【感想・ネタバレ】おとなの温泉旅行術 本物の見分け方・入り方のレビュー

あらすじ

デフレ経済、リストラ、ボーダレス社会……現代人の言い知れぬ不安は、温泉でこそ癒される。そのキーワードは「純和風」と「本物志向」。日本人が大切に培ってきた温泉文化の恵みをありのままに享受するには、あらかじめ正確な情報収集を怠らず、旅先では五感を非日常モードへと切り替える心構えが必要なのだ。若い女性に芽生えた静かな混浴ブームの真相から、自分だけの「温泉別荘」の見つけ方まで、本物の温泉選び・宿選びを通じてやすらぎの「ふるさと」を体感する、温泉教授の賢い休暇術。[内容紹介]「温泉」と「日本語」の共通項――アイデンティティーの確認 九州の共同浴場と東北の湯治場に見る温泉の原点 道後温泉と別府温泉は地下でつながっている? バスタブとトイレが同居することを許せるか 本物を見極めるための温泉基礎知識 外湯で温泉地のよさがわかる 湯治場がこれからの人気スポット 雑誌情報は疑ってかかれ!

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Posted by ブクログ

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170P

温泉学者の松田忠徳さんが、熊本の黒川大絶賛してて、彼女と南九州ドライブデートの時に日帰り入浴でも行けばよかった。手前の阿蘇内牧温泉で泊まったんだけど、阿蘇内牧もかなり良い温泉だったんだよね。夏目漱石とかが好きだった温泉街。彼女と長時間ドライブで体ボロボロになって泊まったんだけど、阿蘇内牧温泉入ったら次の日の朝は完璧に疲労回復と爽快感が半端なかった。

松田 忠徳(まつだただのり)
1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇る遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。

おとなの温泉旅行術 本物の見分け方・入り方 (PHP新書)
by 松田 忠徳
熊本の黒川温泉が成功した最大の理由は、山里の雰囲気を実際の温泉地に作ったことです。黒川温泉それ自体がふるさと的であり、そこに人々は、奥底に眠っていた温泉場としての懐かしい癒しの原風景を発見したのでしょう。心地のよい安心感にホッと息がつけるのです。  かつて、温泉場としての原風景を保っていたのは熱海や別府でした。けれど、現在では残念ながらそれは失われ、時代とのミスマッチを起こしてしまっています。代わりを求めた若い人たち、特に女性たちの琴線に触れたのが、忘れ去られていた桃源郷を演出した黒川でした。

若い人たちが、真に日本的なものを求めて行き着いたところが黒川温泉でした。私が教える学生たちが、黒川的な和風、正確にいえば、「純和風」のリゾート地を造りたいと考えるのも、回際舞台から逃げるのではなく、逆にプラス思考で日本的なものの価値を発見し、自分に自信を取り戻したい願望の表われでしょう。外国に向けて日本のよさを発信する、その萌芽を黒川温泉に見ているのかもしれません。

繰り返しになりますが、温泉ブームの根底には、このように、不安な現状から逃げながらも、自分が日本人であることをもう一度しっかり確認し、その存在にホッとしている側面があるのです。  アイデンティティーを確認する旅――それは、自分自身を再発見する旅です。その一方で、冒頭に述べたように、このデフレ時代において、はずれのない、代価に見合った、できればそれ以上の本物志向の旅をしたい。そのために可能なかぎりの情報を集め、その情報の正しさを確認しに行く。  現代の温泉旅行は、二つの意味で「確認の旅」となったのです。

二年前、ゼミの学生を連れて由布院温泉と黒川温泉に赴き、十日間の研究調査を敢行しました。男女半々、みな二十歳前後の学生一〇人でしたが、彼らは圧倒的に黒川に惹きつけられたらしく、由布院を支持する者は一人もいませんでした。行く前に「観光文化論」の授業で由布院のことはずいぶん調べ、町の様子も知っていましたし、黒川については各自が雑誌やテレビの温泉番組で多少の知識を得ている様子でした。それでも一〇人の学生全員が泊まるなら黒川と判断したのは、もはや理屈ではないでしょう。

