あらすじ
ローマ皇帝の改宗からコンスタンティノープル陥落まで
「奇跡の1000年」興亡史
栄華の都コンスタンティノープル、イコンに彩られた聖ソフィア教会……。興亡を繰り返すヨーロッパとアジアの境界、「文明の十字路」にあって、帝国はなぜ1000年以上も存続しえたのか。キリスト教と「偉大なローマ」の理念を守る一方、皇帝・貴族・知識人は変化にどう対応したか。ローマ皇帝の改宗から帝都陥落まで、「奇跡の1000年」を活写する。
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ビザンツ帝国の概説通史。
ビザンツ帝国盛衰のポイントを明確に整理した上で、論ずべき点を上手く絞り込んでおり大変分かりやすかった。
そして何より、読んでいて面白い。
帝国の興亡がしっかりストーリーとなって綺麗に流れてゆく。
構成としては古代ローマ帝国のコンスタンティヌスがコンスタンティノープルを都としたところから、オスマン帝国によるコンスタンティノープル制圧まで、しっかり1,000年超の歴史を扱う。
ローマという建前を保持しながら、文明の十字路にあって生き延びるたびに幾たびも柔軟に体制を変更していった強かな帝国の生き死にが、実に小気味よく活写されてきる。
バルカン政策や宮廷内部の勢力争いなどは中谷氏の著作が詳しかったが、本書はビザンツ帝国について知るのに最初に手に取る一冊として好適だと思う。
以下は自分のためのメモ。
ビザンツ帝国の精神的支柱となったのは「我々こそローマ帝国である」という観念と、キリスト教の二本柱であり、それを持ち込んだのがまさにコンスタンティヌスであった。
彼は臣民を従えるのに都合の良い「教え」としてキリスト教を利用し、国家宗教としての権威を得たキリスト教もまた支配者の都合に合わせて変容していったと著者は喝破する。
ここに、生存のために利用できるものは柔軟に利用していくビザンツ帝国の伝統が既に始まったと読める。
次の転機はやはりユスティニアヌス大帝の時。
西ローマ帝国が崩壊したことによりますますローマ意識が高まっていく5-6世紀を経て行われた彼のローマ奪還事業は、完全に時代錯誤であったとしても、一度でもローマを支配していたことがあるという事実は、ビザンツ帝国こそローマ帝国の後継であるという意識を1000年持たせるのに必須だったと述べる。
反面、ニカの乱の鎮圧は古代民主制との訣別であり、皇帝専制政の性質を明瞭にする事件だった。建前としての「ローマ」を得つつ、実質としては「古代ローマ」と訣別した画期的な時代だったようだ。
続く転機は7世紀前半を生きたヘラクレイオスの時代。彼はササン朝を押し返す活躍を見せるも、最後には新興勢力イスラムによりシリアとエジプトを失うことになる。この事件により、帝国のキリスト色はますます強まり、また穀倉地帯を失ったことで古代ローマ以来続いていた「パンとサーカス」の伝統は終焉を迎え、完全に独自の文化圏としてのビザンツ帝国が歩み始めた時期と整理する。
8世紀初頭のレオン3世〜コンスタンティノス5世の頃は聖像禁止令で揺れた時期だ。これは一神教の伝統があるオリエント起源のキリスト教と、多神教的ギリシア文化との結合過程で生じた反動運動であった。これを経て、ギリシア正教としての形を明瞭にしていく画期となった。
この時期はビザンツ帝国の社会経済政治軍事の各制度が充実化していった時代で、コンスタンティノープルがヨーロッパから見ても憧れの大都市としてその地位を確立していく。その辺りの要素もテンポ良く目配せしていく。
そして9世紀後半からの三代の皇帝(ニケフォロス1世、ヨハネス1世、バシレイオス2世)の治世で、バルカン半島とアナトリアの支配を確立して最盛期を迎えるのである。
しかし、中谷氏の著作を読んだ時もそうだったのだが、何故かそこから衰退していく時期こそ興味深いのがビザンツ帝国。
国家というのは不思議なことに、外見には絶好調の時、内部では密かに衰退の予兆が見え始めているものである。
表面的な事件としては、東方からやってきたセルジューク朝との戦いにおける大敗が衰退のきっかけに見える。しかし、その要因はそれ以前に内部に生じていた。長引く外征により兵農一致を取っていたビザンツの農民は没落し、ビザンツ軍は外国人傭兵だらけの統一感のない軍団に変貌していたのである。
その後は兵農分離が進み、土着の有力軍人の貴族化が進展。帝国の求心力は低下し始め、軍の反乱が頻発する。兵を金を払って雇わなければならなくなると国の財政は苦しくなり始め、悪貨が出回り、経済的な信用力も低下し始める。まるきり古代ローマ帝国の再現のようだ。
しかし、11世紀末に登場したアレクシオス1世の活躍によりビザンツ帝国はこの危機を切り抜ける。地方の有力軍閥を引き立て、政略結婚を駆使して、再び帝国としての結束力を高めたのである。
