スポーツと遺伝子との関係について、情熱をもって世界中で取材を重ねて、整理をして世に出した本。一流のプレイヤーになるためには一万時間の練習が必要になり、逆に一万時間の修練によって一流のスキルが身につくと、ある種の誤解を含めて広まった「一万時間の法則」に反論する本としてとらえられたこともあり、米国では相応のベストセラーになったという。ただ、「一万時間の法則」論争に依らず、この本で書かれた内容はとても深く、興味をそそられる。
まず、遺伝子ではなく修練がその差をつける例として、野球が挙げられる。野球の打者は、猛スピードで飛んでくるボールを細いバットでとらえるために、超高度な予測能力を身につけている。予測が重要であるのは、まったく違う投げられ方をするソフトボールの速球を一流のメジャーリーガーがバットにかすりもしないことからもわかる。「全体像を把握して初めて、プレーヤーの配置状況や相手のかすかな体の動きから重要情報を入手し、次に起こることの予測が可能となる。これがスポーツにおける最重要事項だ」という。
ただし、そのための優秀な視覚ハードウェアが必要で、そこに練習によりソフトウェアをインストールすることがポイントになってくるらしい。
一方、遺伝子が重要な要件になる事例として、走り高跳が挙げられる。ほとんど練習しなかったにもかかわらず、オリンピック選手になった事例もある。一方で、多くの練習時間の上で、同じレベルに到達した選手がいることも同時に説明される。
また、遺伝子が与える影響として、男女における差が取り上げられる。男女の運動能力には筋肉量を始め明らかに差がある。オリンピックでも男女別に競技が行われることからも、それは一般的にも受け入れられている。ホルモンの影響によって体に大きな影響が出てくるのだが、性別変換によるホルモン注射など微妙な問題もある。
ジャマイカのスプリンター、ケニアの長距離走選手の例が民族の遺伝子による事例として論じられる。著者は、スプリント遺伝子なるものがあるのかどうか、何度もジャマイカに足を運んで調査をしている。しかしながら、明確なスプリント遺伝子というのは見つかっていない。
ウサイン・ボルトをはじめとするジャマイカ選手に関しては、ジャマイカではトレーニング環境と多くの優秀な運動選手がスプリンターになりたがる社会環境があるのも大きい。ボルトがアメリカに生まれていた場合に、アメフト選手にならずに陸上選手になっていただろうか、というのがそこに関わる問いでもある。結局は遺伝子と社会環境の結果としてジャマイカスプリンター集団が生まれたとするのが正解なのかもしれない。
一方、ケニア選手の成績には確かに驚異的なものがあるが、そこには細くて長い脚を作る遺伝子があるようだとされている。特に優秀なランナーは、ケニアの中でも、その多くがカレンジン族という特定の部族の出身者に集中していることからも、遺伝の強い影響が類推されている。
また、フィンランドのマンティランタの一族に伝わるEPO受容体遺伝子は、クロスカントリースキーの成績に大きく影響をしたことが推定されている。ただ、このような単一遺伝子が劇的な結果に結びつく例は極めて少ないこともわかっている。現在「スポーツ遺伝子」なるものはほとんど特定できていない。それがないとは言い切れないものの、おそらくは複雑な要因がかかわったものであるはずだ。その中には、集中して練習することができるための遺伝要因もあるだろう。
ちょっとした小話的情報を得ることも含めて面白い。スポーツがビッグビジネスになっている領域でもあり、これからも研究が進む領域なんだろうなと思う。