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塩素漬けの危険な循環風呂が、ホンモノの温泉を駆逐する! 全国4300湯を制覇した著者が教える温泉の真実とその選び方。キーワードは「源泉100%流しっぱなし」。
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Posted by ブクログ
671 松田 忠徳(まつだただのり) 1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。モンゴル学、アフリカ文学専攻。現在、札幌国際大学観光学部教授(温泉文化論)。98年から1年8カ月をかけて全国2500の温泉を制覇した旅は話題に。夫人はモンゴル出身。主な著書に『モンゴル・蘇...続きを読むる遊牧の民』(社会評論社)、『全国お湯で選んだ蕫源泉﨟の宿』(弘済出版社)、『列島縦断2500湯』(日本経済新聞社)、『カラー版温泉教授の日本全国温泉ガイド』(光文社新書)など。 温泉教授の温泉ゼミナール (光文社新書) by 松田 忠徳 われわれはこれだけ科学が発達しても、現代医学によって完全には癒されないものがあることを知っている。薬だけでは〝安らぎ〟が得られないことをよく知っている。この不安定極まりない時代に、心身の癒しや安らぎをわれわれは温泉に求めるのである。このことは特に二〇代、三〇代の若い世代に顕著だ。温泉は日本人にとって有史以来、癒しや安らぎを求める人びとの駆け込み寺的役割を果たしてきたともいえる。 私は本書の中で温泉に対する〝幻想〟〝常識〟をこっぱみじんに打ち砕くことから始めたい。それはわが国で唯一の温泉学教授として私が大学で教えている「温泉文化論」に深く係わることだ。真の温泉を守り育てるためには、われわれ世界一温泉を愛してやまない日本人が温泉の現状をしっかり認識しなければならないからだ。 だが、日本人の温泉信仰は金になるのである。「温泉分析書」付きの天然温泉のお墨付きさえ手に入れば、たとえ本来の温泉とは似て非なるものであっても、大概の日本人は納得するから楽なものだ。東京郊外に、湯河原の温泉をタンクローリーで運んできた温泉浴場があり、繁盛している。「温泉法」は現在では残念なことにザル法に近く、この場合でも名門湯河原温泉のブランド付きの温泉分析書を堂々と掲げることができるのである。 こうしたなりふりかまわない市町村間の公共温泉バトルの直接的な犠牲者は、地元でしか名の知られていない一軒宿の零細温泉や一〇軒前後の中小規模の温泉街である。秋田県の例でみてみよう。県北の鶴の湯、黒湯など魅力的な秘湯から成る乳頭温泉郷や八幡平の 後生 掛 温泉、玉川温泉など、全国ブランドの温泉は下界、つまり市街地での公共温泉ブームの影響はそうない。県内客は減っても関東をはじめ全国から集客する魅力(その最たるものはホンモノの温泉なのである)を持っているからだ。 秋田県内の複数の公共温泉の支配人が私にこう語ったものである。「秋田は民間の力が弱いので官がやらなければ何もできない」。時代錯誤もはなはだしい。こと温泉に限っていえば、秋田県には昭和五九年からの秘湯ブームをリードした黒湯温泉をはじめ、女性に根強い人気の鶴の湯温泉、都会からの湯治客の掘り起こしに成功している後生掛温泉、末期がんの進行を止めると爆発的な人気の玉川温泉、この他にも秋の宮温泉郷、 小安峡 温泉などがある。現代人の心を捉えた全国ブランドの個性的な温泉が秋田ほど多い県は他にないということを行政マンたちは知らないのだろうか。そうだとしたら勉強不足もはなはだしい。 熊本県の阿蘇地方は古くからわが国でも有数の温泉地帯として知られる。 南 小国 町には平成に入って全国約二九〇〇の温泉地の中で一人勝ちを続けている黒川温泉という人気絶頂の温泉もある。 ところが阿蘇外輪山の麓の町村に公共温泉がどんどん誕生し、ここでも久木野のように村内にふたつもの豪華な公共温泉を有する自治体まで現われ、地獄、 垂 玉 など古くからの有名な阿蘇山中の温泉ばかりか、山麓の熊本随一の温泉街、内牧温泉にも打撃を与えている。市町村営の温泉は阿蘇の麓から熊本市の平野部全域に及び、施設が豪華で料金が安いこうした温泉施設に県民は流れている。 