松田忠徳の作品一覧
「松田忠徳」の「おとなの温泉旅行術」「温泉教授の温泉ゼミナール」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「松田忠徳」の「おとなの温泉旅行術」「温泉教授の温泉ゼミナール」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
温泉教養がギッシリ詰まった、温泉好きには堪らない一冊。
ー目次ー
1章 温泉とは何か
2章 温泉が持つ健康効果
3章 温泉の歴史
4章 温泉の文化
5章 温泉とビジネス
6章 温泉の作法
温泉本というと、大抵は内容の半分くらいが作者オススメの温泉地紹介で観光ガイドブック的な色彩が強い…
一方この本は温泉地紹介は殆どなく、
温泉教養ギッシリ。温泉通向けの温泉本となっている。
特に面白かったのは1章、3章、5章。
1章は温泉用語(源泉掛け流しと循環、低張泉と高張泉、塩素消毒など)を解説。
成分表に出てくる謎の用語を一気に知る事ができ、非常にスッキリした。
3章は温泉の歴史を解説。
仏教の水で身を清める教えが日本では温泉と結びつき、寺院が積極的に温泉開発を行ったそう。確かに歴史ある温泉地って行基とか空海に縁のある所ばっかり。
5章は有名温泉地(熱海、別府、由布院など…)の観光戦略を紹介していく。
温泉地によって団体客向け、個人客向け、富裕層向け…とマーケティングがバラバラなのが面白い。
Posted by ブクログ
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松田 忠徳(まつだただのり)
1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇る遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。
温泉に入ると病気にならない (PHP新書)
by 松田 忠徳
温泉の湯煙は単なる湯気ではありません。そこには硫黄やラジウムなどの成分も含まれており、だからこそ家庭の風呂や銭湯とはちがう濃い湯煙になるのです。 ですから温泉の効能というのは、肌から吸収されるだけではなく、成分を含んだ湯気を吸い込んでも得られるわけです。塩素を使った循環風呂では、その効果は得られないばかりか、むしろ害になってしまいます。濃厚な塩素ガスが充満しては危険なため、換気扇をつけて外に出しているのです。
「温泉は湧出直後には物理・化学・生物学的に不安定な状態にあるが、活性の高い強い作用をもっている。これを私は温泉の処女性と表現したい。これは温泉を利用するうえでもっとも必要なことだったが、この活性、処女性は、湧出後数時間にして消滅してしまう。これを温泉の老化現象という」 地下から湧き出したばかりの温泉には、さまざまな成分が含まれ、強い活性があります。こうした温泉こそが、私たちに多大な恩恵を与えてくれます。そのことを、西川義方氏は「温泉の処女性」という言葉で表現しました。湧き立ての湯につかり、その効能をじっくり享受する。それが湯治の本質であることは、これまでも述べてきました。 西洋医学一辺倒の最近の医学者たちとは違い、西川義方博士は温泉を真に愛していただけでなく、理解もしていました。温泉を産湯に生まれ育った私の温泉に対する〝直感〟と相通じるものがあるため、勝手に西川博士を〝私の師〟として敬愛し、今日にいたっています。
温泉が何に効くかは、もうみなさんは理解されていますよね。西洋医学の対症療法としての個別の症状に効くというよりは、私たちの生きる力、つまりウイルス、がん細胞などとたたかうための自然治癒力を高め、その効力を引き出すものです。 温泉が、人間が本来備えている病気にならない力、病気に 克つ力である自然治癒力を高められるのは、その生物学的活性度にあります。人工温泉では生命力をもっていませんから、効力が弱いのです。多分に気分なのです。
中原英臣・岡田奈緒子著『医療破綻──漂流する患者、疲弊する医者』(PHP研究所) は、国の医療費抑制政策が医療破綻を招いているとする趣旨の本ですが、「温泉を予防医学に」と主張している私は、医師から西洋医学が万能でないことを正直に語られている記述に興味をもちました。自然治癒力と薬の関係を知るうえで理解しやすく語られていますので、紹介しておこうと思います。
大っぴらには口にできないのですが、じつは現代医学で治療不可能とされている病が、湯治で回復できる見込みがあることを密かに信じているお医者さんは少なくないのです。末期がんで西洋医学から見放された患者さんが、秋田県の玉川温泉に最後の望みを託すという話などはその証の一つにちがいありません。
さらに、文字どおり「気持ちがいい」という状態は脳内神経伝達物質のセロトニンをよく分泌させ、幸福感を抱かせるということが最近の脳研究で明らかになっています。長野県地獄谷の露天風呂につかっているニホンザルの幸せそうな表情を見ていると、温泉がヒトを幸福にすることが類推できそうですね。 東京工業大学の武者利光名誉教授は、脳波を分析して「ストレス感」「喜び」「悲しみ」「リラックス感」の四つの感情状態を数値で示す感性スペクトラム分析法を開発しました。家庭風呂や水道水で加水した温泉より、湧き立ての温泉を浴びたほうがリラックス度が増加することを確認できたと報告しています。 一方、温泉を飲むことも、味わうということの一つです。飲泉は胃腸や肝臓の働きに直接的な効力があります。仮に不純物や毒素が消化器系から入ってきたとしても、肝臓などが解毒してくれます。
いまやみなさんの頭の中は、温泉経営者よりはるかに温泉に関する知識であふれていることでしょう。良心的な経営者はいつも、いかに質の高い湯を提供するかに腐心していますが、規模の大きな宿の経営者の多くは、いかに満室にするかで頭の中はいっぱいなのです。自分の宿の風呂はめったに見たことがない経営者もめずらしくはないのです。
つまり、温泉浴によって自律神経系、ホルモン系、免疫系などの乱れが修復されていくのです。この入浴が三週間も続くと、生体は慣れてしまい反応しなくなることがわかっています。ヨーロッパでは四週間といわれています。日本人は一日当たりの入浴回数が多いため早く反応しなくなります。ヨーロッパでは週末の入浴を控えるのが一般的だからです。 現代医学がこのことを実証していますが、私たちの先人は江戸時代から〝経験温泉学的〟にこのことを体で理解しており、三、四週間で湯治を打ち切り、数カ月から半年後にふたたび湯治に行くのが習わしでした。
