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松田 忠徳(まつだただのり)
1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇る遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。
温泉に入ると病気にならない (PHP新書)
by 松田 忠徳
温泉の湯煙は単なる湯気ではありません。そこには硫黄やラジウムなどの成分も含まれており、だからこそ家庭の風呂や銭湯とはちがう濃い湯煙になるのです。 ですから温泉の効能というのは、肌から吸収されるだけではなく、成分を含んだ湯気を吸い込んでも得られるわけです。塩素を使った循環風呂では、その効果は得られないばかりか、むしろ害になってしまいます。濃厚な塩素ガスが充満しては危険なため、換気扇をつけて外に出しているのです。
「温泉は湧出直後には物理・化学・生物学的に不安定な状態にあるが、活性の高い強い作用をもっている。これを私は温泉の処女性と表現したい。これは温泉を利用するうえでもっとも必要なことだったが、この活性、処女性は、湧出後数時間にして消滅してしまう。これを温泉の老化現象という」 地下から湧き出したばかりの温泉には、さまざまな成分が含まれ、強い活性があります。こうした温泉こそが、私たちに多大な恩恵を与えてくれます。そのことを、西川義方氏は「温泉の処女性」という言葉で表現しました。湧き立ての湯につかり、その効能をじっくり享受する。それが湯治の本質であることは、これまでも述べてきました。 西洋医学一辺倒の最近の医学者たちとは違い、西川義方博士は温泉を真に愛していただけでなく、理解もしていました。温泉を産湯に生まれ育った私の温泉に対する〝直感〟と相通じるものがあるため、勝手に西川博士を〝私の師〟として敬愛し、今日にいたっています。
温泉が何に効くかは、もうみなさんは理解されていますよね。西洋医学の対症療法としての個別の症状に効くというよりは、私たちの生きる力、つまりウイルス、がん細胞などとたたかうための自然治癒力を高め、その効力を引き出すものです。 温泉が、人間が本来備えている病気にならない力、病気に 克つ力である自然治癒力を高められるのは、その生物学的活性度にあります。人工温泉では生命力をもっていませんから、効力が弱いのです。多分に気分なのです。
中原英臣・岡田奈緒子著『医療破綻──漂流する患者、疲弊する医者』(PHP研究所) は、国の医療費抑制政策が医療破綻を招いているとする趣旨の本ですが、「温泉を予防医学に」と主張している私は、医師から西洋医学が万能でないことを正直に語られている記述に興味をもちました。自然治癒力と薬の関係を知るうえで理解しやすく語られていますので、紹介しておこうと思います。
大っぴらには口にできないのですが、じつは現代医学で治療不可能とされている病が、湯治で回復できる見込みがあることを密かに信じているお医者さんは少なくないのです。末期がんで西洋医学から見放された患者さんが、秋田県の玉川温泉に最後の望みを託すという話などはその証の一つにちがいありません。
さらに、文字どおり「気持ちがいい」という状態は脳内神経伝達物質のセロトニンをよく分泌させ、幸福感を抱かせるということが最近の脳研究で明らかになっています。長野県地獄谷の露天風呂につかっているニホンザルの幸せそうな表情を見ていると、温泉がヒトを幸福にすることが類推できそうですね。 東京工業大学の武者利光名誉教授は、脳波を分析して「ストレス感」「喜び」「悲しみ」「リラックス感」の四つの感情状態を数値で示す感性スペクトラム分析法を開発しました。家庭風呂や水道水で加水した温泉より、湧き立ての温泉を浴びたほうがリラックス度が増加することを確認できたと報告しています。 一方、温泉を飲むことも、味わうということの一つです。飲泉は胃腸や肝臓の働きに直接的な効力があります。仮に不純物や毒素が消化器系から入ってきたとしても、肝臓などが解毒してくれます。
いまやみなさんの頭の中は、温泉経営者よりはるかに温泉に関する知識であふれていることでしょう。良心的な経営者はいつも、いかに質の高い湯を提供するかに腐心していますが、規模の大きな宿の経営者の多くは、いかに満室にするかで頭の中はいっぱいなのです。自分の宿の風呂はめったに見たことがない経営者もめずらしくはないのです。
つまり、温泉浴によって自律神経系、ホルモン系、免疫系などの乱れが修復されていくのです。この入浴が三週間も続くと、生体は慣れてしまい反応しなくなることがわかっています。ヨーロッパでは四週間といわれています。日本人は一日当たりの入浴回数が多いため早く反応しなくなります。ヨーロッパでは週末の入浴を控えるのが一般的だからです。 現代医学がこのことを実証していますが、私たちの先人は江戸時代から〝経験温泉学的〟にこのことを体で理解しており、三、四週間で湯治を打ち切り、数カ月から半年後にふたたび湯治に行くのが習わしでした。
おもしろおかしく温泉場で遊ぶだけでしたら、どうぞ〝循環風呂〟や〝塩素泉〟にどっぷりとつかってください。温泉は地球が丸ごと沸かしてくれた、私たちの体と心にやさしい特効薬なのです。賢明なみなさんは、その使い方、利用方法を勘違いしないでくださいね。儲け主義の経営者のワナにはまらないでください。 少し回り道をしましたが、目的意識がはっきりしたら、欲張って数多く入ればいいというものでもないなぁということが想像できますね。このようなイマジネーションが大切なのです。〝五感〟という言葉がありますが、現代人はもっぱら視覚しか使っていません。空想力、想像力を働かせるために温泉浴で五感を取り戻しましょう。
これもくりかえしになりますが、湯上がり直後には、冷たい飲み物をがぶがぶ飲まないこと。体内から急激に体温を下げることになり、免疫力の強化につながりません。もしのどが渇いたのでしたら、温かいもの、常温のものを飲んでください。 私にいわせれば、そもそものどがからからになるような入浴法はまちがっているのです。むしろ入浴前に常温の水分を取ってください。
江戸中期の一七三八(元文三) 年に出版された香川修徳の『一本堂薬選』続編は、日本で最初の温泉医学書であり、温泉論でもありました。 日本人の温泉との本格的なかかわりは治療学から始まっています。戦後は西洋医学一辺倒の日本ですが、一方で温泉に対する国民的関心は衰えるどころかますます強くなっています。大都市で続々と誕生する温泉入浴施設、温泉つきマンションなども、そうした欲求の表れと見ていいのかもしれませんね。
六十年の人生のなかで、幸運なことに病院で一泊(笑) もしたことがありません。 温泉旅館にはいまでも一年の半分近くは泊めさせていただいているのですが──。 病院にもめったに行きません。病院嫌いなのではなく、行く必要がないだけなのです。 私にとっての病院は、たまぁ~にビタミン剤の点滴を受ける〝息抜きの場〟なのです。これはほんとうです。
モンゴルの医学界では、予防医学を伝統医学、対症療法を西洋医学と役割分担していて、伝統医学部卒の医者のほうが給与が高いのが実情です。予防にお金をかけるほうが医療費が少なくてすむという〝健康的〟な発想がその根幹にあるからにちがいありません。 私は目下、モンゴル国立健康科学大学(旧医科大学) 大学院博士課程で、伝統医学としての温泉医学を学んでいます。温泉文化とモンゴル学を専門としていた私は、日本固有の湯治文化に魅了され、これに西洋医学の光を当てることにより、温泉はふたたび私たち日本人にとってはもちろん、アジアの、世界の宝になりうるのではないかと考えたわけです。