あらすじ
「本能寺の変」の10年前――織田か、足利か。自由か、安定か。
戦国武将の命運を分ける人生の岐路で光秀はどう動き、何を守ろうとしたのか。
足利義昭上洛(1868)から槇島城の戦い(1573)へ。
信長の迷走と決断。老練・光秀の執念を描き切った傑作戦国小説!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
4人シリーズから、光秀にフォーカスしたのは大河ドラマに乗っかったのかな。タイトルからして「なぜ本能寺なのか?」を扱うのかと思ったら、それは違った。元亀年間の信長による畿内制圧の時期が舞台だ。このあたり最新の研究成果によるところも大きいのだろうけど、けっこう新鮮。楽しめたよ。
Posted by ブクログ
面白いことは面白いのだが、なんとなく中途半端な感じがする。小説として書きたいように書いたような気はするが、きちんと書きたかったのか、面白く書きたかったの…
人物描写もあまりなく、読者の持つイメージに任せている?となると、逆に合う・合わないが出てしまうしとこれも中途半端。
全体とはしてのストーリー展開は面白い。史実に合わせたようで脚色も多く、「小説」として楽しむのは良い。なんとなく今年の大河ドラマ便乗本とも受け取れてしまうのは残念。
Posted by ブクログ
面白かった。
フィクションとはあったが、そうかも、と思わせる。
大河ドラマと重なり、感慨を覚えた。
卑怯とは、その選択のことをいうのではなく、
選んだ責任を取らないこと。
覚悟があるかどうかね。
Posted by ブクログ
この本の著者である鈴木氏の、戦国喜劇四人シリーズを以前に楽しく読ませてもらいました、読書記録を読み返していて彼は他に何か書いていないだろうかと調べて見つけたのがこの本です。信長や光秀に関する本を何冊か読んできましたが、これは本能寺の変が起きる10年前が舞台となっています。
歴史を知っている私達は、信長は天下統一の直前まで成し遂げていたこと、朝倉・浅井、比叡山も最終的には破って「戦争に強い」イメージがありましたが、この本で、初めて信長は小規模の戦い(尾張統一を成し遂げる頃まで)は強かったが、1万以上の大軍を率いた戦いでは、何度も負けていることを初めて認識しました。負けていながら、秀吉や光秀などの新参者を、重臣と同じくらい重用する等、能力主義を取り入れていたのは見事だと思いましたが。
最近、歴史の研究が進んで、信長や秀吉の見方が変わってきたという本も読みました。それらの本を読んで、今まで学校で習ってきたこととは異なるものの、なんだか人間らしくて(一生懸命、戦国時代を試行錯誤している)親しみが持てるようになりました、これは小説という形を取ってはいますが、筆者は多くの歴史書を読み込んで作られていると思います。
筆者の執筆にかける情熱に思いを馳せながら、私は楽しい読書ができました。彼の他の本を読むだけでなく、今まで日が当たらなかった武将(特に二代目)についても調査したくなりました。
以下は気になったポイントです。
・人生50年の時代である、光秀は、年齢が年齢だけに、仕官しようにも相手にしてもらえない、生地 鉄砲術や兵法に 長じ、文学に明るいことも災いした。 高禄で 雇うには年齢が高すぎる 戦国の世のこととて 慢性的に人手は足らないか 欲しい人材は「安くて若くて顎で使える者」であって、 そこそこの中堅どころの人材はどこでも余っている(p7)
・ 下剋上の戦国時代といえども雑人が 出世できるのはせいぜい 足軽頭 頭であり 木下秀吉は破格の出世を遂げている(p13)
・姉川の戦いで 朝倉 浅井 連合軍と織田徳川連合軍が決戦を行った時 木下秀吉の軍は突撃してくる 浅井長政の本体の前にあっけなく崩壊した、 浅井長政の主力が 織田信長本陣にあと一歩というところまで宿泊するのを許したのは 木下秀吉の合戦へたの理由の一つでもある、 幸い 圧倒的多数だったことと 徳川家康が側面から浅井を押したことで 姉川の戦いは勝利を収めることができた(p14)