一度、黒川のようなしっかりとした温泉地に泊まり、全身でそこのよさを受け入れられたら、自分が温泉に何を求めているのか、自分と相性のよい温泉地はどのようなところなのか、といったスタンダードのようなものが定まります。もちろん、黒川の雰囲気に合わない人もいるでしょう。合わないからといって、その人がおかしいわけではなく、「ああ、こういう温泉地に自分は惹かれないんだな」と気づけば、それもまた大きな収穫だといえるのです。  ただ、最近は猫も 杓子 も黒川、黒川ですから、肩が触れ合うほどの人が集まり、まるで原宿の竹下通りか渋谷センター街でも歩いているようだと残念がる人もいます。黒川温泉の持つ本質的な魅力はそう簡単には崩れないと思いますが、「人気があるから私も」という受動的な選択をしていては、いつまで経っても温泉マスターにはなれません。

本物の温泉宿は、共通して料理がおいしい。地元の農家、地元の海で取れた食材を、地元流の調理法で提供してくれます。私のお気に入りの一つに 乳頭 温泉郷(秋田県)の「鶴の湯温泉旅館」がありますが、ここの芋鍋をはじめとした献立は、まさしく旅の醍醐味を味わわせてくれる最高のおもてなしといえるでしょう。夕食にかぎらず、朝食にどんなものが出されるかも、宿選びの大きなチェックポイントです。

 人によって個性があるように、温泉にも個性があります。当然、私の個性とみなさんの個性も違います。一人ひとりが自分に合う温泉、自分に合う宿を見つけていくには、文字どおり「確認」が必要となります。ゆっくりと静養しようと思っていたのに、カラオケルームからの騒音がうるさくて眠れなかったなんて、悲劇以外の何物でもありません。

 「保守」の持つ革新性

ほかの分野には詳しくないので、あくまでも温泉に限定しますが、鹿児島には、「日本でいちばん豊かな、良質の温泉がある、温泉のプロがいる」といっていい。それほど鹿児島県の源泉は数も日本有数ならば、その質もきわめて高いのです。まさに「温泉のプロ」の県だといえるでしょう。私は、島根県にも同じような印象を持っています。  両県に共通しているのは、「保守的」なところです。「保守」という言葉は誤解を生むかもしれませんが、いわゆる「古い=悪い」という通俗的な理解を超えたものがそこにはあります。

黒川温泉が大切にする共同体精神からもわかるように、真の保守性こそ真の革新性を備えた、いまの時代に光を投げかける指針だと思うのです。少なくとも観光地、温泉地に関してはそうなのです。ほかにふさわしい言葉があるのかもしれませんが、保守的といわれる鹿児島や島根が保持する豊かな温泉文化を見て、伝統に培われた日本の精神が、いまだからこそ発揮できる優れた推進力に思いを致さざるをえません。

個人的な話になりますが、私のもう一つの顔はモンゴル文学研究家です。「愛国主義」と呼べるような志向は持ち合わせていませんし、もともと二十年前には日本を見捨て、いつか外国にでも移り住めばいいとさえ思っていたくらいです。しかし実際に各国をまわってみると、特にアメリカに、日本人の豊かな精神性まで乗っ取られてしまうのではないかと、ひたすら危惧するようになりました。私のいまの目標は、温泉から日本人を元気にすることなのです。

日本人は昔から風呂好きだといわれます。確かに世界的に見ると、風呂に入る習慣を伝統的に培ってきた民族のほうが少ないようですから、日本人は例外といっていいのでしょう。しかも、浴槽に体ごとどっぷり入るとなると、実に珍しい。最近こそ、半身浴なる言葉が定着し、家庭でもいろいろな入浴方法が試されていますが、基本的には肩まで体を沈め、湯船でくつろぐのが日本人の入浴スタイルなわけです。「湯に入り、湯を浴びる」、文字どおりの入浴です。

道後温泉と別府温泉は地下でつながっている?

