あらすじ
1940年、第二次世界大戦への参画を睨む近衛文麿政権は、国民を戦争に動員するための「新生活体制」の確立を唱えた。生活を一新し、国民を内面から作り変える――。そのために用いられたのは、男性を戦場に駆り立てる勇ましい言葉ばかりではなかった。「ていねいなくらし」「断捨離」「着こなし」「町内会」「二次創作」。これらは、元を正せば戦時下に女文字のプロパガンダがつくりだしたものである。現在私たちが享受する「当たり前の日常」の起源を問い、政治の生活への介入があからさまになった「with コロナ」の暮らしを見つめ直す。
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Posted by ブクログ
炊事や衣服、4コマ漫画などの気楽な娯楽からも翼賛を染み渡らせる工夫があったことを丁寧に分析。花森安治って朝ドラに出てきてたよね?レベルの知識だったため、本書で彼の才能が翼賛にも大活躍だったと知り驚いた。
確かに、コロナ禍、そして今のロシアのウクライナへの一方的な攻撃がある現在、憲法改正、”新しい生活様式”など、またファシズムを下が上に求めてしまっている気配を感じる。束ねられないように注意だ。
Posted by ブクログ
「戦争は『新しい生活様式』の顔をしてやってくる」
戦時プロパガンダと言えば「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」などのスローガンが思い浮かぶ。今見ると、上から押しつけられる強い言葉にとても違和感を感じる。
しかし、なぜ戦時下の国民がその様な言葉を(なぜか)すんなり受け入れて、出征する我が子を「お国のために」と見送り、見送られる男子も「お国のために死んできます」と出発し、生きて帰ると非国民となじられる、というおかしな思想になったのか。
他の戦争関連の書籍や番組などで、決して受け入れているわけではないけれどそうするしかない状況があったと理解したけれど、何故そのような空気になったのかは常々疑問だった。天皇が神だいう時代だとしてもそのような理不尽をすんなり受け入れるものなのか?
「暮しのファシズム」では、生活のベース(家庭)に戦時プロパガンダが忍び込む様子が解説されている。
戦争へ行く男子だけではなく、そのベースになる家庭を守る女子にも巧妙なプロパガンダがされていたことがわかる。
「ていねいなくらし」「断捨離」「節約」「工夫」現在も使われているこれらの言葉が、「新しいくらしの提唱」の顔をして、戦争に向かう、または戦時下の人々をまるでそれが正しいかの様にコントロールしていたことに驚く。今もあまりにも使われている言葉だし、それの何が悪いのか分からず、しばらく混乱しながら読んだ。
「暮しの手帖」「婦人之友」など今もある雑誌で、婦人向けに柔らかい女性の言葉で「賢い女性」のあり方を説き、戦時下の生活をまるで自分達がそれを賢く楽しんでいるかのように滑り込ませていったのがわかる。
現代の雑誌でも「賢いOLの1ヶ月の着回し」だの「出来る女はメイクが〇〇」みたいな見出しが踊り、流行りのメイクや服を着てるけれど、それと変わらない。誰かが作った流行りが人を動かすと共にそれが一つの思想になる。
少し前に読んだ「この世界の片隅に」では主人公のすずさんが、確かに着物を国民服(もんぺ)に作り変えていた。様々な生活の工夫も自ら楽しんでいるように見えた。
服に関して言えば、確か明治以降洋装文化は発展して大正モダンなどファッション面でも様々な華やかな装いが流行っていたはずなのが、戦時下で世の中が一気にもんぺになる。(すずさんは広島の田舎暮らしなので当てはまらないかもしれない)何故この様なことが可能だったのだろう?
婦人紙だけではなく、小説や漫画などの娯楽の世界でも、戦時下の全体主義的思想を、まるで自分達が進んで行っているかの様に思わせるとても巧妙な思想の統制があった。「上意下達」ではなく「下意上達」に成功していた。
現在、SNSなど人々が触れるメディアが散在して、情報チャンネルが増えれば偏らなくなるのかと思ったら全くそうではなく、まことしやかな噂やデマも多く、鵜呑みにして他者を攻撃する様子も見られる。逆にSNSで暴かれることも増えた。噂だと思っていたエプスタイン島での小児性的虐待の話は事実だという話であった。(文書の真偽はまだ不明)
世界も国内もとても不安定な世の中で「まるで自分達の意思の様に」動かされていることがあるのではないか?この選択をした意思はどこからきたものなのか?と問いながら、メディアの大きな声に注意深く精査しながら過ごしていきたいと思った。
Posted by ブクログ
あとがきの最後に
ー戦争はかつて「日常」や「生活」の顔をしてやって来たのである
この一言は 今のこのコロナ禍であるからこそ
真に迫ってくる
何もしらないことは罪である
そんな今だからこそ
自分の耳で聴いて
自分の目で見て
自分の頭で考えて
自分の言葉で語ること
の 当り前さ、大切さを
改めて思う
Posted by ブクログ
朝日新聞の書評欄で知って、面白そうだなと思って読んでみた。
コロナ禍の「新しい生活様式」が、1940年第二次近衛内閣における新体制下の「生活」と類似していることに対する危惧を記した書。
正直、そんなことは思ってもみなかった。
花森安治、太宰治、長谷川町子、林芙美子。そんな人達が翼賛体制に協力していた。著者は花森安治に特に厳しい。
生活の中の、自発的なファシズムへの協力を生み出したのは「女文字」で書かれたプロパガンダ。一見そうとは見えない柔らかな表現、生活に根ざした対象も戦時体制を支える礎となる。
組体操など、体育の授業や体育教師への嫌悪感は、僕なりの正鵠を得た認識だった。
こんまり的ミニマリズムも戦時下の精神が大元だったというのも面白かった。