あらすじ
近代オリンピック百年の節目となった1996年大会は、父祖の地アテネを押しのけ、グローバル資本を背景にもつスポンサーとテレビ局によってアメリカ・アトランタに持ち去られて開幕。著者は全日程をつぶさにレポートしつつ、五輪はいまや「滅びの道」を歩んでいるのではないかという仮説を抱くのだった……。一見華やかだが、巨体に悶え、岐路に立たされる五輪の姿を見出した最前線傑作ルポ。(解説・阿川佐和子)
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Posted by ブクログ
古代オリンピックが消滅したようにこの近代オリンピックみ衰退の一途を辿っているのではないか。
沢木氏の近代オリンピックに対する視点は批判的で。
古代、勝者が得るものは栄誉とオリーブの冠だけだったオリンピックがあからさまな商業主義の生贄となってしまった。
彼の非難は大会をそんなものにしてしまったサマランチ会長に限らずスポンサー、選手自身、それを許してしまっている世の中の人々にも向けられている。
特にこの作品で取り上げられているアトランタ五輪に関しては近代オリンピックがアテネで始まって100年目という記念すべき大会であるにもかかわらず何故アテネでなくアトランタなのか。
まさしく巨大スポンサーであるアメリカの横暴にIOCが抵抗できなかった所為である。
Posted by ブクログ
アトランタオリンピックのノンフィクション。
沢木耕太郎が体験したアトランタという街とオリンピックは…。
東京オリンピックはかつてないコロナ禍での開催となった。
どのオリンピックも最先端技術を駆使して、綺麗な映像やパレード、選手村の様子が華々しく映し出される。
付け焼き刃的なドタバタもあるものだ。なかなか冷静な対応もできなかったり。
アトランタにそんな事があったのかと改めて知ることができた。
東京オリンピックとの比較もしながら、アトランタの裏方や背景が沢木耕太郎から溢れて止まらない。
たっぷり楽しめた。
Posted by ブクログ
ナチスをテーマにしたナチの森からに比べると、平和な世界、日本の成績がいまいちなどから、ナチスの森ほどは引き込まれなかった。小気味の良い沢木ルポは健在であり、気持ちよく読める一冊
Posted by ブクログ
沢木耕太郎とオリンピック。しかも、過去のオリンピックに想いを馳せて旅をするということではなく、現在進行形のオリンピックを体験するという形。この組み合わせに違和感を感じて、本書を手にした。
案の定、著者は現代の商業主義が行きすぎたオリンピックに批判的な立場。読み物としては十分面白いのだけれど、この著者に書いてほしくなかった、というのが率直な思い。
書く対象に寄り添って、想いを寄せる。予想外の展開が起きても、抵抗しないで受け入れる。私の好きな沢木耕太郎のテイストは薄かった。
Posted by ブクログ
近代オリンピック百年の節目となった1996年の大会は、父祖の地アテネを押しのけ、スポンサーとテレビ局によってアメリカ・アトランタに持ち去られて開幕。著者・沢木耕太郎氏が全日程をつぶさにレポートしつつ、「五輪」はいまや「滅びの道」を歩んでいるのではないか・・・?岐路に立たされる五輪の姿。