おもしろおかしく温泉場で遊ぶだけでしたら、どうぞ〝循環風呂〟や〝塩素泉〟にどっぷりとつかってください。温泉は地球が丸ごと沸かしてくれた、私たちの体と心にやさしい特効薬なのです。賢明なみなさんは、その使い方、利用方法を勘違いしないでくださいね。儲け主義の経営者のワナにはまらないでください。 少し回り道をしましたが、目的意識がはっきりしたら、欲張って数多く入ればいいというものでもないなぁということが想像できますね。このようなイマジネーションが大切なのです。〝五感〟という言葉がありますが、現代人はもっぱら視覚しか使っていません。空想力、想像力を働かせるために温泉浴で五感を取り戻しましょう。
これもくりかえしになりますが、湯上がり直後には、冷たい飲み物をがぶがぶ飲まないこと。体内から急激に体温を下げることになり、免疫力の強化につながりません。もしのどが渇いたのでしたら、温かいもの、常温のものを飲んでください。 私にいわせれば、そもそものどがからからになるような入浴法はまちがっているのです。むしろ入浴前に常温の水分を取ってください。
江戸中期の一七三八(元文三) 年に出版された香川修徳の『一本堂薬選』続編は、日本で最初の温泉医学書であり、温泉論でもありました。 日本人の温泉との本格的なかかわりは治療学から始まっています。戦後は西洋医学一辺倒の日本ですが、一方で温泉に対する国民的関心は衰えるどころかますます強くなっています。大都市で続々と誕生する温泉入浴施設、温泉つきマンションなども、そうした欲求の表れと見ていいのかもしれませんね。
六十年の人生のなかで、幸運なことに病院で一泊(笑) もしたことがありません。 温泉旅館にはいまでも一年の半分近くは泊めさせていただいているのですが──。 病院にもめったに行きません。病院嫌いなのではなく、行く必要がないだけなのです。 私にとっての病院は、たまぁ~にビタミン剤の点滴を受ける〝息抜きの場〟なのです。これはほんとうです。
モンゴルの医学界では、予防医学を伝統医学、対症療法を西洋医学と役割分担していて、伝統医学部卒の医者のほうが給与が高いのが実情です。予防にお金をかけるほうが医療費が少なくてすむという〝健康的〟な発想がその根幹にあるからにちがいありません。 私は目下、モンゴル国立健康科学大学(旧医科大学) 大学院博士課程で、伝統医学としての温泉医学を学んでいます。温泉文化とモンゴル学を専門としていた私は、日本固有の湯治文化に魅了され、これに西洋医学の光を当てることにより、温泉はふたたび私たち日本人にとってはもちろん、アジアの、世界の宝になりうるのではないかと考えたわけです。
Posted by ブクログ
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松田 忠徳(まつだただのり)
1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇る遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。
温泉教授の温泉ゼミナール (光文社新書)
by 松田 忠徳
われわれはこれだけ科学が発達しても、現代医学によって完全には癒されないものがあることを知っている。薬だけでは〝安らぎ〟が得られないことをよく知っている。この不安定極まりない時代に、心身の癒しや安らぎをわれわれは温泉に求めるのである。このことは特に二〇代、三〇代の若い世代に顕著だ。温泉は日本人にとって有史以来、癒しや安らぎを求める人びとの駆け込み寺的役割を果たしてきたともいえる。
私は本書の中で温泉に対する〝幻想〟〝常識〟をこっぱみじんに打ち砕くことから始めたい。それはわが国で唯一の温泉学教授として私が大学で教えている「温泉文化論」に深く係わることだ。真の温泉を守り育てるためには、われわれ世界一温泉を愛してやまない日本人が温泉の現状をしっかり認識しなければならないからだ。
だが、日本人の温泉信仰は金になるのである。「温泉分析書」付きの天然温泉のお墨付きさえ手に入れば、たとえ本来の温泉とは似て非なるものであっても、大概の日本人は納得するから楽なものだ。東京郊外に、湯河原の温泉をタンクローリーで運んできた温泉浴場があり、繁盛している。「温泉法」は現在では残念なことにザル法に近く、この場合でも名門湯河原温泉のブランド付きの温泉分析書を堂々と掲げることができるのである。
こうしたなりふりかまわない市町村間の公共温泉バトルの直接的な犠牲者は、地元でしか名の知られていない一軒宿の零細温泉や一〇軒前後の中小規模の温泉街である。秋田県の例でみてみよう。県北の鶴の湯、黒湯など魅力的な秘湯から成る乳頭温泉郷や八幡平の 後生 掛 温泉、玉川温泉など、全国ブランドの温泉は下界、つまり市街地での公共温泉ブームの影響はそうない。県内客は減っても関東をはじめ全国から集客する魅力(その最たるものはホンモノの温泉なのである)を持っているからだ。
秋田県内の複数の公共温泉の支配人が私にこう語ったものである。「秋田は民間の力が弱いので官がやらなければ何もできない」。時代錯誤もはなはだしい。こと温泉に限っていえば、秋田県には昭和五九年からの秘湯ブームをリードした黒湯温泉をはじめ、女性に根強い人気の鶴の湯温泉、都会からの湯治客の掘り起こしに成功している後生掛温泉、末期がんの進行を止めると爆発的な人気の玉川温泉、この他にも秋の宮温泉郷、 小安峡 温泉などがある。現代人の心を捉えた全国ブランドの個性的な温泉が秋田ほど多い県は他にないということを行政マンたちは知らないのだろうか。そうだとしたら勉強不足もはなはだしい。
熊本県の阿蘇地方は古くからわが国でも有数の温泉地帯として知られる。 南 小国 町には平成に入って全国約二九〇〇の温泉地の中で一人勝ちを続けている黒川温泉という人気絶頂の温泉もある。 ところが阿蘇外輪山の麓の町村に公共温泉がどんどん誕生し、ここでも久木野のように村内にふたつもの豪華な公共温泉を有する自治体まで現われ、地獄、 垂 玉 など古くからの有名な阿蘇山中の温泉ばかりか、山麓の熊本随一の温泉街、内牧温泉にも打撃を与えている。市町村営の温泉は阿蘇の麓から熊本市の平野部全域に及び、施設が豪華で料金が安いこうした温泉施設に県民は流れている。
ここで循環風呂の仕組みについて簡単に触れておきたい。まず循環風呂とは同じ温泉を何度も、時には一カ月以上も取り替えずに使用するものをいう。後で改めて説明するが、温泉は「生きもの」である。湯上がりの時に飲む生ビールをイメージしていただきたい。ジョッキに注がれた泡立ったビールをそのまま放置しておくと泡が消え、炭酸が逃げ、ビール本来の持ち味が失われる。温泉もこの生ビールと同じだと考えていただきたい。時間が経過するにつれて温泉は劣化する。温泉は生きものだから鮮度が命なのである。常に新鮮な湯が注ぎ込まれない風呂がどういうものなのか、ましてや一週間に一、二度しか換水しないものが温泉といえるはずがないのである。
