あらすじ
太平洋戦争屈指の激闘だった硫黄島をめぐる日米の戦い――。米国はB-29による東京爆撃の中継基地として硫黄島を欲し、日本は予想される本土決戦を少しでも遅らせるため、この島を死守する必要に迫られた。しかし硫黄島は火山島であり、いたる所で硫黄ガスが噴出し、満足に飲み水すら確保できない場所――。そんな悪条件ばかりの孤立無援の島で守備隊の将兵を鼓舞し、米軍の猛攻に死力を尽くして立ち向かった日本側指揮官、それが栗林忠道中将である。彼は、それまで日本軍の伝統だった“水際撃滅”の戦術を放棄し、硫黄島全体に巨大な地下要塞を造りあげ“徹底的な持久戦”で挑んだ。そして自軍の3倍を超える圧倒的兵力の米軍に対して、ガダルカナル戦を遥かに上回る大損害を与えて米国民を震撼させた。戦後60年を経た今なお、太平洋戦争中、日本陸軍で“最も優秀な指揮官”として日米双方から高く評価される名将の実像に迫る。
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Posted by ブクログ
栗林忠道は私の尊敬する人物の1人である。栗林に関する書籍は様々出ているが、梯久美子氏の「散るぞ悲しき」は涙無しには読むことの出来ない名著であったと記憶する。それら書籍を読むきっかけになったのは2006年のアメリカのクリント・イーストウッドが監督を務めた2つの映画だった。渡辺謙と二宮和也が主演を務め、硫黄島の戦いを日本兵の視点から描いた「硫黄島からの手紙」。そして同じ戦いをアメリカ側の視点から描いた「父親たちの星条旗」の姉妹作。この2作は何度も繰り返し観た。特に渡辺謙が演じる栗林忠道は、会社で管理職なりたての自分に、率先垂範し部下を鼓舞しながら最後まで諦めずに奮闘するという管理者の理想像そのものを与えてくれた映像だった。勿論エンターテイメント性を重視したフィクション的な要素がある事は理解しつつも、最後の局面で言う「予は常に諸氏の先頭に在り」の言葉は印象に残る。なおこの言葉を含む決別電報は何度涙したことか判らない。
硫黄島の戦いは卓越した指揮官である栗林忠道が注目される事が多いが、本書はその指揮下にある佐官クラスの優れた登場人物に光を当てている点が面白い。実際の戦闘が始まるまでの間は硫黄島の硬い岩盤を手彫りして全長17キロに及ぶ(計画は28キロ出会ったが間に合わず)坑道を構築した事で知られるが、この間に作戦に同意しない参謀クラスを更迭し、自らが求める作戦に必要な人材を集めた。本書の中で陸軍作戦部長である真田穣一郎少将に掛け合い、歩兵戦闘の神様と呼ばれる中根兼次(戦史では栗林を斬殺したとされるが)中佐や高石正大佐、将官では千田貞季少将の赴任を打診するシーンなどは読みごたえがある。栗林が硫黄島の戦略上の重要性を見据えて、大本営に本気度を窺う心理は非常に興味深く、駆け引きや心理戦においても優れた能力を発揮していた事が伝わってくる。それ以外にも海軍陸戦隊の市丸利之助少将や西竹一大佐など、前述の映画の中にも登場する優秀な人材を従え、アメリカが予想する数日で占領するという予測を遥かに上回る期間、そして日本兵以上の兵員の損害をアメリカに与える結果となった硫黄島の闘い。
本書は日本側視点とアメリカ側(主にホーランド•スミス中将)の視点が交互に入れ替わり記述され、冷静に落ち着き払って「死の覚悟」を受け入れた栗林と、怒りに満ちたスミスを対比して描いている。双方が相手の立場になって、どの様な出方をしてくるか緊迫した心理戦が展開されていく。結果は勿論誰もが知る硫黄島陥落であるが、栗林をはじめ、食料も水も武器も限られた環境にあっても最後まで敢闘精神を失わず、本土防衛の御盾となり散っていく英雄たちの姿が生き生きと描かれている。
栗林は戦場からも家族(特に子供に対して)筆まめとして知られるが、本書はそうした描画はなく、血生臭い戦闘一色である。戦闘開始後は束の間の休息もなく削られていく命の時間を、ただ運命に逆らわずに刻々と過ぎていく時間を残りページが減っていくのと同じ様に辿っていく自分(読者)がいる。