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「清水一浩」の「ジャストタッチでおもしろいように入る!パットの正解」「なぜ世界は存在しないのか」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「清水一浩」の「ジャストタッチでおもしろいように入る!パットの正解」「なぜ世界は存在しないのか」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
「あらゆるものを内包する存在」としての世界は存在し得ない。
世界とは、無限に存在する事物、そして、それらに連関する無限の意味の現れ方なのであり、「単一の何か」ではあり得ない。
私自身が科学主義に陥っていたことに気づかせてくれた一冊。
科学主義では、一切を自然と見なし、そこに精神は存在しなくなる。ひいては、人生の意味も失われてしまい、虚無に至る。
しかし、世界とは科学で観測できることがすべてではないのであった。非科学的と退けられがちな宗教や、科学主義では意味を持ち得ない芸術などは、それぞれの対象領域で意味を持つのであり、意味を持つ以上それらは現に存在しているのである。
人間も、現に存在している以上、無限の意味の現れ方を有しており、それを人間自身が意識することで自身が存在する意味を千変万化させるのである。
人が存在する意味は、結局のところ、生きることなのであっあ。
Posted by ブクログ
哲学初心者ですが、世界で爆発的に売れたということで手に取りました。難しい個所も多くすべてを理解したわけではありませんが、本書の核となる「新しい実在論」の骨子は理解できました。これについてはかなり丁寧に説明されているので哲学初心者でもガブリエル氏の主張は理解できると思います(同意するかはまた別問題だと思いますが)。形而上学での存在の扱いをテーゼ、構築主義による考え方をアンチテーゼとするならば、そのジンテーゼとして「新しい実在論」が提示されていると解釈しました。
本書の前半では存在するとはどういうことなのか、ということで新しい実在論についての説明が続きますが、個人的に興味深かったのは後半部分です。後半では自然科学の世界観、宗教の世界観、そして芸術の意味について「新しい存在論」的視点から解説をしていますが、目から鱗が多数あり、宗教編にいたってはこれだけで本1冊にまとめてほしいというくらい面白い内容でした。宗教編を読んでいるときにふと密教が思い浮かんだのですが、密教では、宇宙の摂理としての大日如来がいるという点でガブリエル氏の主張と相容れませんが、無数の意味の場に我々が存在しているという主張は、まさに曼荼羅図で表現されていることです(我々は仏にもなれるし魔にもなれる)。物事は無限の視点から見ることができること、無限の意味の場に表象されること、人生とは意味の場を創造し通り抜けていくことだ、という著者の主張を、まさに本書を読みながら「体験」することができました。
Posted by ブクログ
「本書では新しい哲学の原則を示してみせたいと思っています。~中略~すなわち「世界は存在しない」ということです」
といきなり大風呂敷を広げたうえで、「世界は存在しない!」というキャッチーな主張の理由を、今までの様々な哲学の歴史をおさらいしつつ、やさしく説明してくれます。とても読みやすかった。(と言っても自分は読むのに2ヶ月以上かかったけど)
それにしてもこの煮詰まった時代に、いきなり「新しい原則を示す」という野心がすごい。もはやロマンチスト。
そして説明されるガブリエルさんの主張は、多様性の時代にフィットした哲学という感じで、とても面白かった。
なぜ世界は存在しないのか、を要約すると、
1.存在とは何かが「意味の場」に現れている状態
例 - サイが草原に立っている場合は、サイは草原という「意味の場」に存在する
2.基本単位は「意味の場」。すべては何らかの意味の場に現象する
3. 「世界」とはすべての意味の場を包摂する意味の場。世界にはすべてが現象しているはず
4.とすると、その「世界」はどのような「意味の場」に現象するのだろうか?→「世界は、世界に現れてこない」