なるほど、有名な温泉地の近代的なホテルや町場の公共温泉の風呂には白い浮遊物――つまり「湯の花(湯華)」が漂っていることはまずない。濾過・循環風呂が大半だから、髪の毛一本残さずにもののみごとに濾過し、透明にしてしまうのである。 かつて日本人は湯の花を有り難がったものだ。特別温泉好きでなくても、身体に効く成分の濃い温泉として高く評価したものなのだ。むしろ透明な温泉こそ「温泉じゃない。川水を沸かしたものか」と疑われたのである。
有馬温泉のような赤錆色の温泉も最近、見かける機会が減っている。温泉の数は年々増えているにもかかわらず、赤錆色の鉄泉は反比例的に激減しているのだ。「手ぬぐいを汚す」と不評なため濾過しているからなのだ。もちろん濾過した以上は風呂は循環である。殺菌のため大量に混入された塩素によって温泉が化学変化を起こすため、「温泉分析書」に掲示されている成分内容とは異質の温泉になっている可能性が大きいことはすでに触れた。
われわれ日本人の多くはもう温泉のプロとは言えなくなってしまっているので、温泉の知識を高めなければ、まともにやっている山間の〝正統派の温泉〟(〝正しい温泉〟といってもいい)をわれわれの無知のせいで殺しかねないところまできていると、私は本気で心配している。湯の花が大量に生じやすい硫化水素泉、硫黄泉、鉄泉などの「にごり湯」は温泉と見なされない日が遠からず来るのではないかとすら思える。本来、こうした温泉こそが〝効く〟温泉であるにもかかわらずである。
日本で正しい温泉が最も残されていた東北でも平成に入ってからの公共温泉建設ブームで、温泉の劣悪化が懸念される。「悪貨は良貨を駆逐する――グレシャムの法則」という言葉がある。温泉の世界でも然り。
湯の花が浴槽に浮遊していて、「掃除していない。温泉でない」との苦情が出て、良心的温泉経営者を困惑させていることはすでに触れたとおりである。こうした温泉を持つ経営者こそ、しっかり掃除しているのである。この種の温泉は一日でも掃除の手抜きをすると洗い場の床が滑って危険極まりないため、きちんと掃除をしているのが常だ。また硫化水素泉、硫黄泉のように湯の花を出しやすい温泉こそ、殺菌作用に優れ、菌の心配はさらさらないことも付け加えておこう。
ではホンモノの温泉の良心的経営者はなぜ、風呂の湯口から温泉を少ししか出さないのか? 何も温泉をけちっているわけではない。温泉には恵まれているのである。むしろホンモノの温泉を私たち利用者に提供したいと陰で努力している姿の現れなのである。温泉は単に温かい水ではない。水道水を沸かした家庭風呂と温泉の決定的な違いは温泉に含まれている成分であることは、遺伝子的に温泉のプロである日本人は知っているはずだ。後でも触れるが、少なくとも昭和初期までは温泉場は病気を治す所であったからだ。
日本人にとって温泉とは心の湯あみの場であった。そんな温泉のことをわれわれは忘れていなかっただろうか。 温泉が飲めること、つまり飲泉も忘れてはならない。こちらも〝温泉力〟のバロメーターのひとつである。 ヨーロッパでは、「温泉=飲むもの」というくらい飲泉がさかんである。様々なミネラルが含まれた温泉を飲むことは、温泉療法にとって欠かすことができない。 もちろん飲泉が可能であるには新鮮な湧き立ての温泉でなくてはならない。循環風呂などの死んだ温泉は飲むことはできない。
〝温泉力〟のある温泉に出合うには「生きた温泉と死んだ温泉」の違いを知る必要がある。温泉もれっきとした「生き物」だからである。繰り返しになるが、ジョッキにつがれた生ビールを想像していただきたい。飲まずに放置しておくと、泡が消え、炭酸ガスが逃げ出してしまう。実は温泉もこの生ビールと同じようなものと考えていただいてもいいだろう。
ではこうした赤錆びの湯に〝温泉力〟がないかというと、そうではない。むしろ濾過して水道水のように無色透明にし、塩素をたっぷり混入した循環風呂の温泉のほうがはるかに劣る。同じ温泉を何度も循環すればするほど空気に触れ、老化が進行するからだ。温泉は一般に三日間でただの水になると言われているのである。
直入は人口僅か三〇〇〇人の山村だが、わが国では珍しく高温の炭酸泉が湧出していて、〝飲泉文化〟を核としたユニークな地域おこしを行なっている。いま触れたようにヨーロッパでは、「温泉は飲む野菜だ」といわれている。温泉にはナトリウム、カルシウム、鉄などの無機質が相当に含まれているため、飲めば野菜を食べたのと同じ効果があるからだ。入浴により温泉成分を皮膚から浸透させ、飲泉により消化器管から吸収させることで温泉の効果を上げることができる。
もちろん飲泉のできる温泉は新鮮でなければならない。無色透明に見える循環風呂の温泉は死んでいるので飲むことはできない。直入町では、鮮度一〇〇パーセントの温泉こそが真の温泉であることを、町長をはじめ町民がこぞって知っているのである。そのため町営の温泉施設「御前湯」は最近オープンした公共施設としては珍しく、水を一滴も加えない源泉一〇〇パーセントの温泉を流しっ放しで使用している。
西の別府温泉、東の熱海、北海道ならば 洞爺湖温泉。これら日本を代表する有名温泉地は、旅行といえば団体旅行だった時代に、施設の大型化が飛躍的に進んだ。
城崎に泊まると、無料で外湯に入ることができる。日帰り客でも入浴料を払えば、もちろん入ることができる。温泉情緒を味わえる外湯巡りは、現在の城崎にとっても依然大きな魅力である。旅館の内湯を楽しみ、さらに最大七つの外湯を楽しめるのだから。 しかしこの発想は、本末転倒である。香川修徳が「本邦最第一」と称え、藤波剛一博士が「海内第一泉」と絶賛した城崎温泉とは、他ならぬこの外湯のことなのである。「一の湯」をはじめとする外湯こそが、城崎温泉なのである。
熱海、別府などかつて多くの観光客を集めた有名温泉地が、大衆の支持を失おうとしている今だからこそ、私はこの点を指摘したい。昭和四〇年代には、その時代の要請が確かにあったことだろう。その時代の人々がその要請に真摯に応えようとしたことは理解できる。しかし今、平成の日本人が求めている温泉とは何だろうか。平成の今に生きる温泉関係者に、今ふたたび真摯に考えてもらいたいのである。
一方秋田県には現在有名になりすぎ、半年先まで予約が取れなくなった「玉川温泉」がある。末期がんに効果があるという口コミが広がり、予約が取れないと分かっていても車で湯治に来る人が絶えない。病院から不治を宣告された人が、駐車場に止めた車で寝泊まりしながら湯治を続けている。これはかつての湯治の姿そのものである。高価な薬石を使えなかった庶民が、最後の望みをかけ親戚中から金を借り、病人には辛い湯治の旅に出たのである。旅の途中に倒れる人も多く、やっとの思いで辿り着いても湯治場で力尽きる人も多かった。だからこそ湯治場は、神仏と結びついていたのである。病を癒す場であったとともに、人が厳かな死を迎える場でもあったのだ。
