【感想・ネタバレ】姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集―(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

煙と客が充満するモツ焼き屋で、隣席の男が語り出した話とは……戦慄の表題作。巨鯨と人間の命のやりとりを神話にまで高めた芥川賞受賞作「鯨神」、すらりとした小麦色の脚が意外な結末を呼ぶ「花魁小桜の足」、村に現れた女祈祷師の異様な事件「西洋祈りの女」、倒錯の哀しみが詩情を湛える「ズロース挽歌」、石汁地蔵の奇怪なる物語「リソペディオンの呪い」。圧巻の迫力に満ちた六編。(解説・篠田節子)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

本の雑誌で「芥川賞受賞作家で、官能小説家に転身した」と紹介されていて興味を持って手に取った。興味を持たざるを得なくないか!?笑。
本短編集自体は面白く読んだが、沼落ちするわけでは残念ながらなかった。紹介されるフェティシズムというか、官能要素が、私が谷崎に感じるものと結構一緒で笑、「あー足ね、はいはい」と言った感じ。収録作品は6つの短編+エッセイ。収録作品の中では、表題作の「姫君を喰う話」と「花魁小桜の足」が好きだったかなあ。引きたいと思う文章には特に出会わなかったのも残念〜

「姫君を喰う話」これエロというより、飯テロ小説とも言える笑。最初のモツ焼き屋の描写が食欲をそそる。
隣にいる虚無僧が実は、、と語り出したのは自分が滝口武者の平致光であるということ。滝口武者って平安時代か〜と斎宮・済子女王と密通事件の真相?を語ってくれるわけで、実際に性交したわけではないが、目眩く官能モーメントを経て、彼女を拐かしたが、凍って死んでしまったのを頭から食べた、という話。これ自体は絵巻が残っていたり、実際の物語に着想している。
愛している者を食べることで取り込みたい、であるとか、モツを食べながら器官を味わうとか、観念的に楽しむことだと思うので(そしてそれは私もよくやる)、そういう意味では純粋に感情移入できて楽しかった

「鯨神」芥川賞受賞作

「花魁小桜の足」自分の足を褒められた隠れキリシタンの遊女が、さぞ踏まれたら喜ぶだろうと思って踏み絵をする話

「西洋祈りの女」西洋祈り、と名付けて西洋風祈祷師を登場させたのは、面白かった。当時はそういう言葉があったのかしら?最後は悲劇で幕

「ズロース挽歌」ズロース愛に取り憑かれた男の告白。うーん全然これがわかんないんだよねえ、美しくないじゃん!

「リソペディオンの呪い」マゾヒズムとホラーが取り入れられたバランスの良い小品だと思うが、ピンとこず。

0
2026年05月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『花魁小桜の足』
愛する男と天国で出会うためカトリックに入信した小桜が、来たる踏み絵に向けて苦慮する話。

踏み絵を断った遊女が処刑される場面が強烈で、ハリツケを受け入れる信者の盲信が不気味。
結末も捻りのある展開だった。

『西洋祈りの女』
青年会館での場面では、その場の異質な雰囲気に呑まれる大衆に対して一人黙って凌辱され続ける女との対比が素晴らしい。

上記に加え『姫君を喰う話』、『ズロース挽歌』が好き。

0
2026年01月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書をどういう経緯で知ることになったのか忘れてしまった。けれど、この本はきっと面白いのだろうなという予感がして、それは裏切られなかった。
少し奇妙な感覚だと思う(のは自分だけかもしれない)けれど、例えば表題作「姫君を喰う話」や、「鯨神」、「ズロース挽歌」については、ある意味読み始める前に予想していた通りの物語だったと感じた。
本書をそういう型にはめた呼び方をしてはいけないのかもしれないけれど、純文学的な作品は、自分にとっての気晴らしや安らぎになるようなミステリーなどの小説とは違って、緊張感をはらんだ読書体験になることが多い。それは、思っていたよりも悲劇的だったり、または反対に笑えるものだったり、筋書きの面で(も)読後にショックを受けることが少なくないからだと思う。しかしこの意味では、先に挙げた短編は、むしろ、期待していた通りの展開で、期待していた通りの緊張というか、興奮を与えてくれたように思った。
例えば「鯨神」は、どうしてもあの「白鯨」のイメージを持つ読者が多いのではないか。そして筋書きとしてもそのように進行する。けれど、「白鯨」が様々な人種の関わる、世界的スケールの物語だったのに対して、「鯨神」はどこまでも土着のというか、内輪の、ある日本の漁村の神話という気がする。
解説にもあるように、「西洋祈りの女」も同じく、田舎の習俗というか濃いその場所の空気を、そこで人々がどういう息遣いをしているかまで、描くのが上手いと感じた。自分も田舎といっていい場所で育ったけれど、「鯨神」や「西洋祈りの女」を読むと、田んぼの泥とか、透き通った川とか、何がいるのかわからない山とか、幼い時の性的な関心とか体験がものすごく自分の近くにあるような感覚を思い出した。田舎では、文学のこととか本のことを考える人なんていないと思う、けんかとか性的なこととかにしか、あまり関心は払われないと思う、特に若い人たちには。というと、もちろん極論というかもはや偏見かもしれない。でも、そういう田舎のどろどろした生活や野卑な性的な関心などと、何かしらの聖性をもつものとの出会い、邂逅、昇華?というものが描かれていたように私には感じられた。それから、「がくがくする下顎と生あくびを必死でかみ殺していた」という表現が、「西洋祈りの女」にはあって、これも印象に残った。田舎では、なんというか興奮と怠惰・退屈とが、表裏になっているような気がする。
また、全く関係ない感想なのかもしれないけれど、本書では、都会よりは田舎の、現代的というよりは少し前の時代の官能的な話が収められていた。そこで感じたのだが、現代の、都会のなかの性を扱った小説は、どこか、生々しくていやである。なんでだろう…それは、自らを直視したくないということなんだろうか。本書は、やっぱりどこかフィクションの中の性として考えて読んでいたように思う。

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2021年10月10日

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