ここで循環風呂の仕組みについて簡単に触れておきたい。まず循環風呂とは同じ温泉を何度も、時には一カ月以上も取り替えずに使用するものをいう。後で改めて説明するが、温泉は「生きもの」である。湯上がりの時に飲む生ビールをイメージしていただきたい。ジョッキに注がれた泡立ったビールをそのまま放置しておくと泡が消え、炭酸が逃げ、ビール本来の持ち味が失われる。温泉もこの生ビールと同じだと考えていただきたい。時間が経過するにつれて温泉は劣化する。温泉は生きものだから鮮度が命なのである。常に新鮮な湯が注ぎ込まれない風呂がどういうものなのか、ましてや一週間に一、二度しか換水しないものが温泉といえるはずがないのである。 なるほど、有名な温泉地の近代的なホテルや町場の公共温泉の風呂には白い浮遊物――つまり「湯の花(湯華)」が漂っていることはまずない。濾過・循環風呂が大半だから、髪の毛一本残さずにもののみごとに濾過し、透明にしてしまうのである。 かつて日本人は湯の花を有り難がったものだ。特別温泉好きでなくても、身体に効く成分の濃い温泉として高く評価したものなのだ。むしろ透明な温泉こそ「温泉じゃない。川水を沸かしたものか」と疑われたのである。 有馬温泉のような赤錆色の温泉も最近、見かける機会が減っている。温泉の数は年々増えているにもかかわらず、赤錆色の鉄泉は反比例的に激減しているのだ。「手ぬぐいを汚す」と不評なため濾過しているからなのだ。もちろん濾過した以上は風呂は循環である。殺菌のため大量に混入された塩素によって温泉が化学変化を起こすため、「温泉分析書」に掲示されている成分内容とは異質の温泉になっている可能性が大きいことはすでに触れた。 われわれ日本人の多くはもう温泉のプロとは言えなくなってしまっているので、温泉の知識を高めなければ、まともにやっている山間の〝正統派の温泉〟(〝正しい温泉〟といってもいい)をわれわれの無知のせいで殺しかねないところまできていると、私は本気で心配している。湯の花が大量に生じやすい硫化水素泉、硫黄泉、鉄泉などの「にごり湯」は温泉と見なされない日が遠からず来るのではないかとすら思える。本来、こうした温泉こそが〝効く〟温泉であるにもかかわらずである。 日本で正しい温泉が最も残されていた東北でも平成に入ってからの公共温泉建設ブームで、温泉の劣悪化が懸念される。「悪貨は良貨を駆逐する――グレシャムの法則」という言葉がある。温泉の世界でも然り。 湯の花が浴槽に浮遊していて、「掃除していない。温泉でない」との苦情が出て、良心的温泉経営者を困惑させていることはすでに触れたとおりである。こうした温泉を持つ経営者こそ、しっかり掃除しているのである。この種の温泉は一日でも掃除の手抜きをすると洗い場の床が滑って危険極まりないため、きちんと掃除をしているのが常だ。また硫化水素泉、硫黄泉のように湯の花を出しやすい温泉こそ、殺菌作用に優れ、菌の心配はさらさらないことも付け加えておこう。 ではホンモノの温泉の良心的経営者はなぜ、風呂の湯口から温泉を少ししか出さないのか? 何も温泉をけちっているわけではない。温泉には恵まれているのである。むしろホンモノの温泉を私たち利用者に提供したいと陰で努力している姿の現れなのである。温泉は単に温かい水ではない。水道水を沸かした家庭風呂と温泉の決定的な違いは温泉に含まれている成分であることは、遺伝子的に温泉のプロである日本人は知っているはずだ。後でも触れるが、少なくとも昭和初期までは温泉場は病気を治す所であったからだ。 日本人にとって温泉とは心の湯あみの場であった。そんな温泉のことをわれわれは忘れていなかっただろうか。 温泉が飲めること、つまり飲泉も忘れてはならない。こちらも〝温泉力〟のバロメーターのひとつである。 ヨーロッパでは、「温泉=飲むもの」というくらい飲泉がさかんである。様々なミネラルが含まれた温泉を飲むことは、温泉療法にとって欠かすことができない。 もちろん飲泉が可能であるには新鮮な湧き立ての温泉でなくてはならない。循環風呂などの死んだ温泉は飲むことはできない。 〝温泉力〟のある温泉に出合うには「生きた温泉と死んだ温泉」の違いを知る必要がある。温泉もれっきとした「生き物」だからである。