成分表のところで私は、政府や自治体のチェック機能が働いていないことを指摘した。私はむやみに権力的にやることがよいとは思わない。しかし私たちは、温泉を利用する際「入湯税」というものを徴収されているのである。税を支払っている以上、応分のサービスを受ける権利があるのではないだろうか。応分のサービスとはこの場合、正しい情報を受けることも含まれるのではないだろうか。もちろん表示と違う実態があるのならば、ぜひ利用者に知らせてほしいものである。
今度は過去一年間に行った温泉でどこがよかったか、そしてその理由は何かという設問を見てみる。すると「自然環境」「温泉情緒」の数字は減り、「温泉そのもの」が一・五倍に増えているのである。つまり実際に行ってみると、印象に残るのはお湯そのものなのだ。日本人のDNAに刷り込まれた、温泉を感じる力は確実に残っていると言える。やはり日本人は、ホンモノの温泉によって癒されるのである。
近年大型の温泉地が苦戦を強いられるなか、かつて秘湯といわれた温泉が確実に支持を伸ばしてきている。いまではその理由は、先ほどのアンケートなどからも明らかである。これらの温泉は、高度成長の時代に有名温泉地がひたすら拡大化を進め、全国の旅行代理店が送り込む大量の客を捌いているとき、ただひたすらじっと耐えていたのである。じっと耐えながら、古くからの温泉を守ってきたのである。
しかしそんななか、湯布院は異色の存在であった。湯布院は隣に東の熱海に対する西の横綱格であった別府温泉を控え、常にその圧力を受け続けてきた。その中でいまは伝説となった「亀の井別荘」の 中 谷 健 太郎、「由布院 玉の湯」の 溝口 薫 平 の両氏をリーダーとし、明らかにそのアンチテーゼとして、街作りを進めてきた。拡大指向に対する小型化、没個性化に対する個性的な宿作り、ホテル内への客の囲い込みに対する街作り指向などである。湯布院はこの二人のリーダーを中心に、明確なヴィジョンをもって大型温泉地に対抗してきたのである。
別府や熱海が拡大の一途を進んだ時期は、高度成長で日本経済が急速に伸びた時代であった。その一線で働く男たちがストレス発散のために来る場所が、温泉地だった。つまり温泉というのは昭和四〇年代までは、完全に男の世界だったのである。その時代に湯布院は、ネオンのない、女性が一人で来られる温泉を目指したのだ。
さらに湯布院は当時の大型温泉地の常識からすると、まったく異質なものを持ち込もうとしていた。文化である。映画祭などの文化イベントを展開することにより、湯布院は東京などの文化人のなかに多くのファンを作っていったのである。これはそれまでの温泉地のイメージとは明らかに一線を画す、新しい発想だった。そうしたことを一つひとつものにしてきたことにより、湯布院の今日のイメージが作り上げられていったのである。
しかしいま、湯布院も大きな壁に突き当たっている。おそらく現在の湯布院全体の売上は、微減である。別府・熱海をはじめ全国の有名温泉地が凋落し、かつて街のシンボルだった老舗大型ホテルや旅館が廃業や倒産に追い込まれている現状からすると、微減ならまだ勝ち組と言えるだろう。女性からはいまだに行ってみたい温泉地人気ナンバーワンとして支持されている。しかしそうした評判や売上の面からだけでは見えない、壁が立ちはだかっている。それは成功したがゆえの苦しみとも言えるだろう。
*黒川温泉の成功 湯布院から南へ下り熊本との県境を越えた辺りに、現在全国から注目されつつある温泉地がある。黒川温泉である。最近になって東京のテレビ局でもかなり紹介されるようになってきたが、まだ東日本では湯布院ほどの知名度は得ていない。しかし二四軒の湯宿しかないこの地に、年間およそ九〇万人の観光客が訪れている。現在最も活気に溢れ、支持されている温泉地と言っていいだろう。数字で示すならば、あのバブルの最盛期に比べても、平成十二年度の入湯税は二倍に伸びているのである。
私が列島縦断の旅に挑戦していた一九九八年、九州のどこに行っても黒川温泉の名前を聞かないことはなかった。当時すでに、それほどの注目の的であった。黒川温泉の第一印象を一言で言うなら、田舎の 鄙びた温泉地である。湯布院のような文化的な雰囲気はない。街にも宿にも木が多いが、どれも銘木というのではない、いわば雑木である。道端や土手にきれいな花が植えられているということもない。あったとしてもそれは雑草である。いわば何の変哲もない田舎の風景なのである。
ここ数年毎年売上を更新している黒川温泉には、苦境に立たされている全国の温泉地からの視察が訪れている。今年も加賀のある有名温泉地から、女将さんたちのグループが視察に訪れた。いずれも名旅館といわれる一流旅館の女将である。彼女たちの反応は極めて冷ややかなものだったようだ。なによ、文化もなにもないただの田舎の旅館じゃないの、というわけである。それでお引き取り願うのならば、黒川からすればしめたものである。彼女らに私が代わって言うならば、ではあなた方はこのただの田舎が作れますか、なぜここにこれだけの人が集まっているのか分かるのですか、ということである。黒川の現在の姿は、あるがままのものではない。この日本の原風景とも言…
黒川温泉の成功の秘密は、第一章で繰り返し述べてきた全国の温泉地が抱える病理をすべてクリアしていることに尽きる。それらのすべて逆を実践しているのが、黒川温泉なのである。湯布院が独特の街作りで成功し、全国から観光客を集めていた昭和五〇年代、黒川温泉はただ一軒の宿を除きまったく閑古鳥の鳴く温泉地だった。その一軒の宿とは、二〇〇一年に四年連続で「読者が選んだ温泉宿大賞」(昭文社)の九州第一位に輝いた「山の宿 新 明 館」である。現在黒川は新明館の主人 後藤 哲也 氏を中心…
彼は帰ると早速当時自慢だった庭木を全部抜き、広葉樹の雑木に植え替えた。と同時にこれは自分の宿だけでやっていたのでは、大した効果が得られないということに思い至った。それからは旅館組合の席はもちろん、若手の経営者を捕まえては「木を植えろ」と声をかけてきた。九州の山も多くは経済性を追求した針葉樹、つまり杉の森である。その中にあって黒川温泉の周囲のみは豊かな広葉樹が広がっている。広葉樹は春には新芽をふき、夏には若葉が広がり、秋には紅葉する。いま黒川の四季は、後藤氏とともに森作りに取り組んだ若手経営者の努力が実り、これらの広葉樹が見事に彩っている。
黒川が取り組んできた宿作り、町作りについてばかり書いてきたが、なんといっても黒川温泉の最大の魅力は温泉である。黒川は別府や湯布院に匹敵する、高温で豊かな湯量を誇る温泉が自噴している。しかも二四軒の湯宿がすべて自家泉源をもっているのだ。二四軒二四湯である。さらに現在すべての宿には、内湯と露天風呂がある。かつてすべての宿に露天風呂を造ろうという話になったとき、露天風呂を造る土地のない宿が二、三軒出た。それらの宿には他の宿がバックアップして、露天風呂を新設したのである。いかに街中で一致団結とはいえ、ここまでやった例は他に聞いたことがない。
