あらすじ
映画『痛くない死に方』原作本!
2000人の最期を看取った医師だから言えること。
“痛くない”“苦しくない”人生の終わり方とは?
私は在宅医として、末期がんの患者さんは9割以上、
非がんの患者さんは半分くらいの確率で、家で看取ることになります。
在宅での看取りの直後、ご家族は必ずこうおっしゃいます。
「思ったよりずっと楽に逝きました。
苦しくも、痛くもなさそうでした。ありがとうございました」
がん終末期、老衰、認知症終末期、臓器不全、心不全、肺炎……
2000人を看取った医師が明かす今まで誰も言わなかった
“痛くない”“苦しくない”人生の終わり方。
平穏死という視点から、「痛くない死に方」について
できるだけ分かりやすくまとめた一冊!
もくじ
プロローグ
あれから4年、「日本人の死に方」は変わったのか?
第一章
大橋巨泉さんでも叶わなかった「痛くない最後」
第二章
平穏死、尊厳死、安楽死
第三章
「長尾先生、思ったより楽に逝きました」……それが平穏死
第四章
おさらい!平穏死10の条件
むすび
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
読みやすさ★★★★★
学べる★★★★★
紹介したい★★★★★
一気読み★★★★★
読み返したい★★★★★
文句無しのオール5で良いかと思います。
医療者(何なら医療一家)の私でも知らない人間の最終章。1000人以上は看取った看護師の母でも体系立てては知らないと思われる、痛くない死に方。
往診と訪問診療の違い。
高齢者でお餅が喉に詰まったとき、あるいは、ケア施設で最期を迎えたとき、救急車を呼ぶということ。
覚悟なき惰性は全員を不幸にする。
人の死が「非」日常である今、もう少し真剣に身近に死に方について考えなければならない。
そして、長尾先生のような医師に人生の最期に出会えた患者さんは幸せだ。私は、この先生こそと思える先生に未だ身近では出会えていない。
Posted by ブクログ
訪問医療を受けることは難しいと思っていた。母も家で看取れたら良かったと思う。それから点滴は痰や体の浮腫みを引き起こすものだと知った。人は枯れるように亡くなるのが自然の死に方とのこと。
家で看取るという事がもっと簡単にできるシステムが整うと良いと思う。
Posted by ブクログ
色々と具体的に、認識すべき事、記録し携帯すること、意思表示と共有する事、各種の利用:救急車・大病院・主治医・その他、とにかくためになる。年齢に関係なく必読書だと思う。
Posted by ブクログ
今、正に身内が末期ガンで緩和ケア病棟に入院している。コロナ禍の中、首都圏に暮らす身内に会いに行く事さえ儘ならない。先の短い姉に私はこれから何をしてあげられるのだろうか。
Posted by ブクログ
傾眠(呼びかけると目を開ける)・せん妄(死の壁、衰弱していく身体の中で、最後の生命力と、あの世へ向かうエネルギーが押したり引いたりとせめぎ合いをしているかのような状態)→意識レベル低下→下顎呼吸から呼吸停止へ
譫妄への対処がカギ。
平穏死は難しい>コロナで余計に。在宅療養支援診療所のみとり実績のあるかかりつけ医師を探す。>探そう。葬儀屋と話してみる。平穏死させてくれる施設を探す。転倒骨折寝たきりを予防。省エネモードの終末期老衰末期では脱水を恐れず点滴の決定に慎重に。緩和治療があることを認識しておく。救急車を呼ぶことは延命措置を選ぶこと、平穏死を選ばないことと認識する。
Posted by ブクログ
今の日本で、老衰で自然に死ぬのが難しいなんて知らなかった。
自分の大切な人、それから自分が死ぬときに知っておいた方が良いことがわかった。
尊厳死・安楽死の違いもよくわかった。
Posted by ブクログ
2020/07/29予約 1
優しい語り口の先生で読みやすい。
