【感想・ネタバレ】海洋の日本古代史のレビュー

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Posted by ブクログ

以前は日本の古代史にはあまり興味がありませんでしたが、最近では遺跡の分析技術も向上したり、様々な新しい文献が発見されたりして、以前習っていた内容と異なる部分が、特に古代には多いようですね。

海に囲まれた日本は古代から海と上手に付き合ってきたのだと思います。小学生の高学年から大学に入るまで、海の見える町(神戸)に住んだ私にとって、海を見ていると心が安まります。この本をはじめ、類書を読むことで海と上手に付き合っていた古代の日本人に想いを馳せることができました。

以下は気になったポイントです。

・中国は「南船北馬」が有名であが、日本列島の場合「西の水運・東の陸運」「西の水軍・東の騎馬軍団」である、しかしこれは比較の問題であり、東の水運は近世に至っても重宝されていた(p19)

・日本の従来種の馬が皆小ぶりなのは、馬を船に乗せて運んだから、陸に上がれば川を遡上するために馬に船を曳かせた、古代の流通は海人の活躍に負うところが大きかった(p21)

・考古学が導き出した答えは意外で、富も権力も欲しない人々、が暮らしていた近畿南部のヤマトに、3世紀初頭、突然宗教と政治に特化されたとした出現して国の中心になってしまった(p87)

・雄略天皇は改革を急ぎすぎたようで五世紀末には政局が混乱し、王統が途絶えてしまった。そこで越(北陸)から男大との王(おおとのおおきみ)を連れてきた、これが継体天皇である(p117)

・遣唐使の航路でなぜ7世紀は安全な北路を使っていたのに八世紀になると危険な南路を横断したのか、これは7世紀後半に新羅が西海岸の百済の地域を手に入れたから。当時の日本と百済は仇敵であったので朝鮮半島の沿岸部を通ることができなくなった(p132)

・中国文明が滅びなかったのは、南に森林が残っていたから、しかし復活した漢民族が「南方的」になることはなかった(p167)

・三国志(魏呉蜀)の覇権争いは物語としては面白いが、状況は悲惨であった、天候不順と飢餓と戦乱で人口が最盛期の10分の1に激減した。実態は戸籍上の人口激減だが、それでも多くの人がなくなり逃亡した(p178)

・文明は人を幸せにするのだろうか、この根源的な問いかけを縄文人は繰り返していたのではないだろうか、だから素戔嗚(スサノオ)は日本列島には樹木がなければならないと訴えて植樹していたに違いない、森を失えば生活の場がなくなる、人々が争う、なぜそれば人間の進歩なのか。縄文人はすでに海人から多くの情報を聞きつけ気づいていたのではないだろうか。(p184)

・ヨーロッパと日本はどちらも、金銀銅(貨幣素材)を輸出し、アジアの文物を購入した、そして貨幣素材の流出が深刻化した。この問題に立ち向かうために、ヨーロッパは産業革命を、日本は「資本節約・労働集約型の生産革命」を起こし、アジア文明圏から自立し新しい文明を築いた(p193)

2022年5月8日作成

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2022年05月08日

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