作品一覧

  • 自画像のゆくえ

    自画像のゆくえ

    ビジネス・実用

    4.2
    1巻1,650円 (税込)
    だれもが感じているように、現代ほど「わたしがたり」にあふれかえった時代はこれまでになかった。世界的にその傾向にあるのかもしれないが、日本ではこの傾向がとくに顕著であるようにも思われる。(中略)本書は、私なりの想像力をつけくわえて試みた、自画像の歴史をめぐる、21世紀人のためのツアーである。――セルフポートレイト作品を作り続けてきた美術家が約600年の自画像の歴史をふりかえりながら綴る「実践的自画像論」
  • 知識ゼロからのフェルメール鑑賞術

    知識ゼロからのフェルメール鑑賞術

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻1,232円 (税込)
    疲れた現代人を癒すような、静かでひかえめなフェルメールの世界を探究。「なぜ小さいのか?」「なぜ少ないのか?」「なぜ青なのか?」……“美しすぎる謎”がこの一冊でわかる!
  • 生き延びるために芸術は必要か

    生き延びるために芸術は必要か

    ビジネス・実用

    4.3
    1巻1,210円 (税込)
    私は2019年から現在まで、某大学で毎年数回の講義を担当させてもらっている。美術家としての私がその時々に考えたこと、伝えたかったことをお話しするのだが、これまでの議論を振りかえってみると、「生き延びる」というテーマに関連した内容が意外に多かった。(「はじめに」より)セルフポートレイト作品で知られ、「私」の意味を追求してきた美術家が、「生き延びるとは何か」というテーマに取り組んだ人生論ノート。

