飯田進の作品一覧
「飯田進」の「地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相―」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「飯田進」の「地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相―」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
Posted by ブクログ
太平洋戦争(ニューギニア戦線)の記録。以下悲惨だと思った箇所の列挙。
・貧弱かつ重い装備で高層ビルを垂直に登るような理不尽なサラワケット山越え、夏の装備だから高層では凍えるような寒さ
・長く続くセピック河の湿地帯、泥の中を歩ける靴ではなくただ奪われる体力
・蚊(マラリア)、ヒルによる体力低下
・水も無いのに、川の水を飲んだら下痢で衰弱死
・自力で移動できなくなると自決を迫られた(武士道というらしい、都合が良すぎる)
・軍の秩序が崩壊した地域では物資をめぐっての同士討ちや共食いもあった
・食料はすぐに無くなり、蛇、蛙、トカゲ、バッタ、ヒル、カタツムリ、百足、毛虫、蝶、蟻、クモ、ミミズ等も食べていた(焼いたり煮たり)
・無謀なため消えた「あ号作戦」により、自滅より攻撃で死ぬことを良しとしたアイタペへの総攻撃により一万人以上の犠牲
・迎え入れてくれた原住民の村で食料を大量に食べていたため追い出されたり裏切られたりすると村中の男を皆殺しにした兵士もいた
・小屋の中にいた多くの死者の中唯一生き残っていた名も無き大尉は、通りかかった兵士に貰った煙草を美味そうに吸って「わが部隊も、ここで全員が果てるであろう」と呟くように言った
◎終戦後もすぐ帰ることはできず、敵国に捕まったり餓死したりした。島に投入された20万の兵士のうち、本土に帰れたのは1割にも満たなかった
ほんとにただ無駄に移動させられた挙句死んでしまった多くの人たちがいた。日本特有の始めてしまったから仕方ないというやつだ。装備も人員も壊滅的に足りていないのに、誰もが辞めるという責任を負いたくないために始まっていったんだろう。(現代でも安倍さんの国葬、オリンピックの時によく見られる光景)
よく戦争被害者の人の話があるが、兵士の記録の方がより戦争への嫌悪感、拒否感が出るように思う。上手く教育の現場などで活用できたらと思うが今の政府は戦争の悲惨さはあまり知られたくないだろうと思うから無いだろうな。
著者は2016年に亡くなっているが、あとがきに書かれていた以下の文が印象的だった。
“嫌なことには目を向けたくない習性が、人間にはあります。この習性は国家や民族には許されません。六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧するからです。今日の日本を覆う腐敗や犯罪をもたらしている禍根は、ここに淵源していると私は考えています。”
本当に心から戦争は起きて欲しくないし、戦地になって欲しくもなく行きたくもない。
Posted by ブクログ
ガダルカナル島の「生命判断」
立つことのできる人間は・・・・・・寿命は三〇日間
身体を起して坐れる人間は・・・・・……三週間
寝たきり起きれない人間は・・・・・…一週間
寝たまま小便をするものは・・・・・・三日間
ものいはなくなったものは・・・・・・二日間
またたきしなくなったものは・・・・・・明日
小尾靖夫少尉の日記の記録です。
ガダルカナル島に投入された日本兵は3万1千人。死亡者は2万8百人。
この67%の殆どが飢えと病で亡くなっています。
ガ島の壮絶さは有名ですが数字にして改めて見ると、当時の大本営の杜撰な作戦に腹を立てる飯田さんのお気持ちも分かります…。
この夏、尾上さんの1945シリーズを拝読していて、ふと友人のY氏と観た『野火』を思い出していました。
そこで以前から気になっていた海軍民政府としてニューギニアで過酷な戦場を生き延びた飯田さんのこちらを拝読。
そもそも飯田さんはアジア民の解放と言う志があって従軍したのに、蓋を空けてみるとそのアジア民を手にかけないとならない戦場に放り込まれた訳です。
捕虜を殺害した罪で後にオランダで戦犯として裁判にかけられますがこの際の飯田さんの苦しみはいかほどだったか…
危うく異国の収容所で命を落とす所だった飯田さんですが、オランダが保有していたインドネシアが独立した事により生き永らえて下さいました。
本書はひたすら辛いです。途中で何度か本を閉じた事もありました。
飯田さんの実体験や集めた手記が度々引用されるので非常に貴重な文献であるのは間違いないのですが、リアルさ故に苦しくなります。
蛇や軍犬、軍靴まで食べられると思ったものは何でも口にする。戦って国の為に死ぬ事も叶わず、降伏も許されない。
海軍なのに山で飢え死にしないとならない。味方に救って貰えると漸く陣地まで辿り着いたのに、これ以上は受け入れられないと返り討ちにされる。
病人は自決を強いられる。共食いまで…
軽く書いただけでも目を逸らしたくなる方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。
ですが、飯田さんが本書を執筆された理由は、悲惨だ、怖い!で終わらせる為では無いのです。
本書から引用します。
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「毎日、頭上から敵機が散布する降伏ビラが降ってくる。それには立派な日本語で書いてある。
