飯田進のレビュー一覧
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
ガダルカナル島の「生命判断」
立つことのできる人間は・・・・・・寿命は三〇日間
身体を起して坐れる人間は・・・・・……三週間
寝たきり起きれない人間は・・・・・…一週間
寝たまま小便をするものは・・・・・・三日間
ものいはなくなったものは・・・・・・二日間
またたきしなくなったものは・・・・・・明日
小尾靖夫少尉の日記の記録です。
ガダルカナル島に投入された日本兵は3万1千人。死亡者は2万8百人。
この67%の殆どが飢えと病で亡くなっています。
ガ島の壮絶さは有名ですが数字にして改めて見ると、当時の大本営の杜撰な作戦に腹を立てる飯田さんのお気持ちも分かります…。
この夏、尾上さんの1945 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
太平洋戦争の戦場の現実を知らないで(あるいは知らないふりをして)、靖国、安保条約、改憲(実情は反憲?)問題を議論するのは、机上の空論、歴史に対する侮辱 と思う。
海外で刑に服していた戦犯が日本に帰ってくる(スガモですが)ことができたのは、法廷を開いた宗主国が植民地の独立で主権を失ったから、警察予備隊の創設と旧職業軍人の行動に対して、スガモに収監された戦犯から、抗議の声があがったことなので、初めて知ること多かった。
「自らの行為を敢えてさらしながら、この原稿をまとめる作業をしてきました、「あの戦争は酷かったんですね」という感想で終わることを、深く懸念しているからです。」という一文を、全日本人が受 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
『玉砕の島」「日本軍兵士」に続く、南洋で飢えと病に斃れていった多くの兵士たちの姿を、自らの経験も交えて描く。
彼らを死に追いやった軍参謀の多くが責任を取らず、戦後の警察予備隊創設に貢献し重用されたのとは対照的に、著者を始めとする多くの現場兵士達は現地での住民虐殺などの戦争犯罪人として裁かれ処刑されたり巣鴨プリズンで懲役刑を受けている。著者が釈放されるのは昭和31年(!)である。
「飢死した兵士たちのどこに経済的繁栄を築く要因があったでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が聞こえて来るようです。そんな理由付けは生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に(あの戦争を)正当 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
日本人が太平洋戦争で筆舌に尽くし難い犠牲を払って獲得した日本国憲法を、集団的自衛権の閣議決定をしてなし崩し的に無効化しようとしている人々がいる。戦争は絶対ダメだという、絶対的平和主義こそがこの憲法の肝要であろう。13条の個人の尊重も戦争状態にないことがそれを担保する。
改めて、戦争の真実を知ることを始めよう、と思った。集団的自衛権の議論については、具体的な身体的な議論、あるいは想像をしなければならないと思った。戦争はそれこそ現場で起っているリアルなものだからである。
著者はニューギニア戦線から奇跡的に帰還した元兵士。愚かな指導者の作戦指揮によって、悲惨きわまりない状況で餓死していく兵士。 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった―。
昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。
西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。
幾度なく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令…。
「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。
[ 目次 ]
第1章 大調査隊をニューギニアへ
第2章 餓死の序幕
第3章 命を吸いとる山を越えて
第4章 底なしの大湿地帯を行く
第5章 幻と消えた「あ号作戦」
第6章 ビアク島の玉砕戦
第7章 -
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
第二次世界大戦のニューギニア戦線に関して詳しく知りたく、まずはその足掛かりとして。当時の状況の過酷さが、様々な体験談からの抜粋から伝わってくる。登山・沢登りをやってると余計に分かるそのヤバさ。先日経験した息も絶え絶えの4000m級の山越えや、碌な道もない熱帯の樹林を、数十キロの荷物を背負いながら、僅かな食料で、熱病や蛭に襲われながら行軍する狂気。現代の登山用具で登るならまだしも、その様な事が想定されていないであろう装備でするなんて…。蛭にもやられた事があるが出血は全然止まらなかったし傷口も二ヶ月経ってもまだある。マラリアも昔の職場で何人か亡くなってる。想像を絶する…。数多くの参考文献が紹介され
-
- カート
-
試し読み
-
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
著者は1943年海軍民政府・資源調査員として
ニューギニアへ。
この本の冒頭で綴られている文に心うたれる。
生命判断
「①立つことできる人間は・・・寿命は30日間
②身体を起こして坐れる人間は・・・3週間
③寝たきり起きれない人間は・・・1週間
④寝たまま小便をするものは・・・3日間
⑤もの言わなくなったものは・・・2日間
⑥またたきもしなくなったものは・・・明日」
そんな惨酷な生活の中で著者は何を考えて行動したのか。
この本を読むと戦争の恐ろしさがわかる。
内容(「BOOK」データベースより)
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった―。昭和十七年十一月、日本軍 -
- カート
-
試し読み