ユーザーレビュー

  • 生き延びるために芸術は必要か

    Posted by ブクログ

    1210円

    森村泰昌さんは写真作品のイメージが強かったけど、画家の話はもちろん、レイブラッドベリ、中島敦、司馬遼太郎等の文学の話とかも多くて面白かった。

    坂本繁二郎、

    「ふたりの子どもはとくにかがやかしくあらわされていますね。元来、子どもにたいするゴヤのまなざしは、いつもやさしい愛情にみちています。おとなへの容赦のないまなざしとはまるでちがい、子どもには無垢な夢を託すようなところがある。ですからイサベールが「美しく気品高く描かれており」、王子パウラも「あどけなく怜利に描かれていた」というのも、ふたりの子どもへの、ゴヤのすなおな共感のあらわれだったのでしょう。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「結果はさきに紹介した井上靖さんのエッセーのとおりです。ゴヤは「いい絵とはなにか」という、画家としては妥協できない一念を持ちつづけ、たくみな布石を打ちつつ、最後はその持論をたっぷり絵の具にまぜこんで大作を実現させたわけですね。  このように解説してしまうと、いかにもゴヤはマリア・ルイーサに打ち勝ったかのような印象をあたえてしまいますが、はたしてそういうことなんでしょうか。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「ゴヤは自分がたやすくはなびかない、したたかな画家であることをそれとなく匂わせたかったのかもしれません。子どもにはやさしく、大人には辛辣な態度をくずさない画家。それがゴヤでした。ゴヤはあまりにも頑強な精神の持ち主なので、私自身はじつはちょっと苦手なのですが、でもこの画家の生き延びるための手練手管にはまなぶべき点はおおいと思います。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「ゴヤ作『カルロス四世の家族』のつぎに話題にしたいのは、『ラス・メニーナス(侍女たち)』です。ディエゴ・ベラスケスが描いた西洋美術史における最大の謎ともいえる大作です。ここでもまた、ゴヤとは異なりますが、やはり「画家が生き延びるということ」についての興味深い態度表明がみられます。  ディエゴ・ベラスケス( 1599 ~ 1660)は、スペインのバロック時代を代表する宮廷画家でした。仕えていた国王はフェリペ四世です。  フェリペもまたカルロス四世と同様、政治的な手腕に欠けた国王だった。しかし無類の芸術愛好家で、ベラスケスは画家としての活動とともに国王の命をうけ美術作品の収集も担当しています。その収蔵品はのちにプラド美術館の美術コレクションの骨格をなしていく。ベラスケスとフェリペ四世がプラド美術館の礎をきずいたわけですね。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「『ラス・メニーナス』は、フェリペ四世の宮廷内(正確には「宮殿の地下一階・皇太子の間」)に集う宮廷の人びとが描かれた集団肖像画です。  登場人物でひときわ目をひくのは、集団の中心で発光しているかとさえ感じられるマルガリータ王女。おん歳 5歳の幼女です。  マルガリータ王女の両脇にはマリア・アグスティナ・サルミエント・デ・ソトマイヨールとイサベル・デ・ヴェラスコ。このふたりが画題にもなっている〝侍女たち〟。おそらくまだ十代の女官です。  侍女イサベルの右前にいるのはマリバルボラ。そのよこでおおきなマスチフ犬にいたずらをしているのはニコラシーリョ。マリバルボラはおとなですが短身で、ニコラシーリョも身体の成長が子どものときのままの若者で、イタリアからつれてこられた。こうした身体的特徴をもった人びとや道化(喜劇役者)たちがあつめられ、宮廷人たちをよろこばせる役割をになっていた。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「『ラス・メニーナス』は、最初はずいぶんおとなしい絵画世界に感じられます。さしたるドラマティックな出来事もみあたらず、豪華絢爛なはなやかさもありません。ちょっと地味だな、当初私はそんなふうにさえ感じておりました。ところがじっくりみなおすと、じつに異例というか異常というか、鑑賞者がとまどいをおぼえてしまうほどの過激性を秘めている。「子どもたち」「見せ物的な役割をになう人びと」「政に口をさしはさむ立場にはない画家」、そして「人間ではなく犬」。こうした権力や支配の座からとおざけられた存在、世界の周縁を居場所として強いられた人びとや動物が、ここでは主要な登場人物としてあかるい光のなかに描かれている。そして最高位であるはずのフェリペ四世が、もっともちいさく、もっともおぼろげな存在として鏡の奥に幽閉されている。ちからのあるものはおおきく、よわいものはちいさく描くという宮廷絵画の定石、力学がひっくりかえっている。これが過激でなくてなんでしょうか。  ベラスケスはかくも無礼千万な宮廷絵画をなぜ描くことができたのか。国王にたいし、こんな失礼な絵を描いてしまっては、宮廷画家として絵を描きつづけることすらあやぶまれるのではないか。やはり『ラス・メニーナス』は、みればみるほど謎めいた絵画に思えてならないのです。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「『ラス・メニーナス』はベラスケスの晩年に描かれた宮廷絵画ですが、この絵もまた、若いころのベラスケスとかわりなく、「リュパログラフォス」の精神につらぬかれているのではないでしょうか。『ラス・メニーナス』には宮廷内が描かれています。しかし王侯貴族の姿はありません。宮廷の周縁的な場所にいる人びとが、暗い室内のとりわけ光が射す場所に登場し、まさに脚光をあびている。  群像の中心に位置するマルガリータ王女はたしかにスペイン・ハプスブルグ家の血をひく王女です。しかし当時はまだ 5歳のおさな子でした。マルガリータは後年とつぎさきで 22歳で他界。 1665年にはフェリペ四世が亡くなり、あとを継いだカルロス二世もその 5年後の 1700年に 38歳で世を去っている。  こうしてスペイン・ハプスブルグ家の直系の血はとだえてしまう。ベラスケスはこの終わりゆく王家の最後のかがやきをマルガリータに感じとっていたのではないだろうか。そしてマルガリータというほろびゆく王家の残光をみとどけて、ベラスケスも 1660年に世をさりました。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「レイ・ブラッドベリの『華氏 451度』にはそうした本が燃やされる近未来社会、ディストピアが描かれています。およそ 70年前の小説でありながら、そのメッセージはいまだに色あせてはいません。  今回あらためて読みなおしてみて、びっくりさせられた箇所があったので紹介します。「ああ、まったく。一時間ごとに、空にあんなものがいくつもいくつも!  毎日毎日、朝から晩まで、ああも爆撃機が飛ぶなんて、どういうことだ!  どうしてみんなその話をしたがらないんだ!  僕らは 2022年以降、二度、核戦争を起こして、二度とも勝利した!(以下略)」(『華氏 451度』レイ・ブラッドベリ、伊藤典夫訳より)  二度目の核戦争が 2022年におこったというのですから、現在の国際状況(の予兆)にぴたりと符合しています。『華氏 451度』に書かれた近未来社会が、私たちが生きている〝いま、ここ〟の状況になってしまっている。  この小説を書いたとき、レイ・ブラッドベリが警鐘をならしていたのは 1950年代のアメリカの大量消費社会にむけてでしたが、今日的な観点からも読める物語になっています。  