自分だったら、こんな先生に在宅介護をお願いしたい。
大方は、身内を亡くしたときに知ってることが多かったが、これをそのまま実行できるかどうかは、担当医次第だと、その時も思った。
それを見極めるのが難しい。
わたし自身は難病持ちですが、この先生に診てもらいたいと思います。病気が特殊なので、そもそも相性うんぬんの前に、診てくれる医者がいないので。
少し前の本ですが、基本的なところは変わらないので、読んでない方は是非ご一読おすすめいたします。
Posted by ブクログ
訪問介護の仕事で終末期の方の介護もさせていただいておりますが、現場で常々思っていたことがたくさん書いてあって、ほんとうにそうだよなぁと何回も思ったことでした。
Posted by ブクログ
傾眠(呼びかけると目を開ける)・せん妄(死の壁、衰弱していく身体の中で、最後の生命力と、あの世へ向かうエネルギーが押したり引いたりとせめぎ合いをしているかのような状態)→意識レベル低下→下顎呼吸から呼吸停止へ
家で看取ろうと思っても、この「死の壁」を想定しておかないと、急に怖気ついてしまい、救急車を呼んでしまう人もいます。ですから私は、あらかじめ、理解してくださりそうなご家族には「そろそろ死の壁がやってくるでしょう」というお話をします。か「しかし慌てて救急車を呼ばないように。周りが思うほど、ご本人は痛くも苦しくもありません。聴覚は最期までしっかりしていることが多いので、あまり刺激するような内容ではなく、優しい言葉で話し掛けてあげてください」と説明します。医学的には「せん妄」という状態なのですが、「死の壁」と呼んだ方が、ご家族も納得しやすいのです。
いよいよ臨終の時が近づくと、呼びかけの反応が鈍くなります。意識レベルの低下と言います。大きく息をした後、10〜15秒間ほど息が止まり、また息をすることもあります。そして、次第に、顎を上下させる呼吸に変化します。これを「下顎呼吸」と言い、最後の呼吸です。この時には白目をむいて、もう意識はありません。やがて呼吸が止まり、脈が触れなくなります。
Posted by ブクログ
家族や両親が健康なうちに読んでおいて良かったと思う。
日本の延命を優先させてしまう事情、人間らしくない最期を迎えること。
本当に本人の意思に従っていない医療。
家族が理解していても、知識がないために慌ててしまい、結局最期は管だらけで自分でご飯も食べられず寝たきりで延命させられ死んでしまう…
こんなのすごく恐ろしいと思う。
緩和医療で自宅で痛みを取りながら、自分でご飯を食べ笑顔で過ごし、最期は自然に枯れるように死ぬ。
それを望んでいたのに、救急車を呼ばれ、延命させた結果、人工呼吸器や胃ろうを造られることも。
在宅看取りと決めているのであれば、まずは在宅主治医に連絡しなければならない。
いったん延命治療すると誰も中止できないことがものすごい怖いことだと思った。
そこで、本人の意思は無視され不本意な最期を決定づけられてしまう。
こんなことのないように、リビングウイルを書かなければならない。
医師法20条を誤解している医療者が多いとか…自然死なのに警察呼ぶなんて、普通におかしいと思うけど…
初めて緩和医療、平穏死についての本を読んだけど、知らなかったことが多く、読んでおいて良かった。
できるだけ家族が健康なうちに読んだ方が良い。
いざとなった時に慌てないためにも。
平穏死を望む場合、看取り実績のある相性の合うかかりつけ医を調べられる→『自宅で看取るいいお医者さん』(週刊朝日ムック)はチェック。
人間もそうだけど、ペットにも同じことが言えると思った。
Posted by ブクログ
こんな先生が近くにいてくれたらいいなぁ
非がんの方が平穏死が難しいとは
痛みには4種類ある
身体的痛み、社会的痛み、精神的痛み、魂の痛み
身体的痛みだけとるのでは患者は辛いままである
