【感想・ネタバレ】新版 絵でわかる日本列島の誕生のレビュー

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Posted by ブクログ

タイトルから想像されるような入門者向けではなく、専門の学生向けのような内容。最新の研究結果も盛り込まれていて、とても詳細に解説されているのはありがたい。

プレートは、海嶺から離れるにしたがって冷え固まって厚くなるため、アセノスフェアの上を滑り落ちている。プレートの駆動力は、プレートの沈み込んだ部分(スラブ)が落ち込むことによってプレートを引っ張る力が大部分を占める。アセノスフェアの高温部と海嶺は一致しておらず、海嶺は受動的に引き裂かれている(P.23)。

日本列島の基になった南中国の大陸縁におけるプレートの沈み込みは、6億年前に始まった(P.120)。プレートが沈み込む部分では、付加体によって大陸地殻が増える一方で、陸側の地殻が削られることもある(P.55)。東北日本では、太平洋プレートの運動速度が10cm/年と速く、海溝充填堆積物が少ないため、構造浸食型沈み込みとなっているため、現在の火山フロントの位置は、過去と比べて陸側に移動している。西南日本では、フィリピン海プレートの運動速度が4cm/年と遅く、日本アルプスからの大量の砕屑物が南海トラフを埋めているため、火山フロントはほとんど変化していない(p.59)。

南北の中国地塊が衝突したことにより、その間の海の堆積物は隆起し、それが浸食を受けて砕屑物が増加したため、ジュラ紀に付加体の形成が最大になった(P.135)。東北日本に白亜紀以降の付加体が存在しないのは、構造浸食が原因と考えられる(P.137)。

3000億年前に始まった背弧拡大により、大陸縁の付加体が引きはがされて日本列島となった。現在も、沖縄トラフ、マリアナトラフ、トンガ島弧の背弧であるラフ海盆で背弧拡大が起きている。背弧拡大の原因は、スラブのロールバックやマントルプリュームが考えられているが、明確な答えは得られていない(P.62-65)。フィリピン海プレートの四国海盆が裂けたのも、太平洋プレートがロールバックして海溝三重点が移動したことによるものであるとの説が出されている(P.207)。

中央構造線は2つの断層から成る。3400万~2300万年前に、九州東部から関東山地までが150kmほど移動した。フィリピン海プレートの運動方向が変化した300万年前に、四国中央部から紀伊半島中央部にかけてが動き始めた(P.155)。その移動距離は60kmと推測され、その結果として日向灘、土佐湾、紀伊水道、伊勢湾、安芸灘~伊予灘、播磨灘、大阪湾が沈降し、足摺岬~石鎚山、室戸岬~剣山、紀伊半島、大島~因島、小豆島~家島諸島、淡路島が隆起した。瀬戸内海は伊勢湾付近に始まり、その後西に伝播していった(P.186-187)。

糸魚川-静岡構造線は、四万十帯、秩父帯、三波川帯などが東西に連続しているため、フォッサマグナの境界ではない。1800万~1600万年前の火山フロントが東西で230kmずれていることから、利根川構造線がフォッサマグナの東の端と考えられる(P.151)。

古地磁気データの復元によると、フィリピン海プレートは時計回りに回転していた(P.166)。1500万年前に伊豆-小笠原弧が日本列島に衝突し始め、櫛形山地塊、御坂地塊、丹沢地塊、伊豆地塊になった(P.169)。これらの地塊はほぼ同じ位置に衝突しているため、1500万年前からフィリピン海プレートの運動方向が変化したと考えられる(P.175)。300万年前にフィリピン海プレートのスラブの下部が太平洋プレートのスラブにぶつかったため、フィリピン海プレートの運動方向が北西に変化した。その結果、伊豆・小笠原海溝や日本海溝が西に移動し始め、東北日本やフォッサマグナ地域は東西圧縮を受けることになり、日本アルプスを隆起させた(P.183-184)。また、鈴鹿山地~伊吹山地~両白山地が隆起した影響で、その位置にあった琵琶湖は北上した(P.188)。

九州の別府-島原地溝帯は、沖縄トラフの延長によるものか、フィリピン海プレートの沈み込みによる東西圧縮によるものか結論は出ていない(P.190)。

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2022年03月19日

Posted by ブクログ

日本列島の成立を、専門家が噛み砕いて説明シテサくれている。
絵が多くあるのだが、かなり専門的な内容だと思う。再読が必要。

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2022年02月03日

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