で、この小説はおそろしい結末になっておりまして、それはついに三度目の核戦争となり世界が滅亡するというものでした。 2022年の現在これを読むと、 SF小説『華氏 451度』は不幸なことにどこまでもみごとな予言書になってしまっているといわざるをえないのです。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「F APでは壁画プロジェクトもありました。壁画は公共性のたかい、いわゆるパブリックアートです。大勢の不特定多数の人びとが美術にしたしめる環境をつくるために、壁画運動は効果的なのですが、これはまさに社会主義国家のプロパガンダ芸術のアメリカ版だった。実際、当時社会主義国だったメキシコの壁画運動の中心人物のひとり、ディエゴ・リベラが 1930年代に渡米したときはほとんどスターあつかいで、ニューヨーク近代美術館で個展を開催するほどの人気でした。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「こうした状況下で、 FS Aは FSAP( FS Aプロジェクト)をたちあげました。いまでしたら TVニュースや SNSを通じて、世界の情報がすばやく私たちにとどけられます。 1930年代はそういうわけにはいかなかった。どこでどんな事件がおこっているのか、速報を伝えるのはむずかしかった。  そんななか現場の状況を即座に伝えられるメディアがありました。〝写真〟です。写真は新聞や雑誌に掲載されるといっきにその情報が拡散されていく。 1936年創刊の写真グラビア雑誌『ライフ( LIFE)』は、こうした写真の報道力の代名詞的存在となりました。 20世紀とは写真の時代だったわけですね。   FSAPは、写真メディアがもつ社会への訴求力を活用するプロジェクトでした。多数の写真家を雇用し、農村部に派遣して、現状をドキュメントしてもらい、議会や世論に呼びかけるツールとして役立てた。 FSAPで雇用された写真家によるドキュメント写真は、約 10万点にもおよんだといわれます。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「私はちいさいころから絵を描くのが好きでした。格別上手だったわけではありませんし、描いてだれかにみせたい、ほめられたいというような気持ちもありませんでした。将来は芸術家になろうなどと思ったこともなく、なぜかわかりませんがただ描きたいという衝動だけがありました。  ところが小学校に入学すると、美術(図画工作)の授業があり、先生や級友たちに絵をみせなくてはならない。このとき先生から「モリムラくんの今度の絵はあまりおもしろくないね。まえのはよかったのに」などと指摘されてしまうと、子どもというものもしたたかなものです。先生がどういう絵を期待しているかを察知して、ほめてくれそうな「だれかにみせる用の絵」を提出するというわざにでて、それとはべつにだれにもみせず好きなように描く「自分用の絵」も、かくれて描きつづけるようになりました。  長じて、私は美術家になったわけですが、美術家としての私自身の根っこのところまでさかのぼっていくとき、そこにみいだせるのは学校で描いていた「だれかにみせる用」のほうではなく、まちがいなく、かくれてコソコソ描いていた「自分用」のほうなのです。美術教育はむずかしい。そもそも美術や芸術をおしえることなんてできるのだろうか。自分自身の子ども時代を思いおこしながら考えさせられてしまいます。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「それにしても、だれにもみせずかくれて好きな絵を描いていただけの、あの子ども時代と、古代人が古墳やピラミッドの内部になにかをあらわそうとしていた太古、両者はもちろんぜんぜんちがうのですが、しかしどこかで水脈が通じているようにも感じられてなりません。その実感から、この節の冒頭で紹介した私の短文の最後を、つぎのような一文で終えました。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「 作品ともうしましたが、ごらんのように単なる男性用便器です。デュシャンがつくったわけではありません。工場で製造された工業製品です(くわしくいうなら、いま私たちが目にする『泉』作品は、工業製品のそのまたレプリカなのですが)。  工業製品なら、それはどう考えても「商品」です。ところがこの「商品」が美術館の台座におかれ、これはマルセル・デュシャンの『泉』だとキャプションがついたとたん、「作品」となる。  こういう現象は、だれにとっても「わかっていることの再確認」でもなければ、「あったらいいな」の世界でもありません。「なんでこんなヘンテコなものがここにあるのか、わからない」、つまり「ありえへん」世界の典型だといってもいいでしょう。  このような「ありえへん」事態に遭遇したとき、「わからない」から自分には無関係だとして、その場からすぐにはなれていくケースがほとんどかもしれません。しかし「なんだこれは、よくわからんな」と感じたあと、「それにしてもどうして、こんなありえへんものが、ここにあるんだろうか」とたちどまり、わからないから余計に気になって、もっとながめてみたくなる、そういうケースもないではない。そしてここまできたらそれはもう、あなたと芸術とのあいだに信頼関係ができつつある証拠です。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「「商品」「エンタメ」「芸能」などとの比較をつうじて、「芸術とはなにか」という問いにちかづこうとあれこれ考察してきましたが、最後にこんな話をしてみます。それは、表現における「究極のビジョン」とはなにかというテーマについてです。なんだか現実ばなれした仙人の領域みたいな話ですね。  紹介したいのは、中島敦の『名人伝』です。ここには〝仙人〟がじっさいに登場します。中島は 33歳で早逝した小説家( 1909/明治 42年 ~ 1942/昭和 17年)で、『名人伝』は中国を舞台にした弓矢の名人の物語です。 1942年、中島が逝く年に発表されました。以下『名人伝』のストーリーを私なりに追っていくことにいたします。  ……主人公は、弓矢の名人になりたいとねがう紀昌という若者です。紀昌は弓矢の達人、飛衛に弟子いりします。しかしなかなか弓矢をもたせてもらえない。師匠から「ただまばたきせず目をみひらいていろ」とだけ命じられる。訓練のすえ、紀昌はどんなことがあってもまばたきせずにいられるようになります。それでもまだ弓矢をもたせてもらえず、今度はそのまばたきしない目で、じっと一点をみつめろといわれます。そこでちいさなしらみをずっとみつづける。するとしらみがだんだん馬のごとくおおきくみえてくるようになってくる。こうして弓矢をつかうことがやっとゆるされる。もはや紀昌にはちいさなしらみが馬のごとくおおきくみえるわけですから、弓矢でしらみを射ることなどなんなくやってのけられるようになりました。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「本日のもともとのテーマは……そうでした。「芸術は必要か否か」でした。芸術は人間にとって必要なのか不要不急のものなのか。この問いを追いかけるにあたり、〝そもそも論〟として、「芸術とはなにか」というテーマを私なりの視点からお話ししてきたのでした。そして最後は中島敦の『名人伝』にいきつきました。『名人伝』を知ってしまいますと、「芸術は必要か否か」とか、「芸術とはなにか」というような問いに頭を悩ませているようでは、どうも芸術の名人にはほどとおいのではと感ぜずにはおれません。