河北新報社の作品一覧
「河北新報社」の「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」「きみは「3.11」をしっていますか? ~東日本大震災から10年後の物語~」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
タイトル通り、仙台に本社を置く東北の地元紙・河北新報が、圧倒的な現実を突き付ける東日本大震災へどう対応し、何をどう伝えたかが克明に記されています。読むのが重く、辛い記憶を呼び戻しますが、強く心に響いたのも事実でした。
得てして震災モノのノンフィクションは、不撓不屈や再生などのテーマで感動を喚起させ、お涙ちょうだい的なものも多々…。しかし本書は、あくまでも事実を記録し、かつ報道の在り方の自問自答を続けている点に価値があります。
100年以上新聞を出し続けている河北新報社は、地域への恩義に応え使命を果たそうとします。「私たちも被災者」のスタンスで、全国紙とは違う切り口の自前記事にこだわり、無表情な「客観報道」で紙幅を埋めない、その一貫姿勢に胸打たれます。
〈当事者〉でなければ真実を語る・伝える権利はないのかと言えば、NOだとは思いますが、被災者の心の声を丹念に拾った報道には、血の通った言葉の力があるように感じました。
本とともに、紙の新聞購読者が減る一方の昨今ですが、報道を担う新聞の意味と役割の原点を伝える素晴らしい一冊でした。
数々の難局を克服し、市民に寄り添った一連の報道に対して、2011年度新聞協会賞(編集部門)を受賞。また本作をもとに制作されたテレビ東京のドラマ『明日をあきらめない‥がれきの中の新聞社』で、2012年度日本放送文化大賞、東京ドラマアウォードグランプリを受賞しています。
Posted by ブクログ
個人的な話になるが、この本を読み終わった5月3日は、28年前朝日新聞阪神支局襲撃事件の起こった日だ。当時学生で物を書く仕事に憧れていた私には、とても衝撃的な事件だった。中でも銃撃された記者が「指はあるか!」と叫んだという逸話が忘れられない。命の危険にさらされても、なお書くことへの執念は捨てない、その記者魂に圧倒された。
河北新報という名は2013年4月、横浜の日本新聞博物館で初めて知った。震災報道を伝える展示会が開かれていて、その紙面が掲示されていたのだ。生々しい紙面、そして震災の日も発行されていたことへの驚きで、息を吐くことしかできなかった。
この本に描かれた、紙面の裏にあった葛藤は想像以上だった。「紙齢(しれい:新聞の発行日数)を絶やさない」ことへの執念。組版基本サーバーのディスク装置が倒れ、制作が危ぶまれたが、新潟日報に紙面を作ってもらえるようになる。2004年の中越地震を経験していた新潟側の呼びかけで、2006年から有事には強力する協定が出来ていたのが役立ったのだという。このことが象徴するように、人と人との繋がりが震災後の河北新聞を支えていく。編集局、記者ばかりでなく、販売店など、新聞に関わるすべての人々を描くことで、新聞のもつ底力をより大きく感じた。
一方で記者たちの被災者に対する思い、人間らしい弱さや苦悩も生々しく胸に迫る。ヘリで空撮を行っているカメラマンの目に映る、学校屋上に非難した人々の作った「SOS」の文字。助けてあげられず「ごめんなさいね、ごめんなさいね」と言いながら写真を撮り続け、その写真の報道で助けになれればと祈っていたというが、現実は厳しかった。その人々が救出されたのは1週間後、その間ほとんど食べ物もなくスティックシュガーをなめていたという。その事実を後日知ったカメラマンは、自分の仕事が役に立っていなかったと苦しむ。
ここに描かれている記者や編集局の人々も被災者だ。水や燃料・食料不足の中、極限の状態で新聞を作っている。編集局と記者たちの温度差を感じた報道部次長が、アンケートを行い、その苦悩が明らかになる。精神も体力も限界の中で報道するという使命と、被災者に役立っているのかという無力さ。その狭間で葛藤する人々の言葉を細やかに拾い上げたことで、彼らの姿が浮き彫りになり、まっすぐに響いてくる。
河北、という言葉は「白河以北」という意味で、「白河以北一山百文(白河より北は荒れ地ばかりでひと山百文の値打ちしかない)」という侮辱的な言葉への反骨精神からなるという。東北人らしい粘り強さ、やさしさを持って、これからも紙齢を絶やさずにいて欲しいと心から願う。
Posted by ブクログ
東北の新聞社の震災後における初動を描いた記録。
初動において、安否確認をして、情報収集をして、それを発信する――というプロセスは、国交省や自衛隊等の対応機関に類似していると思った。
じっさい、新潟日報との協定だとか、それを踏まえたデータ送受信訓練を一か月前に実施していたことだとかは、先日国交省の東北地整から公開された『災害初動期指揮心得』にも書かれていた「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分でなかった」というくだりに通じるものがある。
また、土地勘のある記者を派遣するという指揮もさることながら、後方支援の重要性、とりわけ総支局間での応援だとか、「おにぎり隊」の活躍も印象的で、そうした後方支援や兵站だってチームのためにとても重要、というムードを作りだし共有することが、精神衛生上も大切だとも学ぶことができた。
さらに、単純に、被災直後の人々に最も欲されるものとは「情報」であると、改めて認識。
(とくに、デジカメ・スマホ時代の写真のプリントの尊さと同様に、)ネット・TV時代の新聞の尊さが、3.11後に改めて明らかにされた、と思う。
「アナログメディアの重要性」という指摘もあったがまさにそのとおり。
そして何より、あのころの動きがこうして(しかも発災わずか半年で!)まとめられ出版された貴重な記録に、リスペクトと感謝を抱かずにいられない。
しかも、何度も涙腺が緩んだほど、正直な感情に大変満ちた、この記録に。