街のあちこちで、写真を撮り合う若いカップルを見かける。思わず写真を撮りたくなる風景が多いのである。私は黒川の露天風呂を見て回ったときに、やはり同じ気持ちにとらわれた。もちろん私は旅行作家という仕事柄写真を撮るのであるが、仕事を離れても思わず写真を撮りたくなる魅力的な露天風呂が多いのだ。多くは後藤氏のアドバイスによるものであるという。先ほどの木の植え方といい、風呂のデザインといい、やはり独特の感性を持った人のようである。
黒川温泉に一つマイナス点を指摘するなら、全体的に土地が狭いことである。現在各宿にある露天風呂も、広々とした眺望はいっさいない。いずれも周囲は雑木で囲まれている。川に面した露天風呂もあるのだが、そこも木を植え川が見えないようにしてある。こうした設計が、実は後藤イズムである。後藤氏は、やすらぎや癒しの時代にあっては露天風呂から眺められる眺望は不要だと断言する。そうではなくて、周りをさえぎりお湯に集中できる造りにすべきだというのだ。私はこの言葉には少なからぬショックを受けた。これまで考えたこともない発想だったからだ。たしかに余計な要素を除き、お湯に集中できることが黒川温泉の大きな特徴でもあり、魅力にもなっているのだ。天才的な発想と言うべきだろう。
急激にその存在が知られ、いまやブランド力を付けようとしている黒川温泉には、やはり外部資本の手が伸びてきている。ごく最近にも温泉付き別荘を分譲しようとする開発業者があったようだ。ところが先ほど指摘した土地の狭さが幸いして、断念したようである。しかし資本の論理は強力である。黒川の評価が高まるほどに、ビジネスチャンスを求めてくる業者は増えてくるだろう。その点について後藤氏に水を向けると、それが一番よくないことだと言葉に力を込める。彼らはわれわれが考える街作りには協力してくれないし、景気が悪くなればさっさと引き上げる、でもここにはよその人が買う土地がないのだから大丈夫でしょうと、笑った。
さらに早川の上流に上がると、 奈良 田 温泉「白根館」がある。奈良田はつい最近まで陸の孤島と呼ばれ、独特の風俗や方言がのこる民俗学の宝庫であった。宿や風呂はしっかりした造りで、糖尿病や高血圧に効く泉質は抜群である。出される料理は、宿の主人が近隣の山から採ってくる天然の素材ばかりである。山菜、キノコはもちろん、猪、熊、ヤマドリまで出される。珍しいだけでなく、味付けも実に美味。ここは本当の秘湯と呼ぶべきなのかもしれないが、その丁寧なもてなしに都会人が感動することは間違いなし。その意味で、新秘湯として紹介したい。
福島県 二 岐 温泉の「大丸あすなろ荘」。ここは「日本秘湯を守る会」の会長 佐藤 好 億 氏の宿である。駐車場から玄関までのアプローチは、京都辺りの老舗の宿を連想させる。渓谷のなかに忽然と鉄筋四階建ての建物が現れる様は、まさしく新秘湯である。内湯二つ露天風呂三つがあるが、いずれも一級の自然湧出泉である。とくに渓流に面した女性用露天風呂の開放感は、他では絶対に味わえないものだろう。
福岡市の隣 筑紫野市に 二日 市 温泉という温泉地がある。福岡市の中心部からも三〇分ほどでこられる、いわば福岡の奥座敷的存在だ。ここには「大丸別荘」という名門の湯宿がある。いわゆる天皇の宿と言われるものの一つで、現在も高い格式を保っている。福岡は決して温泉に恵まれた土地柄ではないが、ここの湯質は突然変異的によい。こういう宿を福岡はずっと維持しているのである。 またここには、「御前湯」と「博多湯」という二つの共同浴場がある。「御前湯」の方は市が経営していて循環湯であるが、施設は大変立派である。「博多湯」の方は民間の経営である。こちらは小さな風呂であるが、飲泉もできる非常に良質な湯だ。こういう良質な共同湯を、自分たちの生活圏に持っているのが、福岡人なのである。
*熱海再考 小津安二郎 監督の名作『東京物語』に熱海が登場してくる。 尾道 に住む老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が、久しぶりに子どもたちに会うため上京してくる。しかし町医者の長男(山村聰)も美容院を経営する長女(杉村春子)も、日々の仕事に忙殺されている。はとバスに乗せたりするのだが、都会に慣れない両親は疲れるばかりで突然帰ると言いだす。そこで長女が熱海に一泊旅行させることを思いつき、半ば強引に熱海の温泉旅館に送り出すのである。
しかし熱海はこの後さらに四〇年にわたり、この路線を突っ走った。西の横綱別府と競いあいながら、大衆温泉地の王様として君臨し続けたのである。この時期の有名温泉地はどこも、訪れる宿泊客よりも旅行業者の方を向いていた。彼らとともにパック旅行を売り続けることが、部屋を満室にし利益を上げることができる最善最短の方法だったからである。そして多くの日本人がそれを買ったのである。
現在の熱海が湯に対してどこか無頓着に見えるひとつの理由は、これほどの歴史的な大温泉地でありながら、代表的な外湯をもたないことである。城崎温泉ならば「一の湯」、有馬温泉ならば「有馬温泉会館」(現在は取り壊され、平成一四年秋に「金の湯」に建て替えられ、すでに平成一三年九月一三日オープンしている「銀の湯」と二カ所になる)、道後温泉なら「道後温泉本館」、別府ならば「 竹 瓦 温泉」というように有名温泉地には必ずその温泉を代表する外湯(共同浴場)がある。ところが熱海にはそういう存在がない。このことが、熱海が湯の町であるという印象を薄いものにしている。
別府は、公的な外湯だけでも一五〇カ所を数える。草津にも「白旗の湯」「熱の湯」など、湯畑を中心に公的な外湯が二〇カ所近くもあり、いまも無料で入ることができる。道後温泉の「道後温泉本館」の存在感は、圧倒的である。これらの外湯が旅行者に与える印象は、豊饒な湯のイメージである。
いま日本人は、これほどの温泉国に住みながら温泉に飢えている。それはホンモノの温泉に飢えているのである。いま温泉界の注目の的になっている黒川温泉急伸の本質はここにある。つまり本物の温泉に対する日本人の郷愁である。人工的なものやお金をかけた壮大な施設は、人々の心に届かない。むしろそれは、温泉にやすらぎを求めてきた人々の心に背くものだろう。全国の有名温泉地から黒川に視察にきた人たちは、なんだただの田舎の温泉旅館じゃないか、といって帰っていくことはすでに書いた。これらの人々は、遠く熊本の山の中にまできていったい何を見て帰ったのだろうか。