私は名人になりたいわけでもないし、仙人とやらに特別な興味をおぼえているわけでもありませんが、しかし頭を悩ませて追求していけば難問はかならずとけるというような思いこみは捨ててもいいのかなと、そのようにだんだん感じてきたのはたしかです。  あえていうなら、難問は〝解く〟べきものでも、〝説く〟べきものでもない。おのずと〝溶けていく〟ものである。溶けてしまえば、答えをもとめて悩むこともなくなる。そうなれば作品をつくったり、本書を書いたりする必要もなくなるのだろう。しかしなかなかそのようにはなりませんから、しばらくはつくったり、書いたりしつづけることになりそうです。ここはあわてず気長に〝溶けていく〟のを待つほかないようですね。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「そこで、青木繁を考察するのであれば、そのまえにまずはこの明治時代について私なりのとらえかたをみいだして、そののちに青木にたちもどるべきではないか、そう考えたのでした。  結論をもうせば、明治はけっして現代と断絶してはいなかった。ふるい過去ではなく、むしろいまをみつめなおすためにも目をむけるべき起点となる時代であった。  明治を考察するにあたり、ひとつテキストをつかいます。司馬 太郎著『坂の上の雲』。文庫本(文春文庫版)で全 8巻という長大作、明治を舞台にした歴史小説です。私は司馬 太郎さんの本をこれまでほとんど読んだことがなかったのですが、今回『坂の上の雲』に接し、いろいろ考えさせられました。『坂の上の雲』には三人の主要な人物が登場します。秋山好古と秋山真之、このふたりは兄弟(好古が兄、真之が弟)です。そして三人目が正岡子規。子規はよく知られているように、日本の詩歌に革命をおこした文学者ですね。  秋山好古は 1859年(安政 6年)、弟の真之は 1868年(慶応 4年/明治元年)生まれ。 10歳ばかり歳の差があります。正岡子規は 1867年(慶応 3年)生まれですから、秋山兄弟の弟のほうの真之とほとんどおない年で、このふたりはおさなともだちでもありました。  三人は同郷人です。伊予国松山藩、現在の愛媛県の生まれ。正岡子規は長じて文学者になり、秋山兄弟は軍人になりました。兄の好古は陸軍です。西洋式の騎馬隊を日本で組織したことで知られ、日露戦争においてロシア最強の騎馬隊といわれるコサック隊を撃破する。弟の真之のほうは海軍です。日本の連合艦隊の総司令官、東郷平八郎の参謀として、こちらもやはり日露戦争でロシアのバルチック艦隊に勝利する。司馬 太郎さんによれば、日本の連合艦隊がバルチック艦隊を撃破できたのは東郷平八郎のというよりも、むしろ秋山真之の功績がおおきかったらしい。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「この激動の時代を生き延びるために、士族の若者たちはいかなる選択をしたのか。このあたりのいきさつを、『坂の上の雲』はわかりやすく一行で語ってくれています。こんな感じです。「貧乏がいやなら、勉強をおし」。これがこの時代の流行の精神であった。(『坂の上の雲』司馬 太郎より)  廃藩置県によって失業した若者たちが貧乏からぬけだすためには、ともかく「勉強しなさい」という。  いまではもうだれも口にしなくなりましたが、かつては「末は博士か大臣か」というフレーズが流布しておりました。『坂の上の雲』によりますと、もはや藩に忠義立てしていても無益だし、剣術にたけていても、そういう武士的なスキルは必要とされなくなりました。ですから勉強して新時代がもとめる学問を習得し、学士(つまり博士)にならねばならない。工学博士になると鉄橋建設のリーダーというような立派なポストが約束される。医学博士ならあたらしい病院の病院長になることも夢ではない。勉強して博士になることがエリートコースへの第一歩であり、路頭に迷う一族郎党を貧困からすくいだすことのできる最良の選択肢だった。「末は博士か大臣か」の「大臣」も同様です。「大臣」は政治家や軍人と広義にとらえてもいい。ともかく明治の若者たちには、生き延びることと「勉強をおし」は同義であるという共通認識があったのだと思います。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「「なにをするのも東京だ」、なんです。「藩」の一国一国がそれなりに独立した自治権を保持していた時代は終わり、東京の中央政府の意向ですべてが決定される。そういう一極集中の時代なのであれば、新時代の情報をいちはやくキャッチするためにはやっぱり東京にいかなければならない。高い志をもった若者のこうした東京への憧憬を、司馬 太郎さんは、「若い者の胸をあわだたせていた」と書いています。「あわだたせていた」とは、なんともうまい表現だと感心させられます。  こうして「勉強」と「東京」が、新時代を生き延びるための明治の若者たちのキーワードになったわけですが、ここにさらにつけくわえておくべき明治の特徴があります。ふたたび『坂の上の雲』から引用いたします。  立身出世主義ということが、この時代のすべての青年をうごかしている。個人の栄達が国家の利益に合致するという点でたれひとり疑わぬ時代であり、この点では、日本の歴史のなかでもめずらしい時期だったといえる。(同書より)」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「坂本繁二郎は青木繁と同郷の久留米出身です。しかもおない年。親友でありライバルでもありました。青木の絵のメランコリアにひかれた漱石は、坂本の〝牛の絵〟にもひかれています。〝牛〟で思いだすのは、漱石がふたりの弟子、芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙文です。漱石は〝牛〟についてこんなふうに書いている。  牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。  あせっては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。(中略)何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。(芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙文からの抜粋  夏目漱石  大正 5年8月 24日* 1)」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「 神戸港に船がつき、それから東京にむかったかというとそうではなかった。洋行帰りの画家といういわゆる〝箔〟がついていたにもかかわらず、坂本は神戸港からそのまま郷里の久留米にもどってしまい、のちには八女のアトリエで生涯絵を描きつづけることになる。  東京をはなれ大島へ写生旅行、そしてフランスへわたり、パリではなくブルターニュ地方などへと旅してまわり、帰国後は一目散に郷里へという坂本の人生の旅路は、くりかえすようですがゴーギャンにおけるパリぎらいとタヒチへの移住という人生の旅路と、どこかかさなって感じられてくるのです。坂本繁二郎の過激な寡黙  蛇足ながら、『大島の一部』には、坂本繁二郎という画家にたいする私自身の見方をおおきくかえることになった、私なりの発見がありました。  この絵の右半分の中央あたりに、なにか動物がおりますね。絵のほかの要素にまぎれてわかりにくいのですが、黒猫がいます(図 15)。この黒猫、エドゥアール・マネ作の『オランピア』(図 16)のベッドの右はしに描かれた黒猫とそっくりではないでしょうか(図 17)。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著


