あらすじ
アーサー・マッケンは平井呈一が最も愛した怪奇小説家だった。二十代の頃、友人から借りた英国の文芸雑誌で「パンの大神」に出会った平井青年は、読後の興奮収まらず、夜が明けるまで東京の街を歩き回ったという。戦後その翻訳紹介に尽力、晩年には『アーサー・マッケン作品集成』全6巻を完成させた。太古の恐怖が現代に甦る「パンの大神」「赤い手」「白魔」他の初期作に、大戦中に英国の或る地方を襲った怪事件の顚末を描く中篇「恐怖」など、異次元を覗く作家マッケンの傑作を平井呈一入魂の名訳で贈る。/【目次】訳者のことば/パンの大神/内奥の光/輝く金字塔/赤い手/白魔/生活の欠片/恐怖/アーサー・マッケン作品集成 解説/解説=南條竹則
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Posted by ブクログ
パンの大神、白魔、恐怖がよかった。マッケンは文明や進歩に懐疑的。彼が信じるのは太古に存在した神々、精霊、悪鬼たち。翻訳は時代を感じて読みづらかった。
Posted by ブクログ
現代に照らし合わせて読んでしまうと物足りなさが残るものの、この作品が書かれた年代を考えれば賛否両論巻き起こした問題作と言われるのは理解出来ます。ただ個人的には再読は無いです。
Posted by ブクログ
後期作品「恐怖」(1917)以外は1890年代の初期作品を集めた、イギリスの古典的怪奇小説作家マッケンの中短編小説集。630ページとかなり分厚くて読み応えのあるボリュームだった。高校時代あたりにマッケンは1,2冊読んでいたようだが、その頃とはたぶん違う視点で読んだ。
いずれの作品にしても、マッケンの興味は「幽霊」でも「犯罪」でもなく、遙菜遠い森に潜む何かや、先史時代の名残を示す存在にあるようだ。日常世界に潜む何かを露出していこうというスタイルは、ラヴクラフトと共通である。というか、ラヴクラフトがマッケンの影響を受けているらしい。
しかし、マッケンの作品では「隠されていた存在」がクライマックスでついに姿を現す、といった明瞭な場面はない。ラヴクラフトなら異形の存在が遅くともクライマックスまでに出現し、その形状が詳しく描写されるところだが、マッケン作品ではいつもハッキリしたものが呈示されずに終わる。何が起きたのか、その具体的な記述がないままに終わってしまうのである。そこが、現在の視点からはホラー作品として刺激が足りず、不明瞭すぎる印象が強い。
描写はじっくりと書き込まれている感じだが、文体はどこか鈍重で、ともすれば10ページ以上も改行の無い叙述が続いたりして、辟易させられる。
異色なのは「生活の欠片」(1890)という作品で、凡庸な若夫婦の凡庸な生活が、前半延々と微に入り細に入り記述される。これでは普通小説だ。後半も、さほど異常な事件が起きるわけでもなく、ほとんど怪奇小説とは呼べないものとなっているのだが、主人公がしばしば思いを寄せる遥か遠くの森の光景が、その憧憬が強すぎるために生活を破砕しかねないという、そのじわじわと迫る心的イメージが、強いて言うと他の怪奇小説作品と同様の顕れ方をしている、とは言える。
ロンドンでの都市生活に隠された何かを常に待望し続けるというマッケンの小説世界は、それ自体は馴染みやすいものだ。ただ、それが巧く書けているかどうかは、ちょっと疑問である。
Posted by ブクログ
ヴィクトリア朝時代の英国ウェールズに産まれた稀代の作家アーサー・マッケン。牧師の子であったがアーサー王伝説の色濃いウェールズで育った故か、神学と同時に隠秘学(オカルト)にも傾倒し、前期はケルト神話やギリシア神話をモチーフとした幻想的な怪奇小説を連続して発表したが、いずれも当時の価値観に合わず「不道徳な汚物文学」として批判された。第一次世界大戦を経験した後、後期には主にエッセイや犯罪実録を執筆するようになる。
本書はその怪奇小説家としてのマッケンをリスペクトした傑作集である。クトゥルフ神話~ラヴクラフトを経由してマッケンを手に取った。次は『怪奇クラブ』を復刻してほしい。
以下、ネタバレ無しの各話感想。
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『パンの大神』
医者が真実を求めて行ったある実験。裕福な農家に養子としてもらわれた少女の周囲で起きた奇妙な出来事。ロンドンで続発する変死事件。これらをつなぐミッシングリンクとは。「パンの大神」とはいったい――?