 日本の入浴の歴史を記録上たどっていくと、温泉については『万葉集』にも詠まれていますが、庶民の間に広まったのは江戸時代のことで、式亭三馬のその名も『浮世風呂』につぶさに描かれました。そのあたりからは、私たちにもややなじみがありますね。

同僚である札幌国際大学の乳井克憲教授(国語学)によれば、『万葉集』に「温泉」と漢字で記されているのは五カ所。 紀 温泉(和歌山県白浜町の湯崎温泉)、 伊 豫 温泉(愛媛県道後湯之町の道後温泉)、 次 田 温泉(福岡県筑紫野市の二日市温泉)の三つの温泉地についてです。『万葉集』で「温泉」(=「ゆ」)、または「由」と記述されているのはすべて温泉、つまり 出湯 のことを指しています。

日本の古神道の流れが現代につながる一つの象徴として、村ごとに残る神社があります。氏神を祀り、鎮守の森を構えた神社は、現代においてもなお、古神道が日本人の精神性の深いところで関わっていることを物語っているのですが、日本人が、体の表面だけきれいにするのではなく、心まで洗うべきと考える「禊の精神」は、まさに古神道そのものといっていいでしょう。

汗を流すためにいちばん便利な機能として考え出されたシャワーは、心まで浸かり洗い清める日本人の文化と同列に扱うことはできません。欧米の人々にとっては、シャワーで汚れを洗い落とせば十分なわけで、心まで洗うなどという発想は微塵もないのです。  温泉施設や露天風呂にまでシャワーを求める人が、最近増えています。シャワーを設置していない温泉宿に対して、「シャワーがないなんて、とんでもない」と抗議する人さえいるそうです。心身を癒す温泉場に、欧米の「洗い流す文化」が介入することを当然と思ってしまう現代人の混乱ぶり。日本人の精神性の土台が揺らぎ、根無し草になってしまうのではないかと、私はひたすら危惧するわけで、「本物の温泉に、シャワーなど不必要」と、温泉経営者も利用者も、みんなが納得してくれるまで私の説教に終わりはありません。

古神道から生まれた禊の伝統・習慣があるところへ、八~九世紀になると本格的な仏教文化が大陸から入ってきます。最澄や空海をはじめ、遣唐使で中国・唐に渡った僧たち、あるいは日本に渡来した大陸の僧たちが、さまざまな仏教経典をもたらしたわけです。その一つに、『 仏説 温室 洗 浴 衆僧 経』(略して『温室経』)というのがあります。これが、日本人にとっては誠に誠にありがたい経典だったのです。  一言でその内容をいうならば、「湯・風呂に入ると功徳が得られる」というものです。この経典は東南アジアにも伝えられたはずですが、あまり根づかなかったようで、対する日本とは相性がよく、大いに歓迎されることになりました。もともと禊という体を清める習慣があったこと、そして、日本列島のあちこちで温泉が湧き出ていたことが、その理由といっていいでしょう。

『温室経』をもたらしたお坊さんの名前はわかりませんが、いずれにせよ、日本人は「清潔好きだから風呂に入る」「湿度の高い国だから入浴好き」なのではなく、この『温室経』と「禊の精神」が融合したおかげで、「風呂好き・清潔好きの民族」が生まれたと私は思っています。

有馬温泉は奈良時代から続く名湯でしたが、鎌倉時代に 仁 西 上人(大和吉野の僧)が再興したことで、ますます諸国に名を馳せることになります。仁西上人は、この地に薬師如来を守る一二神将の像を作り、一二の坊舎(宿舎)を設けました。そして、それぞれに二人ずつ、湯客の世話をする女性を置いたのです。  それが、 大 湯女 と 小 湯女。坊舎から外湯へと客を案内し、入浴時間を管理するのが小湯女の仕事ならば、大湯女は公家の相手をしたり大名と囲碁をしたり、あるいは和歌を詠み、今様を謡うといったように、相当の教養を必要とする役回りでした。どうやら、のちに江戸の湯女風呂で働いていた女性たちとは、格式がまったく違う別の存在だといってよさそうです。