ただ、やはり完全自力で外圧に対抗し切る程の力はなく、得意の外交でヴェネツィア勢力と組んだのもこの時期である。これが第4回十字軍への布石となる。(ビザンツは何百年もイスラムを身近な相手として過ごしていたので、十字軍の熱量が理解できず、十字軍側もまたビザンツを不信心だと感じた。という指摘も面白い)
第4回十字軍で一度は帝国は離散するものの、地方軍閥が強かったゆえに亡命政権がコンスタンティノープルを取り戻し、その後マヌエル2世という有能な君主の外交努力などもあり何とか100年生きながらえるも、時代の流れにはあらがえず、最後はオスマン帝国によって滅亡に至る。
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要衝の地に位置しながら約千年に渡って存続した帝国の歴史を、コンスタンティヌスから滅亡まで辿る内容。存続の要因となった各時代における帝国の変容が分かりやすく叙述され、ビザンツ史の概要を掴むことができる良書。
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東ローマ帝国とも呼ばれるビザンティン帝国の歴史、その社会制度、国際環境の変容について、数名の皇帝をピックアップしながら概説している。建前と現実を噛分けたビザンティン皇帝たちが、巧みに帝国のあり様を変化させたからこそ1000年にわたって存続できたことを、分かりやすく理解させてくれる。また、ビザンティンだけに留まらず、他国、他地域の社会・歴史にも応用される示唆にも富んでおり、非常に読みごたえがある。歴史好き、歴史学習を志すなら読めばオトクな一冊だ。
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どうもあまり好きじゃなかった東ローマ帝国だったが、どうやら食わず嫌いだったようだと気づかされた。変わらない建前と、解釈の融通というのは、古くて新しいテーマではなく、1000年以上前に成功例があったとは!ビザンチン帝国に学ぶべき展は多々ありそうな気がしてきた。歴史の仇はなのようなラテン帝国の存在はちらっと知っていたが、その間の小アジアへの亡命世間の顛末は全く知らなかった。そして、どうしてイタリア(ベネチア)にビザンチン系の美術品がやたらあるのかと思ったらそうゆう事だったのかと!
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ビザンティン帝国の興亡を描いた一作。「本音と建前の帝国」という面を描いていて興味深い。
第四回十字軍のコンスタンティノープル攻撃に関する記述が多かったのが、個人的には嬉しかったところ。ただ、その原因については『十字軍という聖戦』の説明と食い違いがあり面白い。
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古本ワゴンで見つけた新書。ビザンティン(東ローマ)帝国というと、高校世界史の知識で大雑把に言うと「東西ローマ分裂からコンスタンティノープル陥落まで1000年以上緩やかな没落を続けた」ってイメージ。まぁローマ法大全のユスティニアヌスとかたまに上向くことはあっても基本下り坂、という。
極めて大雑把に言うと間違っちゃいないんだけど、ただ下るだけじゃ1000年ももたない訳で(モンゴルだのティムールだの見ればわかるように)、まぁ下り坂の歴史を学ぶことで今の日本がどうこうという意識高い人ではないので純粋に歴史として読んでおもしろかった。あと、通史なんだけど、所々に著者の自分語りが出てくるのがちょっとかわいい。
って今気づいたけどオイラ買ったの旧版だな。クリーム色の現代新書。
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貸していた本が久しぶりに返ってきたので再読です。
コンスタンティヌス一世のキリスト教公認とコンスタンティノープル遷都から、オスマントルコによる滅亡までの千年以上続くビザンティン帝国の歴史。ユスティニアヌスの再征服、イスラムによる侵食、8~11世紀の再興、第四次十字軍による占領・奪還など、少しずつ姿を変え、栄枯盛衰して存続した国の歴史をたどるのは非常に興味深いです。
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知られざるビザンチン帝国の歴史を一気に駆け抜けることができた。
とても読みやすく、特に現イスタンブールの歴史的背景を知ることができて良かった。
トルコに行く前に一読を。
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ビザンチン帝国を、ほぼ独立して描いていて、1000年を一気に駆け抜けられた。