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温泉学者の松田忠徳さんが、熊本の黒川大絶賛してて、彼女と南九州ドライブデートの時に日帰り入浴でも行けばよかった。手前の阿蘇内牧温泉で泊まったんだけど、阿蘇内牧もかなり良い温泉だったんだよね。夏目漱石とかが好きだった温泉街。彼女と長時間ドライブで体ボロボロになって泊まったんだけど、阿蘇内牧温泉入ったら次の日の朝は完璧に疲労回復と爽快感が半端なかった。
松田 忠徳(まつだただのり)
1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇る遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。
おとなの温泉旅行術 本物の見分け方・入り方 (PHP新書)
by 松田 忠徳
熊本の黒川温泉が成功した最大の理由は、山里の雰囲気を実際の温泉地に作ったことです。黒川温泉それ自体がふるさと的であり、そこに人々は、奥底に眠っていた温泉場としての懐かしい癒しの原風景を発見したのでしょう。心地のよい安心感にホッと息がつけるのです。 かつて、温泉場としての原風景を保っていたのは熱海や別府でした。けれど、現在では残念ながらそれは失われ、時代とのミスマッチを起こしてしまっています。代わりを求めた若い人たち、特に女性たちの琴線に触れたのが、忘れ去られていた桃源郷を演出した黒川でした。
若い人たちが、真に日本的なものを求めて行き着いたところが黒川温泉でした。私が教える学生たちが、黒川的な和風、正確にいえば、「純和風」のリゾート地を造りたいと考えるのも、回際舞台から逃げるのではなく、逆にプラス思考で日本的なものの価値を発見し、自分に自信を取り戻したい願望の表われでしょう。外国に向けて日本のよさを発信する、その萌芽を黒川温泉に見ているのかもしれません。
繰り返しになりますが、温泉ブームの根底には、このように、不安な現状から逃げながらも、自分が日本人であることをもう一度しっかり確認し、その存在にホッとしている側面があるのです。 アイデンティティーを確認する旅――それは、自分自身を再発見する旅です。その一方で、冒頭に述べたように、このデフレ時代において、はずれのない、代価に見合った、できればそれ以上の本物志向の旅をしたい。そのために可能なかぎりの情報を集め、その情報の正しさを確認しに行く。 現代の温泉旅行は、二つの意味で「確認の旅」となったのです。
二年前、ゼミの学生を連れて由布院温泉と黒川温泉に赴き、十日間の研究調査を敢行しました。男女半々、みな二十歳前後の学生一〇人でしたが、彼らは圧倒的に黒川に惹きつけられたらしく、由布院を支持する者は一人もいませんでした。行く前に「観光文化論」の授業で由布院のことはずいぶん調べ、町の様子も知っていましたし、黒川については各自が雑誌やテレビの温泉番組で多少の知識を得ている様子でした。それでも一〇人の学生全員が泊まるなら黒川と判断したのは、もはや理屈ではないでしょう。
一度、黒川のようなしっかりとした温泉地に泊まり、全身でそこのよさを受け入れられたら、自分が温泉に何を求めているのか、自分と相性のよい温泉地はどのようなところなのか、といったスタンダードのようなものが定まります。もちろん、黒川の雰囲気に合わない人もいるでしょう。合わないからといって、その人がおかしいわけではなく、「ああ、こういう温泉地に自分は惹かれないんだな」と気づけば、それもまた大きな収穫だといえるのです。 ただ、最近は猫も 杓子 も黒川、黒川ですから、肩が触れ合うほどの人が集まり、まるで原宿の竹下通りか渋谷センター街でも歩いているようだと残念がる人もいます。黒川温泉の持つ本質的な魅力はそう簡単には崩れないと思いますが、「人気があるから私も」という受動的な選択をしていては、いつまで経っても温泉マスターにはなれません。
本物の温泉宿は、共通して料理がおいしい。地元の農家、地元の海で取れた食材を、地元流の調理法で提供してくれます。私のお気に入りの一つに 乳頭 温泉郷(秋田県)の「鶴の湯温泉旅館」がありますが、ここの芋鍋をはじめとした献立は、まさしく旅の醍醐味を味わわせてくれる最高のおもてなしといえるでしょう。夕食にかぎらず、朝食にどんなものが出されるかも、宿選びの大きなチェックポイントです。
人によって個性があるように、温泉にも個性があります。当然、私の個性とみなさんの個性も違います。一人ひとりが自分に合う温泉、自分に合う宿を見つけていくには、文字どおり「確認」が必要となります。ゆっくりと静養しようと思っていたのに、カラオケルームからの騒音がうるさくて眠れなかったなんて、悲劇以外の何物でもありません。
「保守」の持つ革新性
ほかの分野には詳しくないので、あくまでも温泉に限定しますが、鹿児島には、「日本でいちばん豊かな、良質の温泉がある、温泉のプロがいる」といっていい。それほど鹿児島県の源泉は数も日本有数ならば、その質もきわめて高いのです。まさに「温泉のプロ」の県だといえるでしょう。私は、島根県にも同じような印象を持っています。 両県に共通しているのは、「保守的」なところです。「保守」という言葉は誤解を生むかもしれませんが、いわゆる「古い=悪い」という通俗的な理解を超えたものがそこにはあります。
黒川温泉が大切にする共同体精神からもわかるように、真の保守性こそ真の革新性を備えた、いまの時代に光を投げかける指針だと思うのです。少なくとも観光地、温泉地に関してはそうなのです。ほかにふさわしい言葉があるのかもしれませんが、保守的といわれる鹿児島や島根が保持する豊かな温泉文化を見て、伝統に培われた日本の精神が、いまだからこそ発揮できる優れた推進力に思いを致さざるをえません。
個人的な話になりますが、私のもう一つの顔はモンゴル文学研究家です。「愛国主義」と呼べるような志向は持ち合わせていませんし、もともと二十年前には日本を見捨て、いつか外国にでも移り住めばいいとさえ思っていたくらいです。しかし実際に各国をまわってみると、特にアメリカに、日本人の豊かな精神性まで乗っ取られてしまうのではないかと、ひたすら危惧するようになりました。私のいまの目標は、温泉から日本人を元気にすることなのです。
日本人は昔から風呂好きだといわれます。確かに世界的に見ると、風呂に入る習慣を伝統的に培ってきた民族のほうが少ないようですから、日本人は例外といっていいのでしょう。しかも、浴槽に体ごとどっぷり入るとなると、実に珍しい。最近こそ、半身浴なる言葉が定着し、家庭でもいろいろな入浴方法が試されていますが、基本的には肩まで体を沈め、湯船でくつろぐのが日本人の入浴スタイルなわけです。「湯に入り、湯を浴びる」、文字どおりの入浴です。
道後温泉と別府温泉は地下でつながっている?