同じく銭湯も、寺院の施浴の伝統から派生した町人文化です。一九七二年発行の『公衆浴場史』(全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会)によれば、町湯の経営者のことを“ナ(湯那)”と呼び、そこで働く男衆を“ユナ”と呼んだとあります。そのうち、男衆に代わって女性が入浴客の世話をするようになると、ユナに「湯女」と当てるようになったとされています。有馬の湯女とは別物ながら、表記は同じ「湯女」。ついでにいいますと、こちらの湯女は、古くは室町時代末期、天文年間(一五三二~五五)に書かれた『運歩色葉集』に見られます。

『万葉集』にあるように、温泉もまた「ゆ」と読みました。その名残がいまも島根県にある 温泉津。「おんせんつ」ではありませんよね。温泉津は、奈良時代の記録にも出てくる古湯です。  奈良時代、平安時代のころから寺社の事業として始まった風呂の造営は、先にあげた東大寺のほかにも、各地に記録が残っています。当時は極端にいえば、風呂を造って、市井の人々を「風呂に入れてあげる」ことが施しであり、布教活動の一環としてお坊さんに課せられていたのです。これが「施浴」。湯を施すわけです。光明皇后の「千人施浴」はつとに有名ですね。

有名どころでは、武田信玄の隠し湯といわれる 下部温泉があります。隠し湯には信玄も入ったでしょうが、多くは戦で傷ついた兵士の体を休ませ、傷を治すために利用された温泉だったと思います。温泉には効能があるわけですから、いわば野戦病院です。山中で動物たちが傷を癒しているところを偶然に見つけ、それを野戦病院代わりに利用した――ですから、「隠し湯」と呼ばれる温泉は各地に多く見られます。

こうした温泉街の成り立ちからも、温泉はみんなのもの、村全体の共有財産であったことが窺えるというものです。  そのような伝統的観念が崩されていく過程で、日本人の温泉に対する考え方も明らかに変わってきました。温泉資源は有限だと気づきながらも、どんどん乱掘していったのです。城崎の裁判が温泉に対する価値観を別のかたちで提供していたら、高度成長期以降の温泉乱掘は多少なりとも違った結果になっていたでしょう。

ドイツでは、いまでも温泉を私物とは考えません。私の知るところでは、それは一つの町のものです。ドイツの温泉は、「バーデン・バーデン」などに代表されるように、入浴してくつろぐというよりは、健康を維持するための保養地として定着しています。温泉保養地は、もともとは金持ちのための施設で、プールのような大きな入浴設備もありますが、基本的には医師の処方をもとに、「飲泉」をメインにした治療と健康増進を施します。医師に従い、温泉成分を飲用するのです。一カ月ほどバーデ(温泉)のある地域に滞在し、その間に日に何回温泉に入り、どの温泉を飲み、いついつはオペラなどを楽しむといったスケジュールを組んで臨むのです。

九州に行きますと、料金を払うといっても村が共同で所有している浴場は、部外者にはなかなか開放してくれません。まあ、そうした観光地化されていない温泉というのも、それはそれで貴重ではあります。九州の場合、オウム真理教の事件をきっかけに、阿蘇を中心に各地の共同浴場が鍵をかけて、利用禁止にしてしまったように思います。

ヨーロッパは、ローマ風呂からもわかるように、温泉ではないのですが紀元前から入浴の習慣はありました。ドイツには温泉がありますが、前述した温泉保養地が示すように、一般に金持ちのもの、貴族たちの特権です。

 概して、白濁色、灰白色、緑色、茶色の湯には温泉力があります。そして、濁り湯に循環湯は少ないものです。濾過循環装置で同じお湯をグルグルまわしていくと、いつしか透明になってしまうからです。とはいえ、濁っていれば安全ともかぎらないので注意が必要。温泉マニアのなかには、薄い茶色よりも濃い鉄錆色を無性にありがたがり、いい湯だと信じてやまない人がいますが、それは真っ赤な嘘です。それほど単純ではないんですね。  もちろん、鉄分の強さによって色の濃さは違いますが、鉄分の濃いお湯でも湯落ち(湯口)から出る段階では、かなり透明に近いのです。地下、地中では透明なのです。鉄分を含んだ温泉が地表に出て空気に触れることによって、酸化され赤色になる。そして、時間が経てば経つほど酸化が進み、どんどん赤みが増していきます。色が濃いほど劣化しているのです。