5.つまり世界は存在しない。そのかわり存在しているのは無限に多くの意味の場。
6.無限に多くの意味の場がある→すべてのものは存在する。ただし世界はべつである。
僕は「意味の場」を「おぼん」と置き換えるとわかりやすいと個人的には思いました。
つまり、何かが存在するためには、その何かを「おぼん」の上に置かないといけない。いろんな「おぼん」があるけど、すべての「おぼん」を乗せることができる「大きなおぼん」は存在しない。なぜならその「おぼん」ももっと大きな「おぼん」の乗ってないと存在できないから。つまり「大きなおぼん」=「世界」は存在しない。
さらに「世界は存在しない」ことよりも、だからこそ「無限に多くのおぼん=意味の場」が存在する、というのが、もっと大事なこと。つまり無限に意味の場があるということは世界以外は「あらゆるものが存在している」ということ。例えば「魔女」は草原にはいないけど、本の中にちゃんと存在する。わたしの見るさまざまな夢、進化、水洗トイレ、脱毛症、様々な希望、素粒子、月面に住む一角獣さえもが、それぞれの意味の場に存在する。
そして著者は「だからといって、あらゆるものが良いということにはならないからです。私たちは、何を維持すべきで、何を変えるべきなのかを、いっそうよく判断できるようにならなければなりません。」と結ぶ。
そもそも「意味の場」って?勝手に基本単位とか言うなよ!、しかもそれってそんなに革新的な考えなの?、とか批判もありそうですが、全体主義とか排他的な考えを批判しつつ、かといって「人それぞれでしょー」という冷めた意見でもないところが、モノの見方、考え方としてとても面白かった。
訳者の人があとがきで書いているように
「解説書でもなければ、日常生活に有益なヒントを与えてくれる人生論の本でもなく、じっさいに哲学的思考を行ってみせる書物であろうとしている」本なので、要約でなく全部読んでみて本当によかった。そして例えばメタバースに対する考え方とか何かしらのヒントを与えてくれる本だと思う。
Posted by ブクログ
タイトルに興味があって読んだのではなく、現代の哲学界で天才と言われるマルクスガブリエルさんがこんなにも若い方だったということに驚いて読んだ。
ある程度哲学の本は読んで少しわかったつもりになっていたけれど、まだまだ分からない難しいことが多かった。
世界が存在しない理論についてもなんとなくそうなのかとくらいにしか理解できなかったけれど、読んでいてとても腑に落ちたことがあった。
世の中には無数の意味の場があって、しかもそれらが互いに独立しているわけでもなく、独立していないわけでもなく、複雑に絡み合って存在していると。
最近はすべてを自然科学で説明しようとする傾向があるけれど、それも一つの意味の場にすぎない。宗教を信じる人、国家という概念を信じる人、自然科学を信じる人、そこになんの違いがあるのだろうか。
個人的には、医療や科学技術を信じられず自然主義の人たちのことがなかなか理解できなかったけれど、この言葉を聞いて、すごく納得した。
自分自身、何か一つの真理で世界をとらえようとしていたけれど、そんなことは不可能なのだと理解できた。
すべてを包摂する意味の場は存在しないのだ。
Posted by ブクログ
最近とみに注目されているらしいマルクス・ガブリエル、2013年のベストセラー。邦訳は2018年講談社選書メチエなので、入手しやすい廉価設定かつ、ごつくない。
一般読者向けに自身の哲学を平易に記述したものなので、すこぶる読みやすい。ただし、文章は読みやすいが言っている内容はかなりラジカルな部分もあり、丁寧に読むために、私は時間をかけた。
非常に良い本だった。極めて論理的であり、例えばバートランド・ラッセルのように明快である。
本書で言う「世界は存在しない」というテーゼは、「あらゆるものを全て包含するような『世界』は存在しない」ということであって、物理学的な「宇宙」や、個人の意識と生活に基づく「小世界」、小説の中の「書かれた世界」は実在する、ということだ。このテーゼを追って、すこぶる緻密な論理を展開して証明しており、なかなか反駁する隙がない。
