【感想・ネタバレ】地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係 東京周辺のレビュー

あらすじ

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鉄道も街道も、ある地点とある地点を結ぶために作られる。副次的に沿線が発達する。ならば、江戸時代の五街道も鉄道も似たようなルートとなって然るべきだ。しかし、いまの地図を見ると、そうはなっていない。

京王線は甲州街道に、田園都市線は大山道に沿っている。一方、同じ西に向かう青梅街道に沿った路線はない。こうした点について鉄道路線はそれぞれのルーツから語られることはあるが、一定の時代で区切って考えてみると、その時代時代で鉄道に課せられた社会の意識が見えてくる。

●主な内容
第1章 鉄道開業~明治時代後半
鉄道忌避伝説が生じた街道との関係 私鉄による幹線(現JR)建設の時代

・馬車鉄道(新橋―浅草)の誕生
・幹線鉄道は東西南北に一路線ずつ
・鉄道が宿場町に立ち寄らない東海道・中山道・日光街道
・甲州街道と中央線の微妙な関係
・後の大手私鉄に先駆けて、なぜ川越鉄道と青梅鉄道が開業したのか
・幹線のターミナルは船着き場

第2章 明治時代後半~関東大震災
街道にぴったり沿っての鉄道敷設 現・大手私鉄、第一世代の本格的登場

・東海道と甲州街道の集落へ、やっと鉄道がやってきた時代
・山岳信仰の大山街道に敷かれた多摩川の砂利目当ての路面電車
・新河岸川、川越街道と東武東上線
・京成電気軌道と佐倉街道 広大な軍隊の施設と戦後の大規模団地
・「絹の道」と横浜線・沿線の軍事施設
・震災からの帝都復興で放射線と環状線の道路網 環七・環八も計画

第3章 昭和初期前後~現代
環状道路、首都高と私鉄新線 郊外電車の誕生から現代まで

・田園調布・洗足・大岡山の住宅地開発と大学誘致
・目白文化村・大泉・小平学園都市 東急とは対照的な堤康次郎による開発
・各私鉄沿線の住宅地開発
・尾根筋を通る甲州街道沿いの京王線、丘も谷も突っ切り郊外へ向かう小田急線
・西武多摩川線などの砂利鉄道
・未成線――東京山手急行電鉄/京浜電気鉄道は白金を経て青山へ/新宿・渋谷から西に向かう郊外鉄道
・通称オリンピック道路
・多摩田園都市VS多摩ニュータウン 対照的な鉄道・高速道路構想

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Posted by ブクログ

あーー、面白かった。
知人曰く、ブラタモリと近しい話題だね、とのことだったけれど、関東の鉄道と馴染みの深い生活を長くしていた身からすると、発見が多く楽しい一冊だった。

馬車鉄道という歴史をまず知らなかったし、線路を引くときの考慮要素(寄りたい町を通らせる、用地買収が難しそうな場所を避ける、山谷崖など地形的障害物をなるべく避ける、大きな川は直角に渡る、急カーブ急勾配を避ける)というのも良くわかってよかった。

街道と関係ありなしで作られた鉄道の変遷も面白かったし、山手線の上半分と下半分の土地的性格や、北品川の由縁、関東大震災とその鉄道への影響、東急の当時の社長の先見の明の度合いなどなど……読んでよかった。
読み物として面白い。

この辺りのネタに興味のある人にはぜひ薦めたい一冊。

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2022年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

P114- 新河岸川、川越街道と東武東上線
軍関係がなぜかスルー。私の乏しい知識でも成増、板橋、朝霞、所沢、川越(上福岡)
川越工廠では、新河岸川の水運も構想にあったとか。危険物は自動車、工員と安全な荷物は、上福岡駅と南古谷駅を利用ですって。
P132 関東大震災 都心の震度が5-6。
P136 普通は不通かと
P150 万世橋駅・須田町の衰退は道路のせい。
P173 成城学園前駅が昭和2年で2面4線。
P188 東京山手急行電鉄 未成線をここまで書きますか?なこだわり。
P209 「もはや戦後ではない」って、経済白書が言いたかったのは、戦前の経済水準を越えました。これからは復興需要は一段落で今までの考えを修正しましょうって、調子こいてる雰囲気をいましめるつもりだったかと。
P237 さいたま市西区と川越市間(だけじゃないけど)荒川堤防がスーパー化中なのですが、旧規格の川越線の部分だけは堤防が低くなってます。越水のときは犠牲になるのは確実。

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2021年08月30日

Posted by ブクログ

鉄道と街道の関係を見るとマリアナ海溝並みに深い。昔の絵や写真と地図を引用しながら説明している。




1872年に開業した新橋ー横浜間の鉄道は、海上に線路を敷いた。その理由の1つは戦後、首都高速を東京オリンピック間に合わせるために川沿いに建設した理由と似ている。




当時のメインストリートだった東海道に人家密集していて鉄道用の敷地を確保しにくかった。その上、漁船の船溜まりあり、線路を敷くと漁船の係留に困る。




この時代ならでは理由があった。それは陸海軍を統括する兵部省が鉄道建設よりも軍艦を建造することを優先して反対した。




様々な事情が積み重なって海上に線路を敷くしかなかった。ここだけでも鉄道と街道の密接した関係なのが分かる。




よく、沿道沿いの人々が鉄道建設に反対してきたと言われるが、必ずしもそうではなかった。鉄道史研究のパイオニアと著者が評している青木栄一氏によると、ほとんどの場合、事実とは異なる伝説にすぎなかった。著書の「鉄道忌避伝説」で明らかにしている。





当時を想像しながら鉄道に乗ってみるのも楽しいかもしれない。

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2021年11月28日

Posted by ブクログ

地形と建設目的から鉄道を見つめ直す歴史テツ的視点の一冊。

ブラタモリ風の内容。鉄道忌避伝説を完全に否定した立ち位置は実に説得力がある。

2点間を結ぶことを最優先した国鉄。街道沿いの私鉄、その後の郊外鉄道まで。明治から大正、昭和、平成へ。凸凹地図と古地図を活用した鉄道路線の由来。
壮大なテーマを分かりやすく解説している。

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2021年06月29日

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