繰り返しになるが、ジョッキにつがれた生ビールを想像していただきたい。飲まずに放置しておくと、泡が消え、炭酸ガスが逃げ出してしまう。実は温泉もこの生ビールと同じようなものと考えていただいてもいいだろう。 ではこうした赤錆びの湯に〝温泉力〟がないかというと、そうではない。むしろ濾過して水道水のように無色透明にし、塩素をたっぷり混入した循環風呂の温泉のほうがはるかに劣る。同じ温泉を何度も循環すればするほど空気に触れ、老化が進行するからだ。温泉は一般に三日間でただの水になると言われているのである。 直入は人口僅か三〇〇〇人の山村だが、わが国では珍しく高温の炭酸泉が湧出していて、〝飲泉文化〟を核としたユニークな地域おこしを行なっている。いま触れたようにヨーロッパでは、「温泉は飲む野菜だ」といわれている。温泉にはナトリウム、カルシウム、鉄などの無機質が相当に含まれているため、飲めば野菜を食べたのと同じ効果があるからだ。入浴により温泉成分を皮膚から浸透させ、飲泉により消化器管から吸収させることで温泉の効果を上げることができる。 もちろん飲泉のできる温泉は新鮮でなければならない。無色透明に見える循環風呂の温泉は死んでいるので飲むことはできない。直入町では、鮮度一〇〇パーセントの温泉こそが真の温泉であることを、町長をはじめ町民がこぞって知っているのである。そのため町営の温泉施設「御前湯」は最近オープンした公共施設としては珍しく、水を一滴も加えない源泉一〇〇パーセントの温泉を流しっ放しで使用している。 西の別府温泉、東の熱海、北海道ならば 洞爺湖温泉。これら日本を代表する有名温泉地は、旅行といえば団体旅行だった時代に、施設の大型化が飛躍的に進んだ。 城崎に泊まると、無料で外湯に入ることができる。日帰り客でも入浴料を払えば、もちろん入ることができる。温泉情緒を味わえる外湯巡りは、現在の城崎にとっても依然大きな魅力である。旅館の内湯を楽しみ、さらに最大七つの外湯を楽しめるのだから。 しかしこの発想は、本末転倒である。香川修徳が「本邦最第一」と称え、藤波剛一博士が「海内第一泉」と絶賛した城崎温泉とは、他ならぬこの外湯のことなのである。「一の湯」をはじめとする外湯こそが、城崎温泉なのである。 熱海、別府などかつて多くの観光客を集めた有名温泉地が、大衆の支持を失おうとしている今だからこそ、私はこの点を指摘したい。昭和四〇年代には、その時代の要請が確かにあったことだろう。その時代の人々がその要請に真摯に応えようとしたことは理解できる。しかし今、平成の日本人が求めている温泉とは何だろうか。平成の今に生きる温泉関係者に、今ふたたび真摯に考えてもらいたいのである。 一方秋田県には現在有名になりすぎ、半年先まで予約が取れなくなった「玉川温泉」がある。末期がんに効果があるという口コミが広がり、予約が取れないと分かっていても車で湯治に来る人が絶えない。病院から不治を宣告された人が、駐車場に止めた車で寝泊まりしながら湯治を続けている。これはかつての湯治の姿そのものである。高価な薬石を使えなかった庶民が、最後の望みをかけ親戚中から金を借り、病人には辛い湯治の旅に出たのである。旅の途中に倒れる人も多く、やっとの思いで辿り着いても湯治場で力尽きる人も多かった。だからこそ湯治場は、神仏と結びついていたのである。病を癒す場であったとともに、人が厳かな死を迎える場でもあったのだ。 成分表のところで私は、政府や自治体のチェック機能が働いていないことを指摘した。私はむやみに権力的にやることがよいとは思わない。しかし私たちは、温泉を利用する際「入湯税」というものを徴収されているのである。税を支払っている以上、応分のサービスを受ける権利があるのではないだろうか。応分のサービスとはこの場合、正しい情報を受けることも含まれるのではないだろうか。もちろん表示と違う実態があるのならば、ぜひ利用者に知らせてほしいものである。 今度は過去一年間に行った温泉でどこがよかったか、そしてその理由は何かという設問を見てみる。すると「自然環境」「温泉情緒」の数字は減り、「温泉そのもの」が一・五倍に増えているのである。つまり実際に行ってみると、印象に残るのはお湯そのものなのだ。