    「坂本繁二郎の絵には、寡黙であるからこその饒舌がある。ここをみおとすと坂本繁二郎のおもしろさをじゅうぶんにはあじわえないのではないでしょうか。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「本作でドキッとさせられるのは奥にある能面です。裏がえしになっていますね。てまえの能面は白くて美しい顔ですが、裏をむけるとたちどころに暗くて荒々しくグロテスクな相貌をあらわにします。  坂本繁二郎は人間の姿を描くことが極端にすくない画家ですが、人間がもつおもての顔と裏の顔を、能面をとおして目をそむけずに凝視することはわすれられていません。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「ある美術系の大学で特別講義をしたときのことを思いだす。受講生は日本でまなぶ世界各国からの留学生たちだった。話したテーマは、「私が私であること」。いわゆるアイデンティティとはなにかについて、私なりの見解を披瀝することだった。  通常アイデンティティといえば、それを失ってしまえば、もはや私が私でなくなってしまうような、そういう各人のよりどころのことをさしている。自分がどんな人種に属しているかを自覚すること。どういうセクシュアリティの持ち主なのかを意識すること。宗教、イデオロギー、家族への愛や血筋へのこだわり。仕事や趣味。各人各様であろうが、いずれも私を私としてつなぎとめてくれる〝よすが〟のことをアイデンティティと呼んでいるのだと思う。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「ビートルズを聴くことや、宮崎作品をみることによってはぐくまれる、すばらしい感受性というものが確実にある。そのことに異論をさしはさむつもりがあろうはずもない。しかしなにかをあえて聴かないこと、あえてみないこと、あえて知らないでおくことによってはぐくまれるまた別種の感受性や文化、これもまた確実にあるにちがいない。  そのように信じて、へそまがりな「見ざる、聴かざる、知らざる」の性分を、むしろポジティブにとらえなおし、これを「アマノジャク・スピリット」と名づけてみてはどうかと自分勝手な人生哲学を思い描いてみた。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