在宅や施設で、見ていない時に息が止まっているのであれば救急車を呼ばなくてもなんとかなりそうだが、お餅を詰まらせたり、誤嚥で苦しそうにしていたらそれをそのままにしておくのはやはり現実的問題として難しいかと
点滴に溺れて死にたくない
Posted by ブクログ
親や自分に
しんどい死に方をさせたくない
しんどい死に方をしたくない
と思っているなら こういう方法がある
ということを知っておくことは大事ですね
Posted by ブクログ
死ぬときは痛くて苦しい
だから死ぬのが怖い
枯れるように死んでいきたい
この本は身につまされます
リビングウイル書きました
穏やかに死なせる医療に向かってほしい
だってお餅咽喉に詰まらせてる高齢者前に救急車呼ばないことは難しいもの
救命が延命治療につながってしまうことがおかしい
「薬のやめどき」も読みたいと思う
≪ 穏やかに 死んでいきたい 感謝して ≫
Posted by ブクログ
尊厳死を迎えるために、延命治療をしなければ良いという話だけかと思ったけども、救急車を呼ぶことも延命治療につながるということも分かった。
ただ、いくつになれば老衰だよねって言えるのか決める必要があるし、ケースバイケースだから、救急車を呼ばないっていう判断は難しいと思う。
とりあえず、チューブだらけで病院で息を引き取るのは、あんまり良くないってことは分かった気がする。
Posted by ブクログ
著者の長尾先生は安楽死反対派ということだけど、それは自分が医療提供側で、融通が利くからだと感じた。実際は、本でも紹介されているようにたくさんの人が望んだ死に方ができなかったわけで。
「日本で」理想の死に方をしたいなら必要なリビングウィルや、在宅医の選び方(実績のあるドクターが良い)、「機能強化型」の診療所を探すと良いこと等 は勉強になった。
Posted by ブクログ
治らないと病気とわかったり、あるいは老衰してしまったら、生かすだけのための延命措置はしてほしくありません。いわゆる「尊厳死」を選びたい意思です。しかし、言っていても書面で宣言しておりません。
そんなあいまいな気持でいると現在の医療制度では「尊厳死」は実行できず、超現代の医学的な「延命措置」で痛み苦しまないと死ねないというのが本書の趣旨です。
過剰な「延命措置」や「点滴」はおぼれて死ぬようなのだと著者は言っています。
「痛くない死に方」は「平穏死」枯れて死ぬのが一番いいらしいです。
「老病死」の「苦」を現実として受け止めているわたし、でもだからと言ってすぐは死にたくありません。だから「尊厳死を希望する文書(リビングウイル)」を書いてても、どこまでも助けてほしいと思う気持ちもあります。矛盾していますねえ。
姑の例があります。
代々医者であった家に生まれたのでいろいろ知識がありましたので「日本尊厳死協会」に入り毎年会費を納めていたのをわたしたちは知っておりました。
96歳で大腿骨骨折「寝たきりになります」と医者に言われ、本人も「もう死にたい」と言いました。
寝たきりになればこの本にあるように結局延命措置を受けるようになるのでしょうね。
そんな時はどうするのか?
ちょうどまさにその時夫が眼のガンで入院、わたしは付き添っており忙しく、(本当は事情があって姑の主たる後見人だったけど)その場に居なかったのですが、義姉、義兄が話し合って、結局手術を受けました。
96歳でリハビリ・克服(そこが姑のすごいところ)車椅子を使いながら105歳で亡くなりましたが、わたしがその相談の場にいても、それが「尊厳死の宣言」に相当するのかわかりませんでしたと思います。
この本には遠くの親戚やその場にいない身内の「尊厳死」妨害もあるやに書いてあります。
結局日頃から言っていても書いておいても、本人と身内とのコミュニケーションがうまくいっていないと、いい結果は出ないのですね。