・京都で殿上人と付き合うには、 源氏物語・ 平家物語 などの素養はもちろん 必須である、けれども 秀吉は、武家の一般教養である易経・論語どころか 庶民の協業である「庭訓往来」も目を通しているか定かではない、京都の奉行の1人であるので一通り 文字は読めるようであるが確保はいささか 怪しい。 ただし 光秀が同僚として感心することはある、 秀吉はその場にいない人間の悪口は絶対に言わない、 どんな失策も決して他人のせいにしないことである(p17)
・信長は大まかに数えるだけで、 美濃とは 9回合戦し 2度 勝利したものの 6回 敗北、 最後に 稲葉山城攻めで買って 美濃を手に入れた、 この時の 織田信長は 尾張国 57万石( これには 林業 収入 水運 収入 商人からの 租税は 計算されていない)あり、美濃国54万石を上回る、普通の戦国武将 ならこれほど負け続ければ 途中で諦めるが信長が負けても続けられたのは贅沢な 軍資金を調達できたからである、 それ以上に頑迷で粘着質 な信長の性格が大きい(p26)
・人は無能になるまで出世する、征夷大将軍は武士の最高位で武士の出生の行き止まりである(p31)
・戦国時代 合戦などで 最も大きな 比重を占めるのは 鉄砲 などの装備費でも弾薬や弓矢などの合戦 直接費でも戦場で臨時に構築される人 知の建設費でもない、 戦地へ向かうための旅費交通費・ 戦地近くでの 滞在費である(p42)
・通常は謀反が発覚すれば死が待っているものだが、信長は謀反人でも能力があれば 許した、この時期の信長の重臣たちには多くの謀反 経験者がいた、 信長の異母兄・ 津田信宏、 家臣 筆頭の林秀貞 、柴田勝家、 馬回り衆の佐々成政などである、それだけではない 信長はほとんどの家臣に見放されたことがある。 桶狭間の合戦の際、信長は尾張一国をほぼ 掌握していた、 一国でも今川義元に匹敵する資金力があった、 今川が大軍だと言っても信長は2万でも4万でも 動員が可能だった、けれども今川義元と対決することとなった時 信長はほとんどの家臣から見放され わずか2000の将兵だけで戦いを強いられた。 信長が 美濃との戦いで 敗北 し続けたことは決して偶然ではなく 人望のなさである(p55)
・戦国時代の 幼児死亡率は高かった、3歳の髪置、 男子5歳の袴着、 女子7歳の帯解と言った子供の祝い事かなぜあるかと言うと、その年までに死んでしまう子供が多いからである(p90)
・戦国武将で合戦の最中に 戦死する例は実は珍しい、今川義元が桶狭間で討たれたことと、 斎藤道三 が 長良川の合戦で即死したことぐらいである、 信長の父親 信秀は自宅で急死、 武田信玄の父親 信虎は追放された、 信長に追放された 美濃国主、 斎藤龍興 は合戦の最中に死ぬことなく 追放された(p100)
・孫子曰く、賢者はまず勝ちを決めて合戦に臨み、 愚者は戦で勝敗を臨む(p103)
・歴史は勝者によって書かれるが、勝者が歴史に残るとは限らない(P106)
・ 軍が一定規模を超えると兵糧の輸送、 組織会計、 軍隊 規律 警察、 連絡 といった間接部門が勝敗を決する、 未だ 群雄割拠 から抜け出していない 当時 そうした 大軍 運用経験を持つものはほとんどいなかった。 今川義元が4万の大群を率いて2000の織田信長に敗北したのは偶然でない、 尾張統一後の織田信長が美濃との戦いで敗北しまくったのもまた偶然ではない、 織田信長が他の戦国大名と大きく異なるのは敗北し続けることができるだけの資金力があったこと、 そして そうした 間接部分の重要性を学んで 上洛 時には 6万の大軍を運用できたことにある(P113)
・ 戦国の合戦は組織 戦闘が基本である、 そして組織で出世するには 鉄則がある「 しつこく 罵れ 他人の失敗、 笑ってごまかせ 自分の失敗」という 鉄則である(P136)
・何を言ってるのかわからない人間は、大抵は何も言っておらず、何を考えているのかわからない人間は、間違いなく 何も考えていない(P136)
