清水知子の作品一覧
「清水知子」の「知識人の責任」「ディズニーと動物 ――王国の魔法をとく」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「清水知子」の「知識人の責任」「ディズニーと動物 ――王国の魔法をとく」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
ウォルトディズニーと聞いて、思い浮かぶのはミッキーマウスだが、オズワルドや、ダンボ、バンビなどのディズニー作品を、実際に観た生徒は少ない。
そんな著者の経験から、ウォルトディズニーがなぜアニメーションを通じて表現をしようとしたのかを、時代背景とともに考察し、ディズニー以後の世界がどう変わっていったかを書いた本である。
ディズニーの作品を単純にエンターテイメントとして消費していた私にとって、戦争と結びつくディズニーは想像できなかった。
また、ディズニーが動物を忠実に描くことで生じる「不自然な矛盾」、
すなわち、音楽と動物の動きを連動させることで、音楽以外の「ノイズ」を消し去ったり、グロテスクな描写を含めた野生的な森を描くのではなく、見栄えが良くなるために「形を整える」ことで、フレームの中へ閉じ込めたことを始めたのも、ディズニーからであることは知らなかった。
今では、ミッキーマウスはディズニーであることのトレードマークであり、映画作品においては、いわゆる1つの「信頼の証」のようになっている。
わかりやすいテーマ性、勧善懲悪の物語。そして、切り取られた自然。
素直に楽しむことは良いことであるが、この本の最後でも書かれているとおり、
『人間と動物という関係性の中で、安易な解釈をしないで、物語を通じて「問い直す」ことが、逆に人間とは何かを問い直すきっかけとなる』という言葉は、ディズニー映画に足を運ぶ際には、頭の片隅においておくべきであると感じた。
ドッグイヤーだらけになる程、読み応えのある一冊でした。
しかしながら、20世紀の哲学史に関して、ある程度知識があった方が、もっと楽しめるのではないかとも感じましたので、勉強し直してきます。
Posted by ブクログ
「借金を負わされた者」、「メディアに繋ぎとめられた者」、「セキュリティに縛りつけられた者」、「代表された者」。危機が生みだした主体形象とされる、この4つ。
様々な困難な状況にある人と1対1でじっくり話すとき、この4つがいつも頭からはなれない。私もあなたも、ここにはまりこんでいるんですよと。
だからネグリとハートは言う。「借金をひっくり返せ」「真理を作り出せ」「逃走し、自由になれ」「自らを構成せよ」と。
2010年暮れのチュニジアに始まる一連の社会的闘争は、まさに「自らを構成し」、憲法を制定する「構成的権力」を握る民主主義の闘争であった。エジプトがそうであるように、紆余曲折が今後もあろう。しかし、議会制民主主義に閉じ込められて窒息寸前な「民主主義」と比べて、マルチチュードが発揮するそのダイナミズムには圧倒される。
さて、翻って日本では、旧左翼からいわば「逆コース」的な巻き返しを恨む声も聞こえる。しかし、ここでこそ、民主主義を議会制民主主義の呪縛から救いだしてやることが課題ではないのか。議会制民主主義を民主主義の一つのモメントとして落としこんでやること。小さくてもそこかしこで、すでにその実践は始まっているのではないか。
Posted by ブクログ
p.27 「絵をうごす」ではなく「動きを描き出す」こと。動いていたはずのものが途端にただの絵となって静止すること、あるいは消去されてしまうこと。時空を超えて動くものとそれによるナラトロジー。これこそ、過去を呼び起こし、生命のないものに生命を与える魔法として、アニメーションの多くの観客を惹きつけてきた魅力だと考えられてきた。
p.108 イタリアの思想家ジョルジョ・アガンペンは、人間が自ら他の動物と区別して認識するメカニズムを「人間学機械」といった。
p.226 EPCOTの構想にはディズニーランドを手がけたウォルトならではの独創的な特徴がある。ディズニーランドでは、テーマパークの世界観に関係ない裏側の仕掛けはゲストの目に触れないようにバックヤードに覆い隠す配慮がなされれいる。環境を完全にコントロールすることで、テーマパークとして一つの世界観を貫くためだ。ここでいうコントロールは、中心部の気候の制御であり、そして、また人々の出入りの制限だった。
p.274 こうしてプリンセスは目覚ましい変貌を遂げていく。そしてプリンセスが変われば、王子も代わり、自然も変わる。プリンセスの変化は、「女らしさ」の更新のみならず、こじれた「男らしさ」を浮き彫りにし、西欧の男性中心的、人間中心的な物語世界そのもの地殻変動を引き起こした。その変化の背後には、新自由主義/ポストフォーディズム社会に適応する柔軟な主体の要請と労働の女性化がある。