日本の入浴の歴史を記録上たどっていくと、温泉については『万葉集』にも詠まれていますが、庶民の間に広まったのは江戸時代のことで、式亭三馬のその名も『浮世風呂』につぶさに描かれました。そのあたりからは、私たちにもややなじみがありますね。
同僚である札幌国際大学の乳井克憲教授(国語学)によれば、『万葉集』に「温泉」と漢字で記されているのは五カ所。 紀 温泉(和歌山県白浜町の湯崎温泉)、 伊 豫 温泉(愛媛県道後湯之町の道後温泉)、 次 田 温泉(福岡県筑紫野市の二日市温泉)の三つの温泉地についてです。『万葉集』で「温泉」(=「ゆ」)、または「由」と記述されているのはすべて温泉、つまり 出湯 のことを指しています。
日本の古神道の流れが現代につながる一つの象徴として、村ごとに残る神社があります。氏神を祀り、鎮守の森を構えた神社は、現代においてもなお、古神道が日本人の精神性の深いところで関わっていることを物語っているのですが、日本人が、体の表面だけきれいにするのではなく、心まで洗うべきと考える「禊の精神」は、まさに古神道そのものといっていいでしょう。
汗を流すためにいちばん便利な機能として考え出されたシャワーは、心まで浸かり洗い清める日本人の文化と同列に扱うことはできません。欧米の人々にとっては、シャワーで汚れを洗い落とせば十分なわけで、心まで洗うなどという発想は微塵もないのです。 温泉施設や露天風呂にまでシャワーを求める人が、最近増えています。シャワーを設置していない温泉宿に対して、「シャワーがないなんて、とんでもない」と抗議する人さえいるそうです。心身を癒す温泉場に、欧米の「洗い流す文化」が介入することを当然と思ってしまう現代人の混乱ぶり。日本人の精神性の土台が揺らぎ、根無し草になってしまうのではないかと、私はひたすら危惧するわけで、「本物の温泉に、シャワーなど不必要」と、温泉経営者も利用者も、みんなが納得してくれるまで私の説教に終わりはありません。
古神道から生まれた禊の伝統・習慣があるところへ、八~九世紀になると本格的な仏教文化が大陸から入ってきます。最澄や空海をはじめ、遣唐使で中国・唐に渡った僧たち、あるいは日本に渡来した大陸の僧たちが、さまざまな仏教経典をもたらしたわけです。その一つに、『 仏説 温室 洗 浴 衆僧 経』(略して『温室経』)というのがあります。これが、日本人にとっては誠に誠にありがたい経典だったのです。 一言でその内容をいうならば、「湯・風呂に入ると功徳が得られる」というものです。この経典は東南アジアにも伝えられたはずですが、あまり根づかなかったようで、対する日本とは相性がよく、大いに歓迎されることになりました。もともと禊という体を清める習慣があったこと、そして、日本列島のあちこちで温泉が湧き出ていたことが、その理由といっていいでしょう。
『温室経』をもたらしたお坊さんの名前はわかりませんが、いずれにせよ、日本人は「清潔好きだから風呂に入る」「湿度の高い国だから入浴好き」なのではなく、この『温室経』と「禊の精神」が融合したおかげで、「風呂好き・清潔好きの民族」が生まれたと私は思っています。
有馬温泉は奈良時代から続く名湯でしたが、鎌倉時代に 仁 西 上人(大和吉野の僧)が再興したことで、ますます諸国に名を馳せることになります。仁西上人は、この地に薬師如来を守る一二神将の像を作り、一二の坊舎(宿舎)を設けました。そして、それぞれに二人ずつ、湯客の世話をする女性を置いたのです。 それが、 大 湯女 と 小 湯女。坊舎から外湯へと客を案内し、入浴時間を管理するのが小湯女の仕事ならば、大湯女は公家の相手をしたり大名と囲碁をしたり、あるいは和歌を詠み、今様を謡うといったように、相当の教養を必要とする役回りでした。どうやら、のちに江戸の湯女風呂で働いていた女性たちとは、格式がまったく違う別の存在だといってよさそうです。
同じく銭湯も、寺院の施浴の伝統から派生した町人文化です。一九七二年発行の『公衆浴場史』(全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会)によれば、町湯の経営者のことを“ナ(湯那)”と呼び、そこで働く男衆を“ユナ”と呼んだとあります。そのうち、男衆に代わって女性が入浴客の世話をするようになると、ユナに「湯女」と当てるようになったとされています。有馬の湯女とは別物ながら、表記は同じ「湯女」。ついでにいいますと、こちらの湯女は、古くは室町時代末期、天文年間(一五三二~五五)に書かれた『運歩色葉集』に見られます。
『万葉集』にあるように、温泉もまた「ゆ」と読みました。その名残がいまも島根県にある 温泉津。「おんせんつ」ではありませんよね。温泉津は、奈良時代の記録にも出てくる古湯です。 奈良時代、平安時代のころから寺社の事業として始まった風呂の造営は、先にあげた東大寺のほかにも、各地に記録が残っています。当時は極端にいえば、風呂を造って、市井の人々を「風呂に入れてあげる」ことが施しであり、布教活動の一環としてお坊さんに課せられていたのです。これが「施浴」。湯を施すわけです。光明皇后の「千人施浴」はつとに有名ですね。
有名どころでは、武田信玄の隠し湯といわれる 下部温泉があります。隠し湯には信玄も入ったでしょうが、多くは戦で傷ついた兵士の体を休ませ、傷を治すために利用された温泉だったと思います。温泉には効能があるわけですから、いわば野戦病院です。山中で動物たちが傷を癒しているところを偶然に見つけ、それを野戦病院代わりに利用した――ですから、「隠し湯」と呼ばれる温泉は各地に多く見られます。
こうした温泉街の成り立ちからも、温泉はみんなのもの、村全体の共有財産であったことが窺えるというものです。 そのような伝統的観念が崩されていく過程で、日本人の温泉に対する考え方も明らかに変わってきました。温泉資源は有限だと気づきながらも、どんどん乱掘していったのです。城崎の裁判が温泉に対する価値観を別のかたちで提供していたら、高度成長期以降の温泉乱掘は多少なりとも違った結果になっていたでしょう。
ドイツでは、いまでも温泉を私物とは考えません。私の知るところでは、それは一つの町のものです。ドイツの温泉は、「バーデン・バーデン」などに代表されるように、入浴してくつろぐというよりは、健康を維持するための保養地として定着しています。温泉保養地は、もともとは金持ちのための施設で、プールのような大きな入浴設備もありますが、基本的には医師の処方をもとに、「飲泉」をメインにした治療と健康増進を施します。医師に従い、温泉成分を飲用するのです。一カ月ほどバーデ(温泉)のある地域に滞在し、その間に日に何回温泉に入り、どの温泉を飲み、いついつはオペラなどを楽しむといったスケジュールを組んで臨むのです。
九州に行きますと、料金を払うといっても村が共同で所有している浴場は、部外者にはなかなか開放してくれません。まあ、そうした観光地化されていない温泉というのも、それはそれで貴重ではあります。九州の場合、オウム真理教の事件をきっかけに、阿蘇を中心に各地の共同浴場が鍵をかけて、利用禁止にしてしまったように思います。