    「極論をあえていわせていただくなら、美術であれ、音楽であれ、文学であれ、なんであれ芸術というものには、山積する人類の難題を解決する力も、世界を牽引するつよいリーダーシップも、残念ながらやっぱりそなわっていないと痛感する。芸術が人類を救えるなどと過信してはいけないと思うのだ。芸術にできるのは、生き延びたくても生き延びることができなかった人びとや出来事に、「わすれないでいるからね」と、懸命に孤独なまなざしをさしむけることだけであろう。  ただときおり奇跡的にその真剣なまなざしが、深くて重い悲しみのかなたにほのかな光明をみつけだすことがある。そのかがやきがきっと〝美〟なのだと思う。作品のどこかにそのかがやきの照りかえしがあるかどうか。これはもう一種の賭けとなる。」

    —『生き延びるために芸術は必要か (光文社新書)』森村 泰昌著

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    2026年09月27日
  • 自画像のゆくえ

    Posted by ブクログ

    これかなり面白いな・・・
    作品の解釈は自由だけど、明確な理由を根拠にした仮説に基づく解釈がなされると本当に面白い。すごい本だった。
    自画像の祖的存在はファン・エイク(1395〜1441)。『赤いターバンの男』。15世紀に今日我々が知るような鏡が誕生した。それが自画像の始まりに必要不可欠であった。
    登場はダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラント、フェルメール、ゴッホ、フリーダ・カーロ、アンディ・ウォーホル、著者自身。

