天野祐吉さんが亡くなられたことを、迂闊にも知らないでいた。
今朝の朝刊で読んだこの本の書評で知り、慌てて書店に走った。
本人の意向で葬儀は行わなかったということだが、亡くなられたのが2013年10月20日。出版が2013年11月20日であるからこの一冊は天野さんが私たちに遺した遺言に他ならない。
...続きを読む天野さんは書かれたもの、語った言葉、TVに映った姿のすべてがすっきり筋が通っていて、しかも静かで品のある方だった。
生前何度か話された「贅沢は素敵だ」のエピソードのことを、私はおりに触れ思い出す。
「贅沢は敵だ」というのはあまりに有名な戦時下の国民を戒める標語だが、街に張り出されたそのポスターの「贅沢は」と「敵だ」の間にたった一文字落書きしただけで、国民が一人残らず狂気に取り憑かれてしまっていたあの時代の状況を笑い倒してしまっているかのようだ。
当時、笑いごとではなく命がけだったかもしれないユーモアの主とそれに注目した若き日の天野さんの眼は、まさしく時代の
真の底流を見抜いていたのだと感服する。
受け取る側にとっては、今という時代の底を見抜くための貴重な遺言のように大袈裟に受け取ってしまうのだが、書き手の天野さんは「思いつくままの雑感です」と、いつもどおり飄然としておられる。
その雑感は、初売りの福袋に何千人もが行列を作る昨今の珍現象を「答えは簡単で『買うものがないから』です。『ほしいいものが見つからないから』です。でも『何かが買いたいから』なんですね」と喝破する。
ここ何年間かお正月のニュースをみるたびに自分の感覚では全く理解不能なこの福袋の大行列に「いったいなにが嬉しくてならんでるんだろう」と疑問に思うばかりだった私などは、目から鱗が何枚も剥がれ落ちるような痛快な「雑感」である。
天野さんが創始したと言っていい広告批評がまさしく対象とする広告のことを、「広告なんてすべてまがい物」とも書かれている。だが、同時に「平和憲法も世界に向けての広告」だと言い切ってしまう。実に明快かつ痛快だ。
世の多くの人同様に凡人の私は、どんなに難しい本を一生懸命読んでも、グローバリズムって何なのか、その本当の意味は何なのかちっともわからないでいる。たぶん10年以上気になっているのだが解らないままでいる。
それが、本書のなかでは、80年代までの高度成長を維持するための大量生産と大量消費の行き詰まりを指摘した上で、
「グローバリズムというのは、その行き止まりをこわすために、地球上をぜんぶ一つの市場にしてしまうことのようです。大量生産のはけ口を、途上国に求めているということですが、これもいずれは行きづまるのが目に見えています」
と、腑にオチすぎる明快さで語ってくれています。
この天野さんご自身がいう雑感を、私は今を生きこれから生きて行く自分に遺して下さった貴重な遺言であると勝手に受け止めさせていただきます。生涯それを忘れたくないです。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。