【感想・ネタバレ】文化復興 1945年 娯楽から始まる戦後史のレビュー

あらすじ

8月の敗戦直後、焦土の中から文化、芸能はどう再起したか? 75年前の苦闘をコロナ後のヒントに ! 大みそかの「紅白音楽試合」までの139日間、長谷川一夫、黒澤明、美空ひばり、手塚治虫ら多数の著名人の奮闘を描き切る。胸をうつ群像劇!

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Posted by ブクログ

映画、演劇、歌舞伎、大相撲、プロ野球。それぞれの昭和20年8月15日から大晦日。復興に立ち上がる人達を描いた群像劇。

多くの文化人の戦後復興を描く。終戦を迎え混乱する中、映画を取り続ける人達、戦犯としての告発を恐れる人たち、原爆症で死の淵をさまよう人たち。一人一人の戦後のドラマ。

相当数の書籍、参考文献を収集した大作。関係者はほぼ鬼籍、矛盾した回想も多く事実は永遠に分からないことも多い。

私的には「日米会話手帳」の出版と青バットの大下弘のデビューにさらなる関心。

昭和20年12月31日、紅白歌合戦の前身「紅白音楽試合」。初連載の新聞発売を待つ手塚治虫。昭和の時代の進展を予想させる結末まで、実に興味深く読むことができた。

戦中は軍部、戦後はGHQの意向に過剰に反応、忖度する自粛警察的な人々の存在も面白い。

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2021年01月13日

Posted by ブクログ

太平洋戦争が終わった1945年8月15日を始点に、この年の年末までをひとつのスパンとして、日本のエンターテイメント業界がどうやって再び立ち上がっていったのか、を出来事をつぶさに見ながら追いかけていく本でした。

戦時中は、映画・演劇や出版などの「表現」によるエンターテイメントは国からの厳しい規制や検閲を受けていた。映画だったら戦争状態にある国の体勢を称揚するような「国策映画」と呼ばれるもののみが作られ、公開された。戦争がしやすいような空気をつくり、戦争反対とは叫ばせなかった(反対を唱えれば政治犯などとして収容された)。

それが8月15日を経て、占領軍によって方針が180度変わる。規制や検閲はそのまま占領軍が行いはしたが、その内容が「民主的であること」「仇討ちものなどを禁ずる」「軍事国家体制を批判するもの」などを作るように言われた。たびたび名前が出てくるのだが、占領軍のコンデという男が脚本や戯曲を検閲したのち、厳しく「No」と怒ったり「改変しろ」とつきつけてきたりしたそう。

そのような不自由な時代でも、クリエイターたちは大方、自分が食べていくためにそれにしたがい文化を復興させていった。みんな戦争責任を問われそうなものだし、深い反省要素であったにもかかわらず、当時のクリエイターとその周辺の人たちは「みんな、生きていくには仕方なかった」として、ほとんど人が筆を折らず手のひらを返すようにして(個人の思想は存在していたのかどうかまったくもって怪しいくらいに)、言われるがままの枠内で自分の仕事をしていく。

映画、演劇、歌舞伎、出版、音楽、野球、大相撲などが、本書の追っかけた分野だ。それぞれにそれぞれの大変さがあるし、混沌の世のなかに商機を見いだしたものもいた(簡単な英会話の本をすぐに出版して300万部超売り上げている)。

また、1946年になって世に出る美空ひばりや手塚治虫が、準備万端の様子で表舞台の水面下で機をうかがってもいた(ともに戦後文化の代表者となり、昭和の終わりと共に亡くなった)。とくに手塚治虫は1945年の大晦日は眠れずにその夜を過ごしていたとある。なぜなら、翌日の元日版毎日新聞でプロ漫画家デビューするからだった。それからのことを思うと、1945年の8月から12月までのその混沌はとても濃密だったのかもしれない。

以下、印象的な箇所を引用をしながら終わる。


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 山本(=嘉次郎<映画監督>)はその夜、町中が賑わい、みなが楽しそうにしているのを見て、<瞬時にして人々は、平和の姿に立ち戻った>と知った。
 その夜、高峰秀子(女優)が宿で眠っていると、飛行機の爆音が聞こえた。何機もの戦闘機が海のほうへ飛んでいくのが、音で分かった。自伝にこう書いている。
<闘うことのみ教育され、闘って死ぬことだけをたたきこまれて突然、闘う相手を失った若い彼らのやり場のない絶望感は「自爆」によってしめくくりをするよりほかになかったのか。>
<「戦争は終わったのに……」
 屋根の上を通りすぎてゆく爆音を聞きながら、私はただ呆然と、蚊帳の中で膝を揃えて座っていた。>(p28-29)
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→彼らは館山へ映画のロケで来ていて、それぞれにこれらの思いをそこで胸の裡に生じさせた。山本監督が感じたものは一般の日本人の軽さだし、高峰さんが体験したことはそんな日本人の簡単さゆえに、価値観を都合よく改造されてしまった若者たちの苦しい境遇だった。こういった悲劇は、ただただつーっと時代の流れのままに流されて生きていくと起きやすい。立ち止まりそして内省する、という行為がポピュラーだったならばこうはならないのに、とこれはこれで現実的ではなく夢想みたいなものではあるが、そんなふうに感じた。


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 このとき並木(=路子。歌手・女優)はステージから客席通路に下り、リンゴを籠に入れて配りながら歌った。当時のリンゴはひとつ五円はした。大卒銀行員の初任給が八十円の時代の五円だから、いまでいえば千疋屋の高給メロンのようなものだろう。青森の農業会が二箱を手配してくれ、それを配ったが、全員には行きわたらない。奪い合いとなって大変な騒ぎになったという。
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並木路子さんがそれほどヒットしなかった映画のなかで歌った「リンゴの唄」をテレビで歌ったときの様子がこれ。このあと、ラジオでかかったり、「紅白音楽試合」(紅白歌合戦の元祖)で歌ったりなどし、1946年あたりにヒットするそう。リンゴの価格が銀行の初任給の1/16だったのは、「モノの無い時代はこうなるのか」と思い知る事実だった。リンゴが1万数千円する感覚なのだから。こういった時代を経て、今があるのだ。

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2026年07月24日

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