あらすじ
「自分」に満足できないのは、なぜ?
〈承認欲求〉〈所属欲求〉〈SNS〉〈学校・会社〉〈恋愛・結婚〉〈地方・東京〉〈親子関係〉〈老い〉
アイデンティティに悩める私たちの人生、その傾向と対策。
「何者かになりたい」
多くの人々がこの欲望を抱え、それになれたり、なれなかったりしている。
そして、モラトリアムの長期化に伴い、この問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張るようになった。
私たちにつきまとう「何者問題」と、どうすればうまく付き合えるのか。
人と社会を見つめ続ける精神科医が読み解く。
【目次】
はじめに
第1章 承認されると「何者か」になれる?
第2章 つながりが「何者か」にしてくれる?
第3章 アイデンティティと何者問題
第4章 恋愛・結婚と何者問題
第5章 子ども時代の何者問題
第6章 大人になってからの何者問題
補論 何者問題への処方箋
おわりに
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Posted by ブクログ
何者かになりたいというのは、アイデンティティが足りないと自認している状態。自分自身の構成要素が不足しているときは、「危なくない」構成要素を手に入れる。すでに持っている手元にあるものいてもいい場所を手放さない。金と時間で居場所を買うとき、なくなった後何も残らないをちょっと検討。一発逆転、たった一つの冴えたやり方を避ける。最初の構えを広めにとる。
構成要素を失ったときの組み換え。おおらかな幸せな高齢者は素晴らしい存在。確かに。
Posted by ブクログ
人が人生の各段階で、どういう理由から、何者かになりたいという欲求を持つのかを解説してくれた本。
特に以下の点が面白かった
・中年になっても何者かになりたい欲を持つ人は多いこと
・シニアはアイデンティティを喪失していきながらも生きているサバイバーだということ
・作者のように出版するような何者かになってもそれを維持していくのにまた努力が要ること
以下気になった点
・何者かになりたい人がどのようにその気持ちに対処したらいいのか?どういう風にうまく使ったらいいのか?について具体的な対処法があまり書かれていなかった
・精神科医の観点から専門的に分析するというよりかは、1人の人生の先輩が経験を含めて語るというスタンス
Posted by ブクログ
何者かになりたいという欲求は、1度日の目を見たとしても、それが続いていくものであって、一過性のものではない。自分が何者であるかの証明書のような位置付けとしてアイデンティティというものがあり、得意なことや趣味などの構成要素が多いほど獲得しやすいが、失うことで何者でもないとの不安が募るもの。
昔見た知恵袋で、田舎のヤンキーは限られたテリトリーの中で仲間と相互に認め合う環境が築けている点で自己肯定感が高いのではないか、というQ&Aがあった。本著でも、周囲の人に認められる環境で育っていった人は、そもそも自分は何者でもないとか、何者かになるということを考えないのだという旨がある。
特に幼少期の親子関係・家庭環境は重要で、その後の社会適応性やメンタルヘルスの問題に大きく関係するらしい。また虐待やネグレクトを受けた子供は内向的になり、アイデンティティを獲得しようとする積極性ではなく、攻撃から自我を保つための保守性を獲得するのだという。ある実験で「学習された無気力」というものがあり、鎖に繋げた犬に電気ショックを与え続けると、鎖を外して電気ショックから逃れられることを覚えさせても電気ショックから逃れようとしなくなるというものだ。これは鎖が繋がれていた時の"逃れられない"という己の無能感を実感し、そのままそれが回復していないということを意味する。つまりは、人間においても同じことが起こるということだ。また、そういった親子関係や家庭環境に問題がある場合、どちらかに発達障害が疑われるケースが多々見受けられるそうだ。
社会に出てしばらくした後、子供を育てることに自分の意義を見出すといったアイデンティティもあるが、脱サラして新たなことを始めるという場合もある。面白いのは、ある分野で名のある人物の子供はそれと遠からず近からずな別分野にて偉業を成すケースが多いらしい。
結局のところ、何者にならずとも生きていくことは出来るし、悩んでいる内が花だということだ。