 北海道の大雪山系のなかに 菅 野 温泉というスケールの大きな一軒宿があります。ここには、さまざまな泉質の温泉があるのですが、鉄泉も湧いています。それは淡い黄土色をしています。イチイの木を使った浴槽からどんどん湯が溢れ出ていて、そうした生きた湯を連続的に浴びているときは黄土色でも、この湯を湯桶に汲んで放置しておけば相当に色が濃くなっていきます。同じように白い湯、乳白色の湯、灰白色の湯なども、湧出口に比べて色が強くついているほど劣化しているわけです。温泉の老化現象です。

硫黄泉などにはよく、「湯の花」(温泉成分が固まったもの)ができているのが見受けられます。露天風呂などで見つけたら、そこは温泉力があると判断する材料になりますが、難しいことに、これもあまりに多いと劣化の兆候といえます。体に効く温泉ほど劣化が速いのは、残念ながら事実です。

ヨーロッパでは、ルネサンス期に公衆浴場が禁止になっています。そこで男女が不道徳な行為を日常的に営んだり、裸で結婚式を挙げる人がいたりして、それが公序良俗に反するとされたのです。裸は性を意識させるというわけです。「風呂=性的不道徳」といういびつな意味づけがなされ、キリスト教が禁じることになります。ヨーロッパでは温泉は上流社会の特権だったといいましたが、ルネサンス以来、見知らぬ人と一緒に風呂に入る習慣はほぼ消滅してしまいました(療養施設としての温泉では水着を着用しますので、話は別です)。

確かに、外湯の充実した温泉地に大はずれはありません。例えば別府なら、公的な共同浴場だけで一五〇軒くらいはあります。なかには無料で入れたり、露天風呂やサウナまでついて一〇〇円のお値打ち価格で入れる、立派な共同浴場も存在しています。   指宿(鹿児島県)は、民間の共同浴場が主ながら概して安いのが特徴。城崎の七つの外湯、有馬も二つの共同浴場がそれぞれ生まれ変わっています。前にもあげた「金の湯」「銀の湯」です。道後には「道後温泉本館」とは別に、「椿の湯」という外湯が商店街のなかにあります。  東日本にも有名な外湯はたくさんあります。草津温泉は一八の外湯が、野沢温泉は一三の外湯がタダ。そのほかにも探せば、いい温泉地には多かれ少なかれ、たいていは外湯があるものです。

そういうわけで松田流の温泉評価術は、まずは外湯に行くこと。その温泉地がいい温泉かどうか、その湯が自分の肌に合うかどうかは外湯で判断できます。なぜかというと、外湯は元湯、つまり湯元にありますから、源泉から汲み取られたいちばんいいお湯がそこにあって然るべきなのです。外湯からその温泉街が開けていったのですから。

  自分だけの「温泉別荘」を持とう  いま熱海はマンションの建築ラッシュです。倒産したホテルの跡地や地上げされた旅館が、次々と新築のリゾート・マンションに変わっています。関東周辺のビジネスパーソンにとっては、熱海あたりに自分だけのリゾート・マンションや別荘を持つのが、憧れの生活なのかもしれませんね。  これらのマンションは購入金額もさることながら、新築だと管理維持費だけでも月一〇万円はするそうです。中古の2LDK、一八〇〇万円前後の物件でも、月に五、六万円は覚悟しなければなりません。  それだけの維持費をかけて夢の生活を手にしながら、はたして年にどれほどの日数をそこで費やせるのでしょう。もともと金銭的に余裕のある人ならまだしも、多少の無理をして購入した人であれば、たいていは仕事が忙しいわけで、現実的には年に二週間がやっとではないでしょうか。これでは、月額一〇万円をわざわざドブに捨てるようなものです。