(当時の宗教的道徳観により描写自体は曖昧な仄めかしに徹しているが、それでもと言うべきかそれゆえにと言うべきか、インモラルなエロスを感じる作品。余談だが、パンの大神というイメージはやがてシュブ=ニグラスの化身という体でクトゥルフ神話に取り込まれていく。)
『内奥の光』
ロンドンの郊外にある田舎に住む医者の妻が変死する。解剖の結果、彼女の脳髄は人間とも動物とも異なる、悪魔のように異質なものだったという。話を聞いて興味を持ったダイスンは独自に調査を始める。はたして医者の妻に何が起きたのか――。
(マッド・サイエンティストもの。当時の「家庭の天使」という価値観を鑑みれば、道徳を説きながらもそれを承知することになる妻に対して、ただただ憐憫の情しかない。)
『輝く金字塔』
ダイスンの元を旧知のヴォーンが訪ねてくる。ここ最近、家の前にある道に、時々石のかけらで奇妙なシンボルが作られているという。そのかけらが大昔の石のやじりであることに気付いたダイスンは、好奇心からこの奇妙な事件を調査してみることに――。
(作家探偵ダイスンものの一編。クライマックスの描写には異種姦めいた独特の猥雑さがあり、そういうものが好きな人には一読の価値はあるだろう。本作を含めてマッケンの作品に時々登場するこのような小さい人々は、やがてヴーア族としてクトゥルフ神話に取り込まれていく。)
『赤い手』
ダイスンと友人のフィリップスは夜の散歩中に他殺体に出くわす。地面には凶器と思しき石斧が、壁には赤いチョークで書かれたハンドサインのようなものが描かれていた。調査を始めたダイスンは犯人を見つけることができるのか――。
(作家探偵ダイスンものの一編。序盤から終盤まで推理小説の体で話が進むので、なぜこれが収録されているのかと思いきや、その結末に、なるほど収録されるわけだ、と首肯。)
『白魔』
緑色の手帳に残された少女の手記。幼少の頃より人ならざる存在を認識していた彼女はある日、迷い込んだ森のなかで「白い人」に魅せられたことを機に、この世ならざる世界に足を踏み入れるようになる――。
(東雅夫曰く「マッケン流妖術小説の極北」。怪奇小説ではあるが、どちらかというと少々恐怖演出のあるファンタジーの体でなんとも幻想的な作品。本作で散見されるアクロ文字などの独特な単語は、やがて形を変えてクトゥルフ神話に取り込まれることになる。)
『生活の欠片』
平凡な銀行員であるダーネル。ある日、妻の叔母から百ポンドの小切手が送られ、妻と使い道について意見を重ねていく。また、空き室を誰に貸すかという問題や女中の交際相手に対する問題、更に叔父の浮気疑惑まで飛び出し、ダーネルの周囲は俄に騒がしくなっていく――。
(最初は平凡な銀行員の周囲で巻き起こる騒ぎを描いているだけと思いきや、所々に非日常的なナニカを飛び出させて、これがそういうものではないことをアピールしてくる。しかし不気味ではあるものの恐怖感は薄く、幻想的な不穏さを漂わせるに留まっている。そこまでの展開や結末を含め、ラヴクラフトを経験している人であれば受け入れやすい内容だろう。)
『恐怖』
第一次世界大戦の最中、ウェールズの西のはずれにある片田舎で変死事件が続発する。はたしてそれは怪物によるものか、殺人鬼によるものか、それとも秘密裏に侵入してきたドイツ兵の新兵器によるものか。その地に満ちる「恐怖」とはいったい――。
(片田舎で続発する変死事件の顛末を描いた群像劇。未知の恐怖に翻弄されながらも手元にある情報を元に推理を繰り広げる地元民たちは、現代で言うなら、新型コロナウイルスという「未知の恐怖」に翻弄される我々でもある。その「恐怖」は時代も場所も情報の過少も関係なく人の心を蝕む。最後の独白は戦争を経験したマッケンならではであろう。)