日本人のDNAに刷り込まれた、温泉を感じる力は確実に残っていると言える。やはり日本人は、ホンモノの温泉によって癒されるのである。 近年大型の温泉地が苦戦を強いられるなか、かつて秘湯といわれた温泉が確実に支持を伸ばしてきている。いまではその理由は、先ほどのアンケートなどからも明らかである。これらの温泉は、高度成長の時代に有名温泉地がひたすら拡大化を進め、全国の旅行代理店が送り込む大量の客を捌いているとき、ただひたすらじっと耐えていたのである。じっと耐えながら、古くからの温泉を守ってきたのである。 しかしそんななか、湯布院は異色の存在であった。湯布院は隣に東の熱海に対する西の横綱格であった別府温泉を控え、常にその圧力を受け続けてきた。その中でいまは伝説となった「亀の井別荘」の 中 谷 健 太郎、「由布院 玉の湯」の 溝口 薫 平 の両氏をリーダーとし、明らかにそのアンチテーゼとして、街作りを進めてきた。拡大指向に対する小型化、没個性化に対する個性的な宿作り、ホテル内への客の囲い込みに対する街作り指向などである。湯布院はこの二人のリーダーを中心に、明確なヴィジョンをもって大型温泉地に対抗してきたのである。 別府や熱海が拡大の一途を進んだ時期は、高度成長で日本経済が急速に伸びた時代であった。その一線で働く男たちがストレス発散のために来る場所が、温泉地だった。つまり温泉というのは昭和四〇年代までは、完全に男の世界だったのである。その時代に湯布院は、ネオンのない、女性が一人で来られる温泉を目指したのだ。 さらに湯布院は当時の大型温泉地の常識からすると、まったく異質なものを持ち込もうとしていた。文化である。映画祭などの文化イベントを展開することにより、湯布院は東京などの文化人のなかに多くのファンを作っていったのである。これはそれまでの温泉地のイメージとは明らかに一線を画す、新しい発想だった。そうしたことを一つひとつものにしてきたことにより、湯布院の今日のイメージが作り上げられていったのである。 しかしいま、湯布院も大きな壁に突き当たっている。おそらく現在の湯布院全体の売上は、微減である。別府・熱海をはじめ全国の有名温泉地が凋落し、かつて街のシンボルだった老舗大型ホテルや旅館が廃業や倒産に追い込まれている現状からすると、微減ならまだ勝ち組と言えるだろう。女性からはいまだに行ってみたい温泉地人気ナンバーワンとして支持されている。しかしそうした評判や売上の面からだけでは見えない、壁が立ちはだかっている。それは成功したがゆえの苦しみとも言えるだろう。 *黒川温泉の成功 湯布院から南へ下り熊本との県境を越えた辺りに、現在全国から注目されつつある温泉地がある。黒川温泉である。最近になって東京のテレビ局でもかなり紹介されるようになってきたが、まだ東日本では湯布院ほどの知名度は得ていない。しかし二四軒の湯宿しかないこの地に、年間およそ九〇万人の観光客が訪れている。現在最も活気に溢れ、支持されている温泉地と言っていいだろう。数字で示すならば、あのバブルの最盛期に比べても、平成十二年度の入湯税は二倍に伸びているのである。 私が列島縦断の旅に挑戦していた一九九八年、九州のどこに行っても黒川温泉の名前を聞かないことはなかった。当時すでに、それほどの注目の的であった。黒川温泉の第一印象を一言で言うなら、田舎の 鄙びた温泉地である。湯布院のような文化的な雰囲気はない。街にも宿にも木が多いが、どれも銘木というのではない、いわば雑木である。道端や土手にきれいな花が植えられているということもない。あったとしてもそれは雑草である。いわば何の変哲もない田舎の風景なのである。 ここ数年毎年売上を更新している黒川温泉には、苦境に立たされている全国の温泉地からの視察が訪れている。今年も加賀のある有名温泉地から、女将さんたちのグループが視察に訪れた。いずれも名旅館といわれる一流旅館の女将である。彼女たちの反応は極めて冷ややかなものだったようだ。なによ、文化もなにもないただの田舎の旅館じゃないの、というわけである。それでお引き取り願うのならば、黒川からすればしめたものである。彼女らに私が代わって言うならば、ではあなた方はこのただの田舎が作れますか、なぜここにこれだけの人が集まっているのか分かるのですか、ということである。