あらすじ
「安楽死が認可されていない場合に私たちが迫られる選択は、すぐに悲惨な死を迎えるか、数カ月以上先延ばしにして、後日悲惨な死を迎えるかのどちらかということになる。驚くには値しないが、私たちのほとんどは後者を選択し、どれほど不快なものであっても治療を受ける」イギリスを代表する脳神経外科医マーシュは、国民保健サービス(NHS)によって様変わりした医療現場に辟易し、勤めていた病院を去った。旧知の外科医たちを頼り、行きついた海外の医療現場――貧困が色濃く影を落とす国々の脳神経外科手術の現場でも、老外科医は数々の救われない命を目の当たりにする。私たちにとって「よき死」とはいったい何なのだろうか? それは私たちに可能なのだろうか? そして、私たちの社会はそれを可能にしているのだろうか? マーシュは実感を込めてラ・ロシュフコーの言葉を引く――「私たちは太陽も死も、直視することができない」。該博な知識から生命と人生の意味を問い、患者たちの死、そしてやがてくる自らの死に想いをめぐらせる自伝的ノンフィクション。
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Posted by ブクログ
イギリスで大英帝国勲章をもらうような著名なお医者様が「死」について語っているもの。死は不可避、これは分かっている。ただ、人生最後の数日〜数週間を、少ない人数の人々が、病院で、チューブに繋がり、尊厳も本人の意思もなく「生かされている」。その結果、本人も家族も苦しい時間を過ごし、やがて死にいたる。死が不可避である以上、延命措置で得られるメリットと、そのせいで避けられない苦痛などのデメリットを測り、メリットが大きければ延命すべきだが、そうでなければ意味がないのではないか。このような考え方は、著者の担当が脳神経外科であり、手術によって命は長らえても失明や障害が残ることが多いということも一因だろうから、主張をそのまま受け入れるには抵抗がある。とはいえ、ロジカルな反論はできない。受け入れ難いが、受け入れることになるんだろうなあ。また、医療政策や病院の経営にも言及されているが、人命は地球より重いとか言いながら、法律や政治はそうなっていないことを痛感する。「死すべき定め」以来の衝撃の一冊。
Posted by ブクログ
脳外科医の自省。医療行為を通じての他者の死を見つめながら、徐々に自らの死を意識していく。マーシュ医師は国民保健サービスによって様変わりした医療現場に辟易し、勤めていた病院を去り、ネパールへ。
医療の現場、臨床、その医師の思考をなぞり、死の重力を共にずしりと感じながらの読書。全体が秋の曇り空のような、人生の晩年の雰囲気を漂わせる。医療行為による経験や感受性も晩節の思索も本書を通じてしか追体験できぬ物語だ。
私は「人間の生命には限りがあるからこそ美しい」という、映画やドラマで繰り返される定説を信じない。それは、永遠を諦めた先に生まれる慰めにすぎず、欺瞞だ。人生に終わりがあるという事実は、本来、恐怖でしかない。ただ、それが万人に等しく訪れるために、人はそこに擬似的な平穏を見出しているだけという気がする。
有限であることに意味を見出そうとするのは、無限を失った者の代償的行為であり、本質的には恐怖の裏返しにすぎない。
死があるからこそ生が輝くのではない。死があるにもかかわらず、人は生を続けねばならない― その矛盾に耐えるために、人は「有限の美」という神話を紡いできたのだ。だがその神話は、真に永遠を欲した人間の根源的な希求を、巧妙に覆い隠してしまう。永遠を諦めた瞬間、人はもはや“生きる”のではなく、“納得する”ことに生をすり替えてしまうのである。
それは、ただの儚さでしかない。
ー 裂け目の底に、二つの崖に挟まれた白い砂浜のような白い脳梁が見えてきた。それに沿って走っている二本の川のようなものが左右に一本ずつある前大脳動脈で、真っ赤で、心臓の鼓動に合わせて静かに脈動している。何があっても傷つけてはいけない箇所だ。脳梁には脳の半球どうしをつなぐ無数の神経線雑が含まれている。脳梁のすべてが分割されると(重度のてんかんの治療でときどき行われる)患者は「分離脳現象」と呼ばれるものを示すようになる。外見上は十分に正常に見えるのだが、二つの大脳半球がそれぞれ異なる画像を見るという実験的な状況に置かれると、脳の各半球は自らが見ているものに関して意見の不一致に陥ることがあるのだ。特に、それが何と呼ばれているかとそれは何に使うものなのかに関する不一致が起こる。名前に関する知識は左半球にあり、物事を使用する方法の知識は右にあるからだ。自己が分離されてしまったのである。実際に脳の二つの半球が葛藤状態に陥るのは稀だが、妻に腹を立てて、殴ろうとする右手を左手が止めたという患者がいるという話もある。
人間はひとつの存在ではないのだろうか。
右と左、理性と衝動、生と死、それらを辛うじて束ねているのが、白い脳梁。その束がほどけるとき、自己は裂け、世界もまた分断される。死は、その裂け目を完全に開いてしまう。
マーシュは死と生という裂け目に向き合い、私たちもまた、その裂け目の縁に立つ者として、有限を受け入れず、ただ、その緊張と畏怖の中で意識を保ち続けるしかない。
Posted by ブクログ
医者は大抵、心のなかに患者の墓標をいくつか立てているものだ
この本は、年老いた一人の医者がその一つひとつの墓標を振り返るような自叙伝で、最後に述べられている『良き死』は、いずれ死ぬ僕らにとって道標のようだった
Posted by ブクログ
両親を看取り、また自分自身、これまで生きてきた人生より、これから生きられるであろう人生が短いことが確実になったころから、医学・医療関係の本を少しずつ読むようになった。
本書の著者は、イギリスの著名な脳神経外科医だそうだ。手術室の息詰まるような描写、患者やその家族との苦しいやり取り、専門医としてのプライドの一方、判断ミスその他の過ちから患者を死に至らしめ、あるいは重大な後遺症を与えてしまった悔恨も率直に述べつつ、自らの半生を振り返っていく。
また、どんどん官僚主義的になっていくイギリスの医療改革に対する著者の失望が率直に語られるほか、関係のあった医師への支援として訪れたネパールやウクライナにおける厳しい医療環境などについても、その実体験を通して深い考察がされている。
それらに加えて本書では、人生の終わりに近づきつつある著者の〈死〉への向き合い方、対し方が、全編にわたり色濃く映し出されている。
特に安楽死に関する著者の考え方については、人により異論もあるだろう。自分にしても判断力もあり死が差し迫っているとは感じていない時期と、周りからはどうしようもないと思われてしまう状態を想定した時とでは考えが変わるような気がする。本書を読みながら、色々な想いが湧き起こってきた。