年表を見ながら、同時期の西欧、アジアの状態を追いたい。
読むべき本。出会えてよかった。
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ビザンティン、つまり東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のこと。
学者が書いた本とは思えない程、とてもわかりやすい。高校生でも読めます。
マケドニア朝初期等、意外なところが抜けていたりするが、大体のツボは抑えている。
学校の世界史ではスルーされてしまう、面白い時代がここにある。
Posted by ブクログ
ドラマティックな政治を求めるなら専制君主だよね。やっぱ帝国はイイね。民を振り回してる政治って傍観してる方からすれば非常に魅力的。
文章がなんかすごくすっきりしていた。
文章の(問題提起)→(論説)→(結論)がシンプルで読みやすかった。
それにしても、やっぱローマは政治だよね。なんといっても政治だわ。
良くも悪くも政治にドラマがある。まぁ後世の人が完全にドラマ化しているわけなんだけど、ドラマ化できるだけの何かがある。
それは人を振り回しているかだと思う。振り回される人々がいるからトラジェディーがあるし、強権を振るう人がいるからヒロイズムがある。権力に慢心する輩がいるからコメディーにもなるしね。
今の民主主義は「全員イイ子ちゃん化」が最終目標なわけだから、そりゃあ世の中つまらなくなるわ。事実を小説より奇にしているものは人のよくだからね。
そんなことを思いました。
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p57 キリスト教がローマの国教となったけど、その時点で宗教としての本質は外れているよね。キリスト教会は度々宗教会議を開いて異端宣告をしてきたけれど、純粋なキリスト教はそこで異端にされた宗派だったんだろう。例えば、聖書至上主義を説いたルターも異端とされている。
キリスト教はローマ帝国に政治の手段とされちゃったんだね。
そういうことも考えて宗教の歴史を考えていくべきだと考えました。
p101 「パンとサーカス」はエジプトなどのローマ属州からの搾取で成り立っていた。戦争によって支えられていたローマの豊かさを理解させるべきである。そして、搾取による安定ではなく、実力で安定を生み出そうとした政治家の素晴らしさを伝えていくのが指導者の使命だと考えました。
「ローマ」という建前ってすごいんだなぁ。皆がつけたがる称号なんだもんな。
だから千年も使われ続けてきたんだね。「中身なんて関係ない、名前にローマってついてれば売れるんだ!」的な?
再確認だなぁ~。
Posted by ブクログ
今の世界史教育においては、西ローマ帝国の滅亡をもって『ローマのおわり』と説明するのがが通例となっている。ところが、実際にはローマ帝国の正統に継承したビザンティンは、その後も1000年にわたって命脈を保っており、その首都であるコンスタンティノープルは、経済的にも文化的にも往時のローマにも匹敵する大都市であった。西ヨーロッパ世界とイスラム世界の中間にあって、独自の文化を形成していたこの帝国、世界史を学ぶ上で重要な意味を持つはずなのに、どういうわけか教科書での扱いは非常に限定的である。
ビザンティンという帝国は面白いことに、発展と衰退を何度も経験しているが、それが可能だったのは伝統を保ちながらも行政を柔軟に変革させていったからだと言うのが本書の主張。専制君主制で陰謀ばかり繰り広げていたという従来のイメージからは大きく隔たりがあるが、そもそも1000年の長きにわたって生きながらえた帝国だけに、一つのイメージでくくるのは難しいのだろう。本書では、ビザンツ1000年の歴史を皇帝の列伝風に説明する。あまりなじみのない皇帝ばかりだが、ところどころにローマ時代の残滓を感じるエピソードなどもあり、ローマ愛好者にとっては楽しく読めるだろう。
Posted by ブクログ
ローマの伝統を受け継ぎ、1千年続いたビザンティン帝国。拡大と縮小、繁栄と衰退を繰り返し、脱皮しながら生き延びた帝国の歴史を概観する。西ヨーロッパ世界、カトリック、イスラム、トルコと東西の狭間に位置しながらも東西交流の要衝として常に歴史の表舞台にあった帝国。キリスト教を公認し、国教とした帝国は、ローマの名を冠しながらも常に内外ともに危機にさらされ、変質を余儀なくされ、それを受け入れ続けることで生き延びた。著者は「革新」こそが帝国存続の真の条件だったと述べている。彼らを常に支えたのは「古代ローマ帝国の正当なる後継者」という矜持だったのだろうと思う。歴史の中に今なお生き続けるビザンティン帝国。その栄枯盛衰の一端に触れさせてもらった。