・合戦 戦争は時代や 場所を問わず 最大の経済行為である、 とにかく合戦はカネがかかる、 そして合戦の費用のほとんどは 実のところ 移動に伴う「 交通宿泊費 ・滞在費」に消える、 つまり 移動の経路上と滞在中の場所に巨額の金銭が落ちる、 そこで 軍の移動の経路と滞在の場所に落ちる 金銭を回収できれば巨額の資金を手に入れられる、織田の諸将が軍役のために 費やす 銭金は周り回って「秀吉」の懐に入っている(P140)
・大軍の運用で最も困難なことの一つに「 全員を無事に 戦場に送り届けること」がある、 マラリア や 日本脳炎、 虫垂炎、 赤痢、 食中毒は 病状の存在は知られていても 病名は「おこり」「腹痛」とひとくくりにされていた、死に至るほどの高熱 腹痛と言った症状の存在は知られていても原因も治療法も分かっていなかった時代である、 虫刺されや 食あたりで戦病死するのは珍しくなかった(P157)
・強いやつは何で強いかというと自分の力を知っているから強い、自分より強いやつとは 戦わない、 弱いやつは相手の強さがわからないから殴り倒しても 泣きながら立ち上がってくる(P159)
・小さい嘘は他人を騙すが大きい 嘘はついている自分を騙すことから始める(P163)
・ 威光や権威は価値があると思うものにのみ 価値がある、役人 いえば価値がないと思われた瞬間 価値がなくなる、 足利義昭 はそういう危ういところで戦っていた(p168)
・ 織田信長は 尾張統一までの小規模合戦で 連戦連勝を続けたが、 美濃攻略以降、 1万を超える大群を運用するようになってからは 面白いように 負けが多い(p173)
・陰陽師は占いだけでなく 暦の作成の責任者である、1年を350日で計算する太陽太陰暦のこの時代 暦の作成は 専門的知識と施行する権威の両方が必要であった、 なぜ陰陽師が 義昭のところにいたのか それは 義昭が総大将として決断するためである、 戦国の大将が重要な決断を迫られた場合に備え、易で気色(運の流れ)を知るために身近に陰陽師を置くのは常識であった (p184)
・下剋上の世の中でも「五逆」 と呼ばれる最低限の倫理規定はあった、1)父を殺す こと、2)母を殺すこと、3 )高僧を殺すこと、4)僧の和合を破ること、5)仏体を傷つけること(p204)
・組織の中で最も重要なのは言うまでもなく 人事 である、 人事で失敗すると組織は崩れ落ちる、 独断と 専横が目につく 織田信長でさえ 家臣の移行を無視して人事はできない(p237)
2026年9月30日読破
2026年10月2日作成
Posted by ブクログ
良い意味で視点がひねくれている。
光秀というより、足利義昭のストーリー感が強いか。
若干尻すぼみ感と終わりの唐突感は否めない。そこはマイナス。
Posted by ブクログ
“敵は本能寺にあり_”
“本能寺の変”の10年前を描いた光秀からみた戦国の世界_
わぁぁー!! ちょうど“麒麟がくる”のストーリーとベストなタイミング!!
読むなら“今でしょっ!!”という事で初めて歴史小説を手にとりました…
ゲームのごとくAボタンかBボタン…さぁーどっち?と判断を迫られる怒涛の戦い
仕える上司(主君)の想いの裏の裏を読み…
横と縦の人間関係にも気を配り…
常に報・連・相の徹底が求められ…
どの時代でも部下(家臣)のやってる事が
変わらない(笑)
だからこそ面白いー!!!!!
脳内は麒麟がくるに登場にする俳優さんで再生される喜び(しあわせ~♡)
武将や家臣 地名や独特なセリフも漢字のオンパレード(漢字苦手…笑)
でも歴史が苦手な私でも読めちゃうのです!!!!
(何度かネオチしたけど…笑)
どの時代でも夫を支える妻は 芯のある女性は
カッコイイ!!
光秀を支える妻 照子の言葉が印象的…
「他人の評価に振り回されると人間が壊れますよ」
「あなたの評価はわたしがします」
「人生の選択は何かを捨てて何かを得るのではありません。
どれかを選ぶ必要があるなら取るべき道はひとつ…すべてとりなさい」
この物語は“本能寺の変”までは
描かれてはいなかったけど
大河ドラマでは最後をどう演出するのか
今から楽しみです~♡
歴史小説もなかなか良き!!!!
また新しい読書の扉があいた気がするー!!!!