一目当てで読んだけど、思わぬ拾いもの。 Posted by ブクログ ことばを写す 鬼海弘雄対話集 鬼海弘雄 / 山岡淳一郎 タイトルを見て即買い。 内容も実に示唆に富んで面白い一冊だった。 対談相手もトップバッターが山田太一、締めが池澤夏樹。それだけでも読みたいと思えた本だった。 鬼海氏の作品は「PERSONA」が雑誌などで取り上げられ、その一部を目にしている程度。写真集を通してじっくり眺めたことはなかった。近々...続きを読む拝見しようと思う。 その「PERSOAN」も印象的なキャプションが付いているのが面白いなと思っていたが(写真そのものは、あまり好きたタイプじゃないけど)、その妙味がどのように培われて来たか、氏の思考、指向を知るには絶好の対談集。 タイトルにもあるように、鬼海氏が本書で写し取っているのは「ことば」だ。「ことば」のメッセージ性や、アートに対する姿勢、思想を、カメラを使わずに人との会話の中で切り取っていくような、実にスリリングな対話の応酬だった。 期待していた山田太一、池澤夏樹ら鬼海さんと世代の近い人たちとの対談よりも(それはそれで含蓄に富んで面白かったが)、道尾秀介、堀江敏幸ら若手との会話が良かったなあ。世代が違っても、生き生きと会話が弾むのは素晴らしい。 写真とは、フィクションとは、アートとは・・・ 様々なテーマを「ことば」の達人たちと縦横無尽に語りつくす。そして浮かび上がらせるのは、氏がモチーフとする「人間」そのものだ。 「人間っておもしろいもので、よしっ見てやろうと居直るとその場所にいられるんですよ。一方的にいじめられても、鎌首をもたげて見ていたら、呼吸しやすくなる。」 ほんと、人間って面白い。その面白さを映し出せるか否かは、撮る(見る)側の感性、心のフィルター、心のフィルムの質や感度も大事なんだな。 被写体(対談相手)の良さをどこまで引き出せるかは、こちらの感性のセンサーの解像度に関わる。 己の感性を高めないとね!! Posted by ブクログ 鬼海弘雄のレビューをもっと見る