あらすじ
震災から10年 未来へ記憶されるべき奇跡。
「火の海 ダメかも がんばる」。2011年3月11日、気仙沼。津波とともに、燃え盛る重油が公民館を取り囲んだ。避難していた住民たちは孤立無援となる。その中のひとりの女性が、スマホの電池の残量を気にしながらかろうじて打った冒頭のメールが、ロンドンの息子に届いた。息子は、どこかの誰かに救助を求める文面を必死に考え、発信した。このTwitter140文字が、東京のある零細企業の社長の目に留まり、「偶然」という名の必然によって、東京都副知事に繋がって、東京消防庁のヘリが救出に飛び立った! 災害救助の「永遠のケーススタディ」となるべき、奇跡の物語。
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Posted by ブクログ
猪瀬直樹『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された446人』小学館文庫。
東日本大震災から早くも10年。気仙沼公民館に孤立した446人の避難者の救出劇を描いたノンフィクション。
命をつないだ情報のリレー。携帯電話の充電を気にしながらマザーズホーム園長の内海直子が家族に宛てた「火の海 ダメかも がんばる」という1通のメールがロンドンに暮らす息子に伝わり、信じれない奇跡を産み出す。
本作の舞台となった気仙沼公民館は東日本大震災で津波が遡上した大川と海の近い海抜ゼロメートルの非常に危険な場所にある公共施設で、付近には水産加工場や魚市場などがあったことを覚えている。気仙沼は津波だけでなく、津波火災により大きな被害を受けた。津波により車や船、家屋、木材などが流され、重油やプロパンガスに引火し、気仙沼湾が巨大な火の海となったのだ。本作に描かれた気仙沼公民館の奇跡の救出劇はラジオやテレビ、Twitterなどで知っていた。当時は確かにTwitterなどでは真実の他にデマや悪戯の情報が飛び交ったのを覚えている。
しかし、デマや悪戯はほんの一部で、多くの人びとは少しでも困っている人達の役に立とうと有益な生活情報をアップしたり、救援物資を被災地に回すためのネットワークになっていたのだ。
ここからは自分の体験談。
自分は当時、気仙沼から50キロほど離れた内陸部に暮らしており、毎週末、気仙沼に移住したばかりの義理の両親の家に食糧や飲料水、生活必需品などを届けに行っていた。その際、気仙沼の様子などをTwitterにアップしていたのだが、ある日、気仙沼出身だという関東地方に暮らす方からDMでコンタクトがあった。何とか気仙沼に食糧や飲料水などを送りたいので仲介して欲しいと言うのだ。当時は津波被災地への物流は途絶え、物資を送りたくとも送れなかった。自分の住所をDMで教えると程なくして、段ボールに4つ程の大量の食糧や飲料水などが届いた。その量にも驚いたのだが、Twitterでお礼を伝えると、すぐに気仙沼の義理の両親の家に向かい、近所一帯の家庭に配布した。その後、お礼状と共にお菓子などを送ったところ、被災地支援でお礼をしてもらったのは初めてだと感激された。そして、職場の有志による被災地支援の1つだから気にしなくとも良かったのにと言ってくれた。
また、Twitterである方から尋ねられるままに義理の両親が住む一帯の道路事情やライフラインの状況などを教えてあげたら、後に義理の両親の元に関東に住んでいるというTwitterの当人が菓子折りを持って、あの時は自分の両親と連絡も付かなくなって困っていたが、近所が無事であることを教えてもらい、本当に助かったと挨拶に来てくれたらしい。どうやら、義理の両親の家のすぐ近所が実家という方で最近、移住したばかりの家ということでピンと来たらしい。
本体価格800円
★★★★★