『君たちはすでに尽くすだけは尽くしたのだ。いたずらにジャングルの中で爺死すべきでない。潔く降伏してこい。米軍は君たちの衰弱し切った身体を、速やかに豪州に 送って静養させる。ジャングルに無駄な死に方をするな。このビラを掲げて来ればよいのだ。君たちの親、兄弟が待っている』
降伏は日本軍には絶対だめだ。俺たちは小さい時から、もちろん軍隊においても、そう教育されてきた。そのため、このような哀れな姿になっても、敵には降伏しないと今日まで
あらゆる苦難に耐えてきたのだが(中略)
だがいまほど、人の生死について考えさせられたことはない。
なぜこんな無駄な死に方をしなければならないのだろう。いやだ、いやだ。背筋が震えてくる。
俺は石にかじりついても生きていたい。家族の許に、這いずってでも行きたい」
三橋氏のこの痛切な思いは、若い世代の人たちにどう伝わるでしょうか。
その事を考えるために、まさに私は嘔吐を抑えながら、かくも無残な記録を読み返しているのです。
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ひまわりめろんさんの仰っていた考える行為です。考える事によって何かが変えられるかも知れない。
なので、目を逸らしたくなる体験記と数値と向き合う事が大切なのです。
飯田さんは我々後の世代に託す為に本書を書かれたとあとがきで仰っています。
ですが、こういった文献を多くの方に薦めると言うのも難しいので、せめて私が一番心に響いたあとがきを一部、そのまま載せたいと思います。
もし、いつの日か読んでみようと思われている方はネタバレになりますのでここでお止め下さい。
私のような小物がひっそりと拡散するだけでも、平和の道に少しでも近付けていると信じて…。
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この酷いとも凄惨とも、喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論をしても虚しいばかりだと私は思います。この思いが、人生の終末を生きている私に、この原稿を執筆させる動機を与えたのです。
嫌なことには目を向けたくない習性が、人間にはあります。嫌なことを忘れることによって、人間は生き延び得るのかもしれません。この習性は個人には慰める役割を果たしても、一国家や民族には許されません。六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧するからです。今日の日本を覆う腐敗や犯罪をもたらしている禍根は、ここに淵源していると私は考えています。
戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください。」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。
もうひとつだけ事例を挙げます。戦争末期。日本の都市は、アメリカの絨毯爆撃によって壊滅的な打撃を受けました。何十万人もの老人や女、子供が焼き殺されました。
さらに広島、長崎には、事前の警告なしに原爆が投下されました。これが戦争犯罪でなくてなんでしょう。一方で、落下傘降下して捕虜になった敵の飛行兵たちを処刑した日本軍の将兵は、戦後、戦争犯罪者としてスガモ・プリズンで処刑されています。
その爆撃作戦を立案し、指揮したのは、アメリカ軍のカーチス・ルメイという空軍少将でした。戦後彼は、空軍元帥にまでなっています。その彼に、日本政府は昭和三十九年、勲一等旭日大綬章を授与しているのです。もちろん天皇の名によってです。授章の理由は日本の航空自衛隊の育成に協力したことでした。
ヘドが出そうです。ねじれにねじれた戦後日本の在り様こそが、ニューギニア島はじめ太平洋の島々で、飢えて野垂れ死にした兵士たちの実相を、直視することから目をそらしてきた結果としてあるのです。
歴史の闇に閉ざされてきたこのおぞましい事実を、白日の下に晒すことによって初めて、今後の日本がたどるべき進路が、浮かび出て来るのではないでしょうか。
腐臭に満ちた日本の道徳的、倫理的再建の糸口もまた、そのような営為を通してのみ、見出される筈だと、私は自責の念を込めて思うのです。そのために、自らの行為も敢えて曝しながら、この原稿をまとめる作業をしてきました。
「あの戦争は酷かったんですね」という感想で終わることを、深く懸念しているからです。
飢えて死んでいかねばならなかった兵士たちの心情を、私はこの本で、どれほど伝えられたでしょうか。それらが読者の皆さんの胸に少しでも多く、長く残ることを願いながら、筆を擱きます。
平成二十年六月
飯田 進
Posted by ブクログ
太平洋戦争の戦場の現実を知らないで(あるいは知らないふりをして)、靖国、安保条約、改憲(実情は反憲?)問題を議論するのは、机上の空論、歴史に対する侮辱 と思う。
海外で刑に服していた戦犯が日本に帰ってくる(スガモですが)ことができたのは、法廷を開いた宗主国が植民地の独立で主権を失ったから、警察予備隊の創設と旧職業軍人の行動に対して、スガモに収監された戦犯から、抗議の声があがったことなので、初めて知ること多かった。
「自らの行為を敢えてさらしながら、この原稿をまとめる作業をしてきました、「あの戦争は酷かったんですね」という感想で終わることを、深く懸念しているからです。」という一文を、全日本人が受け止めるべきメッセージと感じた。