【感想・ネタバレ】ヴァレリー 芸術と身体の哲学のレビュー

あらすじ

習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん「非社会的」な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉。
膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫する。作品が装置であるとはどういうことか。時間と行為の関係とは? 詩が身体を解剖するとは?
ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係。
著者の美学・身体論の出発点となった記念碑的力作。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ようやく読めた伊藤亜沙さんの著書。
1900年あたりの詩人であるポール・ヴァレリーの詩感をまとめてくれている本。人間の感覚論・身体論のような生理学みたいなところから芸術を定義して、詩学へと発展する過程がわかりやすくまとめられ、身体-芸術を繋げる1つの考え方が書かれている。
芸術を考えるスタンスとして、意味的なところからスタートせず、人間の知覚から立ち上げるところがかなり好み。
詩(芸術)とは、身体機能の散文的な繋がりに違和をきたすことによって、各部位に備わる機能を開放し、その機能自体を知覚させる。そして、その知覚により、"真の行為"を読者に促すものだと僕は受け取った。
僕は身体と芸術の関係について、これまでアフォーダンス的な、何かの行為を人間に触発する・想起させるような形状、つまり人間の行為に埋め込まれた形状を作ることによって、身体をより自由にできると考えていた。しかし、ヴァレリーの芸術感を見ると、そういった散文的な繋がりを促進させるような創作行為では、人は自身の身体知を希薄化させてしまうらしい。身体をより自由に振舞わせる方向性と身体の知覚を促す方向性はベクトルとして逆の要素があるよう。身体と芸術について考える1つの指針を手に入れた。再度読み直してまとめてみようと思う。

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2025年01月15日

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