「宇宙」は物理学の対象領域であるが、対象領域は数多く存在しているので、限定的なものである。全ての領域の領域のことを「世界」と呼ぶのだと考え、そうした「世界」は存在しない、というのがガブリエルの指摘だ。すべてを物質(結局は素粒子の振動)に還元してしまう現在の科学主義的世界像は、しかしそのように考える行為自体が素粒子に還元され得ないために、論理として成立しない。思考が脳細胞=物質の付属物に過ぎないというのであれば、そうした付属物による幻想(単なるシミュレーション)によって唯物論を実証することは出来ず、真偽にかかわりうる言明たり得ない。
こうした論理の展開にはなるほど、と感心したが、より興味を持ち揺さぶられたのは後半の「宗教の意味」「芸術の意味」の章であった。
「科学的世界像は、厳密に見ればある種の宗教としても現れてくる。」(P215)
この「宗教」は「すべてを統べる何らかのものは存在する」という想定に基づく。
思えば科学的な無-意味な世界像が現代人を圧倒的に呑み込んでしまっており、この不気味な「宗教」が人びとを蝕み、絶望をデフォルトとした孤独へと追いやっているのではないだろうか。
例えば街を歩いているとき、「歩行者用の信号が青に変わるやいなや、わたしたちはおのずから互いに協調した行動をとるはずだ」(P207)という確信を抱いている。市街地で人は社会的な合理性と秩序を信仰せずには生きられず、「こうした社会的な秩序についてよく知っている主体、秩序を維持してくれている主体がいる」(P208)と想定している。これはガブリエルによると「フェティシズム」の一種であり、さらに、それはジャック・ラカンの「知っていると想定される主体を人間はつねに必要としている」すなわち<大文字の他者>なのだという指摘に、目からうろこが落ちる思いだった。
ただちに私は今年のコロナ禍における日本の民衆の過剰な圧力を連想した。
「新型コロナウィルス感染症の拡大を防ぐためには、店は圧力に応じて自粛しなければならない。自粛しない店は社会に罰せられなければならない。のうのうと『夜の街』に繰り出し続けるヒコクミンは八つ裂きにするべきである」
日本の庶民の一部が引き起こした「自粛警察」(自粛して閉店しない店にはののしる張り紙を貼り、怒鳴り込み、しまいには暴力にも発展する)の波動は、まさしく、ラカンの言う<大文字の他者>と自我とを連帯的に同一視することによって肥大化したエネルギーが暴走したのではなかったか?
しかし、人には様々な、想像も及ばないような事情があったりするもので、病気などのアクシデントも含め、「青信号のルール」を逸脱するような事態が、頻繁に生起するのである。そうするとシステムにほころびが生じる。それを見て「この野郎!」と叫んでしまう自分は、ガブリエルの言う「社会の合理的秩序を崇拝し<大文字の他者>に依存するフェティシズムに陥っているということだ。
「いかなる宗教もフェティシズムを完全に免れることはありません。無神論も——いや、無神論こそが——そうです。意味をもたない純粋に物質的な宇宙を崇拝する態度にも、まったく同じように宗教的性格があるからです。」(P212)
「フェティシズム的でない意味での宗教とは、無限なもののなかに意味の痕跡を探究する営みにほかなりません。」(p221)
この「意味」というキーワードが、ガブリエルの哲学の中枢にあって、事物は「意味の場」にしか現出しない、と指摘する際の「意味の場」なるタームは、なかなか魅力的で、今度自分の思索でも使ってみたくなった。
マルクス・ガブリエルが立脚している系譜/コンテクスト(意味の場!)は、恐らくクリプキのような論理学・言語哲学なのではないかと思うが、自分も今後もう少しクリプキなども読んでみたいと思った。本書では「意味」についてのさらに深い追究は見られなかったので、ガブリエルの他の著作も今後参照してみたい。それと、本書を読んでいてニクラス・ルーマン(本書の中で一度だけ、名前が挙がっている)のセマンティック理論も読みたくなった。
本書は平易ではあるが、非常にしっかりとした哲学書であり、読者は改めて様々な事象や概念(あるいは「精神」!)を再考することを余儀なくされる。知的魅力に満ちた、すこぶる刺激的な良書である。