ヨーロッパは、ローマ風呂からもわかるように、温泉ではないのですが紀元前から入浴の習慣はありました。ドイツには温泉がありますが、前述した温泉保養地が示すように、一般に金持ちのもの、貴族たちの特権です。
概して、白濁色、灰白色、緑色、茶色の湯には温泉力があります。そして、濁り湯に循環湯は少ないものです。濾過循環装置で同じお湯をグルグルまわしていくと、いつしか透明になってしまうからです。とはいえ、濁っていれば安全ともかぎらないので注意が必要。温泉マニアのなかには、薄い茶色よりも濃い鉄錆色を無性にありがたがり、いい湯だと信じてやまない人がいますが、それは真っ赤な嘘です。それほど単純ではないんですね。 もちろん、鉄分の強さによって色の濃さは違いますが、鉄分の濃いお湯でも湯落ち(湯口)から出る段階では、かなり透明に近いのです。地下、地中では透明なのです。鉄分を含んだ温泉が地表に出て空気に触れることによって、酸化され赤色になる。そして、時間が経てば経つほど酸化が進み、どんどん赤みが増していきます。色が濃いほど劣化しているのです。
北海道の大雪山系のなかに 菅 野 温泉というスケールの大きな一軒宿があります。ここには、さまざまな泉質の温泉があるのですが、鉄泉も湧いています。それは淡い黄土色をしています。イチイの木を使った浴槽からどんどん湯が溢れ出ていて、そうした生きた湯を連続的に浴びているときは黄土色でも、この湯を湯桶に汲んで放置しておけば相当に色が濃くなっていきます。同じように白い湯、乳白色の湯、灰白色の湯なども、湧出口に比べて色が強くついているほど劣化しているわけです。温泉の老化現象です。
硫黄泉などにはよく、「湯の花」(温泉成分が固まったもの)ができているのが見受けられます。露天風呂などで見つけたら、そこは温泉力があると判断する材料になりますが、難しいことに、これもあまりに多いと劣化の兆候といえます。体に効く温泉ほど劣化が速いのは、残念ながら事実です。
ヨーロッパでは、ルネサンス期に公衆浴場が禁止になっています。そこで男女が不道徳な行為を日常的に営んだり、裸で結婚式を挙げる人がいたりして、それが公序良俗に反するとされたのです。裸は性を意識させるというわけです。「風呂=性的不道徳」といういびつな意味づけがなされ、キリスト教が禁じることになります。ヨーロッパでは温泉は上流社会の特権だったといいましたが、ルネサンス以来、見知らぬ人と一緒に風呂に入る習慣はほぼ消滅してしまいました(療養施設としての温泉では水着を着用しますので、話は別です)。
確かに、外湯の充実した温泉地に大はずれはありません。例えば別府なら、公的な共同浴場だけで一五〇軒くらいはあります。なかには無料で入れたり、露天風呂やサウナまでついて一〇〇円のお値打ち価格で入れる、立派な共同浴場も存在しています。 指宿(鹿児島県)は、民間の共同浴場が主ながら概して安いのが特徴。城崎の七つの外湯、有馬も二つの共同浴場がそれぞれ生まれ変わっています。前にもあげた「金の湯」「銀の湯」です。道後には「道後温泉本館」とは別に、「椿の湯」という外湯が商店街のなかにあります。 東日本にも有名な外湯はたくさんあります。草津温泉は一八の外湯が、野沢温泉は一三の外湯がタダ。そのほかにも探せば、いい温泉地には多かれ少なかれ、たいていは外湯があるものです。
そういうわけで松田流の温泉評価術は、まずは外湯に行くこと。その温泉地がいい温泉かどうか、その湯が自分の肌に合うかどうかは外湯で判断できます。なぜかというと、外湯は元湯、つまり湯元にありますから、源泉から汲み取られたいちばんいいお湯がそこにあって然るべきなのです。外湯からその温泉街が開けていったのですから。
自分だけの「温泉別荘」を持とう いま熱海はマンションの建築ラッシュです。倒産したホテルの跡地や地上げされた旅館が、次々と新築のリゾート・マンションに変わっています。関東周辺のビジネスパーソンにとっては、熱海あたりに自分だけのリゾート・マンションや別荘を持つのが、憧れの生活なのかもしれませんね。 これらのマンションは購入金額もさることながら、新築だと管理維持費だけでも月一〇万円はするそうです。中古の2LDK、一八〇〇万円前後の物件でも、月に五、六万円は覚悟しなければなりません。 それだけの維持費をかけて夢の生活を手にしながら、はたして年にどれほどの日数をそこで費やせるのでしょう。もともと金銭的に余裕のある人ならまだしも、多少の無理をして購入した人であれば、たいていは仕事が忙しいわけで、現実的には年に二週間がやっとではないでしょうか。これでは、月額一〇万円をわざわざドブに捨てるようなものです。
「美人の湯」でより美しくなるために「美人の湯」と聞けば、女性にとっては心をくすぐるキーワードでしょうが、そういう名乗りをあげていなくても、「単純硫黄泉」や「単純硫化水素泉」と泉質表示されていたら大当たり。 微かに硫黄の香りがしながらも、石鹸の乗りもよく、しっとりとした感触が楽しめるお湯です。 ついでにいえば、温泉からあがったら、十五分以内に保湿剤を使うことです。その温泉成分の保湿性が持続しやすくなります。 単純硫黄泉や単純硫化水素泉はそうあるものではなく、鹿児島の 紫 尾 温泉をはじめ九州には多いのですが、中国地方にはあまり見られません。東北も少ないのですが、北海道の 芽 登 温泉と、札幌近郊にある北湯沢温泉などがこれに当たります。
実はこれらのほかに、「重曹泉」も美肌効果が大いに期待できます。「重曹食塩泉」といえば、温泉に詳しい女性にはおなじみの響きでしょう。重曹と食塩のどちらが前についても同じ効果。たいてい「含重曹食塩泉」と表示されています。食塩泉は保温作用が高く、重曹でしっとり感を保つのです。 美人の湯で最近人気が高まっているのが、和歌山県の 龍神温泉。「日本三大美人の湯」と昔から称えられている温泉地ですが、それが蘇ったような人気です。島根県の湯の川温泉はマイナーですが、 歴 とした美人の湯です。群馬県の川中温泉もそう。
北海道、東北には、中性や酸性の温泉が多いのですが、美肌系で探すなら白濁色の温泉です。秋田県の鶴の湯温泉はつとに有名。長野県の 白骨温泉も要チェックです。 それ以外でも、自然湧出の本物のお湯であれば、肌触りがやわらかく、無条件で美肌効果を約束してくれるはずです。
たまたま手元にある新聞に、そうしたツアー旅行の広告が掲載されていました。それなりに名の知れた中堅の旅行会社が企画しているツアーのようです。 キャッチコピーは、「由布院、阿蘇、 高千穂峡 と大人気の秘湯、黒川温泉めぐり三日間」。代金は一人三万九八〇〇円から四万二八〇〇円。北海道版の新聞ですから、当然この地に住む人を対象にしています。北海道から東京までの往復航空運賃は、時期や適用される割引にもよりますが、四万数千円というのが相場です。それに対し、札幌から九州まで飛んで、しかも二泊三日の宿泊費込みの料金が四万円前後ですから、確かに破格の値段です。場合によっては、片道の航空運賃よりも安くなります。
温泉旅館好きには大変満足のいく内容の本です。
温泉についてや、温泉を楽しむためのお作法や旅館での過ごし方、著者のおすすめの温泉旅館リストと見所満載です。
この本を片手に次はどこの温泉に行こうか思いを馳せています。