あらすじ
台所からきこえてくる音に病床から耳を澄ますうち、料理人の佐吉は妻のたてる音が変わったことに気付く。日々の暮らしを充たす音を介して通じ合う夫婦の様を描く「台所のおと」のほか、「濃紺」「草履」「雪もち」「食欲」「祝辞」「呼ばれる」「おきみやげ」「ひとり暮し」「あとでの話」を収録。鋭く繊細な感性が紡ぐ名作集。
なにげない日々の暮しに
耳を澄ませ、目を配り、
心を傾ける。
透徹した感性が紡ぐ珠玉の短編集。
女はそれぞれ
音をもっている
とかくあやふやに流しがちな薄曇りの感情に
端然とした言葉をあてがい、作中人物に息を吹き込む。
幸田文による人間観察の手つきについて考えていると、
江戸川乱歩とのある対話が脳裏に浮かんできた。
――平松洋子(解説より)
新装版に寄せて、青木奈緒によるエッセイも収録
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Posted by ブクログ
10の短編からなる、こちら。
基本的に、妻の目線から描いた短編なんだけれど、どの章にも心に残る文があり、驚いた。
いくつかを書き留めておきたい。
「仕事が思うように切り開けず、一生この程度の生活しかできないかもしれないけど、それはそれで仕方がないと思う。だからなおさら、家庭はいい家庭に持続しなければ、誰が損なのでもなく自分が損なのであった。」(「祝辞」)
「夫には妻をしいんとさせるいくつかの過去があっても、埴子には夫をしいんとさせるだけの過去はないが、それは馬鹿を見たような気もするものだった。」(「雪もち」)
「こういう場合、病気という弱さを持って、臥せているほうが、健康という強さをもっている看病人より力があった」(「食欲」)
「『心の貧困が原因よ。心をよせることが、あまりにもなんにもないから、看病だのお葬式だのっていうとハッスルするのよ。』(中略)ひとりよがりのさし出た仕わざじゃなかったろうか、そこを思うとたしかに悔いがあった。その愁いや悔いに重石をかけているようなのが、克江のいう、人の不幸にハッスルするなんて、ほんとうにいやらしい、という言葉だった。」(「おきみやげ」)
読むきっかけになったのは、ヴィム•ヴェンダースの映画「Perfect Days」に、幸田文さんの「木」が出てきたから。
書店hera booksさんで、「木」はなかったんだけれど、こちらがあったので、思わず購入。
買って正解。読めて本当に良かった。
1956〜から書かれた短編なんだけど、現代の日本の女性作家に通じるものがここですでに始まっていると思う。
斬新とか、ドラマチックとかそういうのではないんだけれど、人間を観察する目がとても鋭い著者が、当時の特に大それたことはない日常を描きながらも、巧みな文章で人間のさがとその社会を描いてる。
「それだけの持ち札で、ここまでストーリーを深くさせられる?!」ってびっくするお話ばかり。「台所のおと」は吉本ばななさんの「キッチン」、「祝辞」では原田マハさんの「本日は、お日柄もよく」を思い出させるんだけど、実際内容としては、2つの作品ほどドラマチックな展開は起こってないんだよね。
それなのにここまで感動するし、この常に落ち着いてしーんとした感じの中で、人を惹きつけるものがあるのがすごい。
こういうの大好きなので、ちょっと慌てて読んだところもあるからまた読み見直したい!
Posted by ブクログ
幸田文さんの本を読むと、小説家ってすごいんだなと心から思わされる。全話良くて、特に『台所のおと』は自分が間近で夫婦のやり取りを見ているかのようだった。文章としては『食欲』のこの部分が刺さった。
ネタバレ
・光るなんてことは自分一人が光っても、肝腎の自分には明るさを見て楽しむこともできはしない、光は自分から外へ出て行ってるんだもの。みんながいっしょに光ってこそ、こっちから人の明るさを見ることができて楽しいだのに、光るべきはずの一緒にいた人がみんな光らなくされて自分ひとり光らされていれば、光の楽しさはなくて、光らされているだけに身動きもままならないつまらなさ、てれくささ。見当違いに褒められていて沙生はぴかぴかひとりぼっちだった。