足利義昭と信長の検索結果

  • <足利義昭と戦国時代>執念の信長包囲網

    <足利義昭と戦国時代>執念の信長包囲網

    室町幕府最後の将軍足利義昭。織田信長に利用され傀儡と化した将軍職だったが、義昭の“打倒信長”の目標は潰えなかった。その執念は、毛利、武田、朝倉、浅井そして本願寺らを巻き込み一大信長包囲網を築くに至る。信長を苦しめ続けた義昭の執念にせまる。
  • <織田信長と浅井長政>二者択一に迫られた長政の決断

    <織田信長と浅井長政>二者択一に迫られた長政の決断

    近江国北部三郡にその領国を展開した浅井氏。浅井三代の一人、長政の時代、浅井氏は急成長をとげ、遂に尾張の織田信長と同盟を組むにいたった。ところが、足利義昭と信長の対立が思わぬ事態を呼びよせる。信長の片腕にもなりえた長政“裏切り”の必然性とは。
  • 武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る

    武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る

    ビジネス・実用
    4.4
    1巻1,200円 (税込)
    日本を代表する戦国期武田三代の研究者が、その波乱の歴史を語る。武田信虎は1507年、国衆が周囲に割拠し、しかも今川・伊勢・諏方氏と敵対関係に陥っている状況で武田惣領家を受け継いだ。その後、信虎はいかに甲斐統一、また首都甲府の建設を成し遂げたのか。その信虎を追放し家督を継いだ信玄は、武田家の版図を信濃、飛騨、駿河にも広げ、晩年には足利義昭・織田信長・上杉謙信を驚倒させる外交戦略をとって信長と対峙する道を選ぶ。信玄が打倒信長にこだわった理由とは。しかし、その直後信玄は急死し、諏方神(すわじん)氏を称していた勝頼が跡を継ぐ。長篠の戦いのあと、一時は信玄を超える最大の版図を得たのにもかかわらず、勝頼はなぜ最後の武田家当主となったのか。信玄があのタイミングで信虎を追放した理由、長篠の戦いの真の敗因なども、最新の研究成果を踏まえて明快に解説。源義光の子孫である甲斐源氏の家宝「御旗・楯無(鎧)」を代々受けついだ名門武田家の実像に迫る。

最近チェックした作品からのおすすめ