 「美人の湯」でより美しくなるために「美人の湯」と聞けば、女性にとっては心をくすぐるキーワードでしょうが、そういう名乗りをあげていなくても、「単純硫黄泉」や「単純硫化水素泉」と泉質表示されていたら大当たり。 微かに硫黄の香りがしながらも、石鹸の乗りもよく、しっとりとした感触が楽しめるお湯です。  ついでにいえば、温泉からあがったら、十五分以内に保湿剤を使うことです。その温泉成分の保湿性が持続しやすくなります。  単純硫黄泉や単純硫化水素泉はそうあるものではなく、鹿児島の 紫 尾 温泉をはじめ九州には多いのですが、中国地方にはあまり見られません。東北も少ないのですが、北海道の 芽 登 温泉と、札幌近郊にある北湯沢温泉などがこれに当たります。

実はこれらのほかに、「重曹泉」も美肌効果が大いに期待できます。「重曹食塩泉」といえば、温泉に詳しい女性にはおなじみの響きでしょう。重曹と食塩のどちらが前についても同じ効果。たいてい「含重曹食塩泉」と表示されています。食塩泉は保温作用が高く、重曹でしっとり感を保つのです。  美人の湯で最近人気が高まっているのが、和歌山県の 龍神温泉。「日本三大美人の湯」と昔から称えられている温泉地ですが、それが蘇ったような人気です。島根県の湯の川温泉はマイナーですが、 歴 とした美人の湯です。群馬県の川中温泉もそう。

北海道、東北には、中性や酸性の温泉が多いのですが、美肌系で探すなら白濁色の温泉です。秋田県の鶴の湯温泉はつとに有名。長野県の 白骨温泉も要チェックです。  それ以外でも、自然湧出の本物のお湯であれば、肌触りがやわらかく、無条件で美肌効果を約束してくれるはずです。

たまたま手元にある新聞に、そうしたツアー旅行の広告が掲載されていました。それなりに名の知れた中堅の旅行会社が企画しているツアーのようです。  キャッチコピーは、「由布院、阿蘇、 高千穂峡 と大人気の秘湯、黒川温泉めぐり三日間」。代金は一人三万九八〇〇円から四万二八〇〇円。北海道版の新聞ですから、当然この地に住む人を対象にしています。北海道から東京までの往復航空運賃は、時期や適用される割引にもよりますが、四万数千円というのが相場です。それに対し、札幌から九州まで飛んで、しかも二泊三日の宿泊費込みの料金が四万円前後ですから、確かに破格の値段です。場合によっては、片道の航空運賃よりも安くなります。

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2024年09月26日

Posted by ブクログ

今日のシニア講座「温泉ソムリエに学ぶ」をより楽しく聞くために松田忠徳さんの「おとなの温泉旅行術」(2003.6)を再読しました。著者は湯治場がこれからの人気スポットと仰ってますが、ほんと湯治場はいいですね。ひなびた温泉地は現代の隠れ家だと思います(^-^) 40代、50代は転居の土地で、また、出張の折に、よく温泉に行ったものですが、しばらく遠ざかっています。

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2018年07月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
デフレ経済、リストラ、ボーダレス社会…現代人の言い知れぬ不安は、温泉でこそ癒される。
そのキーワードは「純和風」と「本物志向」。
日本人が大切に培ってきた温泉文化の恵みをありのままに享受するには、あらかじめ正確な情報収集を怠らず、旅先では五感を非日常モードへと切り替える心構えが必要なのだ。
若い女性に芽生えた静かな混浴ブームの真相から、自分だけの「温泉別荘」の見つけ方まで、本物の温泉選び・宿選びを通じてやすらぎの「ふるさと」を体感する、温泉教授の賢い休暇術。

[ 目次 ]
序章 デフレ時代の温泉人気
第1章 現代日本の温泉事情(「純和風」への逃避と自信;「ふるさと」づくりがもたらした成功 ほか)
第2章 日本人にとって温泉とは何か(温泉の起源と「禊」の精神文化;仏教の流入と温泉の発見 ほか)
第3章 本物の温泉の見分け方・入り方(本物を見極めるための温泉基礎知識;「裸のつき合い」を円滑にする実践マナー講座 ほか)
第4章 温泉教授の目的別旅行プラン(できる男の温泉休暇術;女性のための旅行指南 ほか)
第5章 平成温泉番付

[ POP ]


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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月23日

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