【感想・ネタバレ】長崎丸山遊廓 江戸時代のワンダーランドのレビュー

あらすじ

10両程の身代金(約100万円)を背負って商売をはじめ、運と実力があれば揚代だけで年間1000万円を超え、プレゼントに至っては一度に数百万円単位で得た。その収入は本人の貯蓄のみならず家族や親戚、出身の地域社会まで潤すことができた。娘たちだけが持っている可能性を生かしたサクセスストーリーが丸山遊女にはついてまわったのである。
長崎は対外貿易港であったが、そこで取引される製品に長崎で生産されたものはなく、また貿易に携わる商人も、先の西鶴の作品にもあったようにもっぱら京大坂の大商人であった。言うなれば長崎は「場所」を提供し、貿易の事務手続きを請け負いその手数料を得るだけで、「商売」の主役ではなかった。手をこまねいているだけでは貿易の「上がり」は長崎住民の頭の上を通りすぎていくだけだった。対外貿易の「上がり」をできるだけ長崎に落とさせる、そこに他の都市の遊廓とは異なった長崎丸山遊廓の存在意義はあった。長崎において遊女が特別な存在とされたのは、なによりもまず、都市長崎があまりにも小さく、あまりにも貧しかったからだった。地場の生産力の不足を補うために都市に貿易の利益を還流させるという重要な役目を担っていたのが遊女たちであった。つまり、遊女は長崎の第一の「商品」だったのだ。
丸山遊女の多くは長崎市中や近郷の貧しい家庭の出身であった。「籠の鳥」として、親元からは切り離され、孤独な生を営むことを余儀なくされていた吉原をはじめとする他の遊廓とは異なって、長崎の場合、ほとんどの遊女は実家と密に連絡をとり、遊女となった後も地域社会の構成員としての意識をもちつづけていた。また奉行所をはじめ、都市をあげて遊女を保護し、嫌な仕事は拒むことも可能だった。長崎の街は一つの運命共同体であり、住民の生活が成り立つようにするためには、他所から訪れた商人が長崎で得た貿易の利益を丸山で揚代や贈物として吸い上げ、そのようにして得た利益を回して貧しい借家人まで潤してゆかなければならなかった。そのような「トリクルダウン」の手段として、丸山遊女の果たす役割はすこぶる大きかった。それゆえ、現代の価値にして数千万円の収入を得る可能性もある遊女は、むしろかならず、長崎市中の出身者でなければならなかったのだ。
本書では、このような視点のもと、丸山遊女が当時の人々からどのように見られていたかについては今日的な視点から早急に判断を下すことを避け、当時の人々の気持ちが想像できる資料をもとにして論じていきたい。

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Posted by ブクログ

先日1995年初版の吉見義明さんの「従軍慰安婦」を読んでいて、「陸軍では、上海派遣軍の岡村寧次参謀副長副参謀長が海軍の慰安所を参考にして、1932年3月から(慰安所の)設置あたった。その回想によれば、上海で日本軍人による強姦事件が発生したので、これを防ぐため長崎県知事に要請して『慰安婦団』を招いたという(稲葉正夫編『岡村寧次大将資料』戦場回想編)。シベリア・アジア・太平洋各地に、売春のために身売りなどで出て行かされた『からゆきさん』は、長崎県出身女性が多かったので、陸軍はまずそれに目をつけたのだろう。」と記載があり、なぜ長崎県の女性なのかとの疑問が残ったままモヤモヤしていていた。その後、時々参考にしている福岡県弁護士会の書評を閲覧していたら赤瀬浩さん「長崎丸山遊郭」が目にとまり、モヤモヤの答えとなるべき書籍ではないかと早速購読した。
前振りは長くなったが、従来から交易のあった中国や韓国に加え、16世紀になってポルトガルや阿蘭陀(オランダ)船も来港するようになった。徳川幕府で鎖国令が引かれ、徳川幕府では長崎の出島を交易の中心に、阿蘭陀や東南アジアを含む唐人が来港するようになり、博多から来た遊郭業者などによって、丸山遊郭を中心とした遊郭や町が広がっていった。家族や各町は遊女たちの稼ぎで生活し、妙齢(概ね25歳)を過ぎれば、地域に戻って結婚し、その子供たちが禿(7歳~15歳)として遊女に付き、貧農である長崎の町が大きく発展し、島原や天草からも遊女が集まるようになった。遊女たちは、オランダ人や唐人対して手練手管を駆使して、遊行費の出費や贈答品などを入手し、家族や地域に還元した。芸を磨き、多国の言葉を駆使し、マネジメント力を身につけた遊女たちは地域の大きな力になっていたのだろう。
明治となり、遊郭は廃止され、公娼制と貸座敷制へ移行する中で、丸山遊郭も大きく変化した。その時代の変化の中で、多言語で会話できる長崎の女性たちは「からゆきさん」となり、慰安婦になったのではないかと推理するが、その背景を調べるのは今後の課題となりそうだ?

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2022年08月24日

Posted by ブクログ

江戸吉原に関する本を読むことが多かったが初めて地方の遊郭に関するものを と選んだ。
丸山のデータや特徴は吉原ものを読んできた自分にとってびっくり。びっくり。またびっくり。
そこに記されるのは幼い少女が奴隷として売却される、1人1人人間の過酷な記録なので面白がったり驚いたりするだけではこの本を読んだことにはならないんだろうけど、生き地獄に少女を突き落として経済のエンジンをかけるのは今も昔も変わりなく。

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2023年07月27日

Posted by ブクログ

世の中には表もあれば裏もある。歴史もいろいろある。教科書にはまず掲載されないが人間がいれば必ず発生する業界を取り上げている。





遊郭は女性が自分の性を最大限武器にして男の気分を良くして釣り、お金を儲ける商売だ。大名や豪商がスポンサーになって「推し」になれば、いい金づるになる。有名なのが江戸にあった吉原だ。





今回の本では長崎の遊郭社会を取り上げている。他との最大の違いは、唐人やオランダ人を相手にしていたことだ。




長崎は鎖国時代も日本唯一の貿易の窓口として唐人やオランダ人との交易を行っていた。交易でやってくる者たちは男だらけだ。そうなると女性を求める者も出てくる。なれない異国だけに寂しさを紛らわすために女性に心のすき間を埋めてもらおうとする。





ここで遊郭の出番となる。長崎にとって遊郭の存在は、セールスポイントとなる地元の商品がない中での唯一の資金源となっていた。





その上、地元の貧しい家庭出身で、実家とも繋がりがあり、遊女になったあとも関わりがあった。遊女奉公を終えると実家に戻り結婚、出産をするの普通の生活だった点で他とは違っていた。





読んでいくと遊郭という特殊な世界で繰り広げられていた様々なことがあったのだなと思った。今の時代だとかみつかれることだが、江戸時代にあった歴史の事実として知っておくのも必要だな。

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2022年01月16日

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