p.280 アリエルにとって「人間になる」ということは、互いに異なる「文明」と「野蛮」のシステムを受け入れ、かつて人魚であった記憶を人間の女として身体をとどめながら、身体を変容させ、脱自然化をしていくことだった。
Posted by ブクログ
知識人の責任
著:ノーム・チョムスキー
訳:清水 知子
訳:浅見 克彦
合衆国が、既得権益保護のために世界規模の反革命運動の指導者になったことを本書は嘆いている。
ベトナム戦争のみならず、南米においても、第2のベトナム戦争を展開しようとしていることもだ
気になったのは以下です。
■知識人と学校についての考察
権力と権力を合理的に行使しようとするために忠義を尽くそうとしている、アメリカの知識人について、率先して、その政策の実行を支援していることについて恐ろしいと語っている。
アメリアのそれら知識人を批判するとともに、啓蒙と自らを導いていくための指針をもとめてさまようことになるだろうとしている。
■知識人の責任
・戦争への加担、擁護の責任
・真実を語り、嘘を暴く責任
・事態を歴史的観点からとらえず、偽善的道徳の文脈のなかに位置づけない場合
・懐疑の欠如
・苦しみや悲惨を完全に無視する態度
・責任ある批判
・専門家に対する崇拝は、自己利益になるとともに、同時に詐欺的なものである
・知識人の責任は、基本的な関心にむけられなければならない
・民主主義の制度を築き上げることによって新しい社会に成長しうるのかどうか
・まとまった軍隊の使用はそれ自体としては非合法なものである
■抵抗について
・徴兵拒否、税金の不払い
・反対から、抵抗へ
・アメリカ人であることを恥じる
・直接行動 デモへの参加、演説
・反対運動と、抵抗運動は二者択一ではなく、相互に補強し合っていくべき運動だ
・効果的な政治運動 破壊行為は、中産階級を動かし得ない
・批判活動への代償の過小評価、政府を過小評価している
■普遍的知識人
・真実の暴露による倫理的批判が、しばしば人々によって受け流されて空回りに終わる
・知っている者の言説が、知らない者を動かすという関係が機能不全に陥っている
・過度に道徳を追求する、ひとりよがりのエリート主義
・エリートは同じ穴のむじな
・おのおの知識人が引き受けるべき専門的領域ではなく、市民共同体をめぐる言動にむけられるかが問題である
・サルトルのいう、権力者の知識人観
・虚偽をふりまく政府の宣伝と、それを後押しするマスコミによって、誤った事実認識と判断が人々に浸透してしまう
・知らされていない大衆、わかっていない大衆
・情報操作によって現実認識を誘導され、政府の政策に受容するように仕向けられる
・真実をしらされても、それだけでは、批判の意識と行動への傾かない受け手という理解を対置する
・問題なのは、さまざまな個別分野にたずさわる知識階層が、相互に他の分野との関係と統一を考慮し、知的営為全体の総合的な一体性を確保することができなくなっていることだ
・知識のエリートですら、互いの専門的の知のシステムの統一的な理解を持ちえない現状で、大衆に理解を求めることが可能であるのあるのか。
・大衆からは、専門的な知識と判断は、素人の良心や倫理によって足蹴にできるようなものではないはずだ。
■知識人の十字路
・政治論や、イデオロギー批判のような専門的知識や技術はかならずしも必要ない
・バーチャル知識人 正義と数理がかみ合っているシステム論的な思想として持ち上げらえれることの特異さ
・伝統的知識人から、有機的知識人へ
・すべての人が、知識人、情報労働者であるようなメディア社会やポスト産業社会では、有名性によって言説を行使する知識人とは別のモデルが登場してくる
・特定領域の知識人とは、もはや真理や正義の所有者ではない
・正義の知識人
■不服従
・現場の映画撮影
・時間と空間を共有する作品、記述
・爆撃を模した音声
・ネット配信へ
・市民的不服従
・ハト派知識人への厳しい批判
目次
第1部 知識人の責任 ノーム・チョムスキー
第1章 知識人と学校についての考察 清水知子 訳
第2章 知識人の責任 浅見克彦 訳
第3章 抵抗について 野々村文宏 訳
第4章 「抵抗について」の補遺 野々村文宏 訳
第2部 「知識人」という文体
第1章 普遍的知識人の現在 浅見克彦
第2章 チョムスキー、知識人の十字路 上野俊哉
第3章 音の不服従、映像の不服従 野々村文宏
訳者あとがき 浅見克彦
ISBN:9784787210371
出版社:青弓社
判型:4-6
ページ数:240ページ
定価:2600円(本体)
2006年01月21日