黒川の現在の姿は、あるがままのものではない。この日本の原風景とも言… 黒川温泉の成功の秘密は、第一章で繰り返し述べてきた全国の温泉地が抱える病理をすべてクリアしていることに尽きる。それらのすべて逆を実践しているのが、黒川温泉なのである。湯布院が独特の街作りで成功し、全国から観光客を集めていた昭和五〇年代、黒川温泉はただ一軒の宿を除きまったく閑古鳥の鳴く温泉地だった。その一軒の宿とは、二〇〇一年に四年連続で「読者が選んだ温泉宿大賞」(昭文社)の九州第一位に輝いた「山の宿 新 明 館」である。現在黒川は新明館の主人 後藤 哲也 氏を中心… 彼は帰ると早速当時自慢だった庭木を全部抜き、広葉樹の雑木に植え替えた。と同時にこれは自分の宿だけでやっていたのでは、大した効果が得られないということに思い至った。それからは旅館組合の席はもちろん、若手の経営者を捕まえては「木を植えろ」と声をかけてきた。九州の山も多くは経済性を追求した針葉樹、つまり杉の森である。その中にあって黒川温泉の周囲のみは豊かな広葉樹が広がっている。広葉樹は春には新芽をふき、夏には若葉が広がり、秋には紅葉する。いま黒川の四季は、後藤氏とともに森作りに取り組んだ若手経営者の努力が実り、これらの広葉樹が見事に彩っている。 黒川が取り組んできた宿作り、町作りについてばかり書いてきたが、なんといっても黒川温泉の最大の魅力は温泉である。黒川は別府や湯布院に匹敵する、高温で豊かな湯量を誇る温泉が自噴している。しかも二四軒の湯宿がすべて自家泉源をもっているのだ。二四軒二四湯である。さらに現在すべての宿には、内湯と露天風呂がある。かつてすべての宿に露天風呂を造ろうという話になったとき、露天風呂を造る土地のない宿が二、三軒出た。それらの宿には他の宿がバックアップして、露天風呂を新設したのである。いかに街中で一致団結とはいえ、ここまでやった例は他に聞いたことがない。 街のあちこちで、写真を撮り合う若いカップルを見かける。思わず写真を撮りたくなる風景が多いのである。私は黒川の露天風呂を見て回ったときに、やはり同じ気持ちにとらわれた。もちろん私は旅行作家という仕事柄写真を撮るのであるが、仕事を離れても思わず写真を撮りたくなる魅力的な露天風呂が多いのだ。多くは後藤氏のアドバイスによるものであるという。先ほどの木の植え方といい、風呂のデザインといい、やはり独特の感性を持った人のようである。 黒川温泉に一つマイナス点を指摘するなら、全体的に土地が狭いことである。現在各宿にある露天風呂も、広々とした眺望はいっさいない。いずれも周囲は雑木で囲まれている。川に面した露天風呂もあるのだが、そこも木を植え川が見えないようにしてある。こうした設計が、実は後藤イズムである。後藤氏は、やすらぎや癒しの時代にあっては露天風呂から眺められる眺望は不要だと断言する。そうではなくて、周りをさえぎりお湯に集中できる造りにすべきだというのだ。私はこの言葉には少なからぬショックを受けた。これまで考えたこともない発想だったからだ。たしかに余計な要素を除き、お湯に集中できることが黒川温泉の大きな特徴でもあり、魅力にもなっているのだ。天才的な発想と言うべきだろう。 急激にその存在が知られ、いまやブランド力を付けようとしている黒川温泉には、やはり外部資本の手が伸びてきている。ごく最近にも温泉付き別荘を分譲しようとする開発業者があったようだ。ところが先ほど指摘した土地の狭さが幸いして、断念したようである。しかし資本の論理は強力である。黒川の評価が高まるほどに、ビジネスチャンスを求めてくる業者は増えてくるだろう。その点について後藤氏に水を向けると、それが一番よくないことだと言葉に力を込める。彼らはわれわれが考える街作りには協力してくれないし、景気が悪くなればさっさと引き上げる、でもここにはよその人が買う土地がないのだから大丈夫でしょうと、笑った。 さらに早川の上流に上がると、 奈良 田 温泉「白根館」がある。奈良田はつい最近まで陸の孤島と呼ばれ、独特の風俗や方言がのこる民俗学の宝庫であった。宿や風呂はしっかりした造りで、糖尿病や高血圧に効く泉質は抜群である。出される料理は、宿の主人が近隣の山から採ってくる天然の素材ばかりである。