あらすじ
教育改革をその前提から問い直し、神話を解体してきた論客が、コロナ後の教育像を緊急提言。オックスフォード大学で十年余り教鞭を執った今だからこそ、伝えたいこと。
そもそも二〇二〇年度は新指導要領、GIGAスクール構想、新大学共通テストなど、教育の一大転機だった。そこにコロナ禍が直撃し、オンライン化が加速している。だが、文部科学省や経済産業省の構想は、格差や「知」の面から数々の問題をはらむという。
以前にも増して地に足を着けた論議が必要な時代に、今後の教育を再構築するための処方箋をお届けする。
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Posted by ブクログ
<目次>
はじめに 教育改革神話を解体する
第1章 日本型教育改革の習性(くせ)
第2章 入試改革、グローバル化~大学大混乱を超えて
第3章 人文科学の可能性
第4章 教育論議クロニクル…2016~2020年
終章 コロナ渦中の教育論
<内容>
目に鱗の内容だった。特に第1章。文科省が(中教審が)掲げて、押し付けてくる(教員になった当初は「目標」という感じだったが、近年は「法令順守」と言われる)指導要領は、「エセ演繹」なのだと。演繹から、その理論から具体的な実証をしなければならないが、指導要領改訂のたびに「何が変わったか」を示すものに、実証した根拠が見られないと。「観念的」で「ふんわりとした」ものを出してきて、「証拠」であると言い張っているが、その根拠が示されたことはないと。現場にいて、常に「なぜ変えるのだろうか?」とモヤモヤしつつ、努力をしてきたのだが、文科省は何もわかっていない。外部の政治的プレッシャーや経済界の要望、だけがその依り代だったのだ。終章にあるように、「コロナ禍下」「アフターコロナ」において、またしても教員を置き去りにする「改正(改悪)」が進みそうだ。「ICT化」というもので。文科省が言う、「教員が楽にあること」が全くないことを現場はわかっている。「こうすれば楽になります」の「こうすれば」の部分を何も示していないからだ。また、Edtech企業が、「ブラックボックス化」した機器を売りまくることも予想できる。それが現場に何の便宜も図らないことも。