    備忘的にキーワードを・・
    ・ダ・ヴィンチ:絵は9点しか残っていない。完成された作品は「受胎告知」「岩窟の聖母」「最後の晩餐」のみ。ダ・ヴィンチを描いた絵は本人のものかは疑わしい。公式ポートレートとして美化され、それも相まって19世紀以降に再評価されただけ説。
    ・カラヴァッジョ:けっこう悪い人。2週間集中して書いて2ヶ月遊び歩くような生活。人間の悪の面を描いている。
    ・ベラスケス:19世紀スペイン、ハプスブルク家の宮廷画家。「ラス・メニーナス」について考察。「ブレダの開城」。大人の品格のある絵。
    ・レンブラント:「夜警」。工房制をとった。絵画需要の多い社会的背景。その中でも自画像は画家自身が描くオリジナル商品という暗黙の了解があり、特に売れ筋だった。なので、レンブラントは自画像をたくさん描いた。17世紀ごろのこと。この頃の自画像は、画家が自身を見つめ直す意味合いだけでみるのではなく、そのような市場性も鑑みる必要がある。
    ・フェルメール:まじでかっけえ。「デルフトの眺望」「牛乳を注ぐ女」。「デルフトを襲った火薬庫の大爆発という大災害から復興しつつあるデルフト市にたいする、鎮魂と祈りを込めて丹念に描かれた連作ではなかったか。」ポワティエ、光滴という、光を白の点で描く独特の技法。
    ・ゴッホ:弟のテオと2人兄弟だと思ってたけど、2人の弟、3人の妹がいる長男だったんだね。日本が好きだった。
    ・フリーダ・カーロ:はじめて知った。かなり強烈な、戸惑うような絵を描く。ゴッホもそうだったけど、本当に気持ちに素直だよな。すごいよな。。イサム・ノグチと愛人関係があったが、夫のディエゴ・リベラが乗り込んで来た話はおもわず笑っちゃうね。
    ・アンディ・ウォーホル:あんありウォーホルのことは知らなかったけど、パンクな表の表情と、孤独な裏の表情と。人間味のある人だったんだ。バンクシーはウォーホルは顔を出しすぎたって言ってた。

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    2020年04月11日
  • 知識ゼロからのフェルメール鑑賞術

    Posted by ブクログ

    セルフポートレートをされてる森村さんらしい視点に、既存のフェルメール研究家とは違う発見があってとても面白かった。

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    2014年07月01日
  • 生き延びるために芸術は必要か

    Posted by ブクログ

    芸術家は、制作活動を続ける上で、権力者に一定の配慮をする必要があった。
    かっての芸術活動は、王侯貴族などのパトロンがいてこそ継続できた。

    例えば、王侯貴族の肖像画を描く際に、スポンサーが喜ぶように描くこと。

    本書では一例として、19世紀のスペインの画家、ゴヤの作品、カルロス四世の家族、を挙げている。

    当時は皇后が実権を握っていた。その皇后の肖像を中央に描く配慮はしたものの、美しく描かなかった。
    当時の肖像画が、少し盛って美しく描くのが当たり前だった。

    この作品を観た皇后は、怒りを覚えたかもしれないが、破棄せず残すことを選んだ。
    その理由は、愛する我が子と中央に並んだ絵画、つまり次の王は誰かを示す絵画だったため、ともいわれている。

    一流の画家は、ただ権力者に従うだけでなく、自分の想いを権力者の意向に反しても、作品に込めることができる者でもある。

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    2025年11月21日
  • 生き延びるために芸術は必要か

    Posted by ブクログ

    おもしろかった。
    特にタイトルとなった第6話がよかった。

    見出しの言葉が端的でそれだけでもはっとする言葉。(以下、見出し)
    役に立つことと、生き延びることはおなじではない
    生き延びたいとねがうのはだれか
    「本になる人びと」がおしえてくれること
    芸術家を支援するには鉄則がある
    芸術とは、百年単位で作り上げる「普遍妥当性」である
    無観客の展覧会とはなにか
    「作品」と「商品」はなにがちがうのか
    「あったらいいな」と「ありえへん」
    美術館は、よくわからない
    「芸術」と「芸能」と比較する
    若い者の胸をあわだたせていた時代
    「アイデンティティの空白」を批判される
    生き延びるためには、勇ましくあってはならない
    持続不可能性建築に託すもの

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    2025年11月09日

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