山菜、キノコはもちろん、猪、熊、ヤマドリまで出される。珍しいだけでなく、味付けも実に美味。ここは本当の秘湯と呼ぶべきなのかもしれないが、その丁寧なもてなしに都会人が感動することは間違いなし。その意味で、新秘湯として紹介したい。 福島県 二 岐 温泉の「大丸あすなろ荘」。ここは「日本秘湯を守る会」の会長 佐藤 好 億 氏の宿である。駐車場から玄関までのアプローチは、京都辺りの老舗の宿を連想させる。渓谷のなかに忽然と鉄筋四階建ての建物が現れる様は、まさしく新秘湯である。内湯二つ露天風呂三つがあるが、いずれも一級の自然湧出泉である。とくに渓流に面した女性用露天風呂の開放感は、他では絶対に味わえないものだろう。 福岡市の隣 筑紫野市に 二日 市 温泉という温泉地がある。福岡市の中心部からも三〇分ほどでこられる、いわば福岡の奥座敷的存在だ。ここには「大丸別荘」という名門の湯宿がある。いわゆる天皇の宿と言われるものの一つで、現在も高い格式を保っている。福岡は決して温泉に恵まれた土地柄ではないが、ここの湯質は突然変異的によい。こういう宿を福岡はずっと維持しているのである。 またここには、「御前湯」と「博多湯」という二つの共同浴場がある。「御前湯」の方は市が経営していて循環湯であるが、施設は大変立派である。「博多湯」の方は民間の経営である。こちらは小さな風呂であるが、飲泉もできる非常に良質な湯だ。こういう良質な共同湯を、自分たちの生活圏に持っているのが、福岡人なのである。 *熱海再考 小津安二郎 監督の名作『東京物語』に熱海が登場してくる。 尾道 に住む老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が、久しぶりに子どもたちに会うため上京してくる。しかし町医者の長男(山村聰)も美容院を経営する長女(杉村春子)も、日々の仕事に忙殺されている。はとバスに乗せたりするのだが、都会に慣れない両親は疲れるばかりで突然帰ると言いだす。そこで長女が熱海に一泊旅行させることを思いつき、半ば強引に熱海の温泉旅館に送り出すのである。 しかし熱海はこの後さらに四〇年にわたり、この路線を突っ走った。西の横綱別府と競いあいながら、大衆温泉地の王様として君臨し続けたのである。この時期の有名温泉地はどこも、訪れる宿泊客よりも旅行業者の方を向いていた。彼らとともにパック旅行を売り続けることが、部屋を満室にし利益を上げることができる最善最短の方法だったからである。そして多くの日本人がそれを買ったのである。 現在の熱海が湯に対してどこか無頓着に見えるひとつの理由は、これほどの歴史的な大温泉地でありながら、代表的な外湯をもたないことである。城崎温泉ならば「一の湯」、有馬温泉ならば「有馬温泉会館」(現在は取り壊され、平成一四年秋に「金の湯」に建て替えられ、すでに平成一三年九月一三日オープンしている「銀の湯」と二カ所になる)、道後温泉なら「道後温泉本館」、別府ならば「 竹 瓦 温泉」というように有名温泉地には必ずその温泉を代表する外湯(共同浴場)がある。ところが熱海にはそういう存在がない。このことが、熱海が湯の町であるという印象を薄いものにしている。 別府は、公的な外湯だけでも一五〇カ所を数える。草津にも「白旗の湯」「熱の湯」など、湯畑を中心に公的な外湯が二〇カ所近くもあり、いまも無料で入ることができる。道後温泉の「道後温泉本館」の存在感は、圧倒的である。これらの外湯が旅行者に与える印象は、豊饒な湯のイメージである。 いま日本人は、これほどの温泉国に住みながら温泉に飢えている。それはホンモノの温泉に飢えているのである。いま温泉界の注目の的になっている黒川温泉急伸の本質はここにある。つまり本物の温泉に対する日本人の郷愁である。人工的なものやお金をかけた壮大な施設は、人々の心に届かない。むしろそれは、温泉にやすらぎを求めてきた人々の心に背くものだろう。全国の有名温泉地から黒川に視察にきた人たちは、なんだただの田舎の温泉旅館じゃないか、といって帰っていくことはすでに書いた。これらの人々は、遠く熊本の山の中にまできていったい何を見て帰ったのだろうか。
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