あらすじ
お笑い興行が禁止されて100年。旦那衆の道楽となった「お笑い」を、庶民の娯楽へと飛躍させた江戸落とし噺の元祖・三笑亭可楽のまっしぐら人生!
三宅裕司さん、春風亭昇太さん、大絶賛!
櫛職人の又五郎は「お笑い」好きの粋な旦那衆が揃う〈噺の会〉の下っ端ながら、大坂からやって来たお笑い芸人を向こうに回し、ここでやらなきゃ江戸っ子の名折れとしゃしゃり出る。が、急ごしらえの寄席はたった五日で店仕舞い。自分のあまりの不甲斐なさに江戸の街を飛び出した又五郎、百戦錬磨の芸人たちが集う街道沿いの宿場町、越ヶ谷・松戸で揉まれて丸二年。修行の末にようやく掴んだ前代未聞の即席芸〈三題噺〉で一世一代の大勝負に打って出る!
又五郎「確かにおいら、頭の軽い江戸っ子よ。いつも思い付きでおっちょこちょいをやっちゃあ、周りに迷惑をかけてきた。難しいことを考えるのは苦手だし、もとが無学な職人だ。だがなあ、この三題噺ってやつは、ただの思い付きじゃァねえ。今度は違うんだ。――おいらだけの創意工夫だよ」
於奈津「あたしを嫁にしたいだろう? じゃァ、いくらでも待ってやるから、かならずイイ男になって迎えに来て!」
源兵衛親方「いいか、又五郎。生きるってえのは、そりゃァ苦しいもんだ。若え頃に、心の中にある『言い訳』ってえ阿片に毒された半端モンはな、いつか必ず、生きる苦しさに負けて、あれやこれやと言い訳をしては楽に逃げこむ。女房子供を育てるてえ、お天道様との当たり前の約束から、言い訳まみれで逃げ出そうとしやがる。そういう半端なクソ男のせいで不幸になった女子供を、この町でたくさん見て来たんだ。於奈津だけは、そんな男にゃァ触れさせねえ」
小鉄「アニキは顔がよくって背が高い。粋でイナセな江戸職人で、何をやらせてもうまくやる。おいらを見ろ、奉公先ではバカ扱い、〈噺の会〉では下手扱い。女にゃモテず、顔も悪けりゃ屁も臭い。そんなおいらがガキの頃から一緒のアニキのためになんかやろうと思って何が悪いんだ!」
左団次「貴殿は拙者にとって師匠でござる。下谷稲荷での勧進のおり、酔客の狼藉に動揺した拙者をかばって舞台に飛び出し、師匠はおっしゃった。『あるもん全部さらして生きるしかねえんだよ。汚かろうが下手だろうが、面白かろうがツマらなかろうが、これが左団次だ』と。恥ずかしながら拙者そのものでござる。拙者、このような言葉をいただいたのは、生まれてはじめてに候。この感激、命を賭すに値すべきもの」
大田南畝「新しきものはバカが創ってきた。手前のような小賢しい年寄りは、なにかとうじゃうじゃ文句を付けて、新しきものをつぶしてしまう。今日登壇する奴らはわずかに二十代。正真正銘のバカであるゆえ、安穏に新しい事ができるのでございます」
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Posted by ブクログ
江戸落語を世に広めた三笑亭可楽の話。
修行の旅に出て、いろんなことを発見して、成長していく姿が期待を裏切らなくて嬉しくなる。
娯楽は禁止の世の中で、人々を説得していく様子は爽快。
左団次がめっちゃかっこいい。
又五郎が
「いつかやらなきゃならねえって勝負のときが、今、来たんだよ。(略)こういうおいらはおかしいか?」(p191)
って聞いた時、
「男子の本懐でござる」
って答えたのがすごくかっこよく見えた。
Posted by ブクログ
史実に基づいた作品。
寛政10年、白河の〜と称される松平定信が老中をやめた頃。
ここに一人の後に、江戸落語の礎を築いた「又五郎」がいた。櫛職人の名人源兵衛親方の厳しい修行を9年続けていた。
まだ江戸には、金を取って落とし噺をする場所はなかった。
旦那衆の粋な趣味としての集いであった。
ある時、大阪から芸人が興行に来る。
そこで、又五郎たち若い衆が大阪に負けてられぬと、興行をするも全然受けずにたった五日で終える。
又五郎は、親方の娘に葉っぱをかけられたこともあって、修行の旅に。。。。。
時の「笑い」「滑稽」「洒脱」を切磋琢磨した芸人達。場所によって笑いも変わる。真似だけでなく独自の笑いを目指す又五郎。
ある時水戸藩家老と出会い、認められ江戸へ凱旋。
と、簡単な筋はこんなだが、物語の中にもあるように、なんでも新しいことは「馬鹿」がつくる!
笑いの馬鹿が、作り上げる新しい文化!
三笑亭可楽、林家正蔵、三遊亭円生がここに生まれた。
実に楽しく、時代小説の新しい切り口!
江戸の咄家の話。
最初は、ちょっと、話に入って行きにくかったけれど、主人公が、一念発起して、修行して、一人前になっていくうちに、だんだん引き込まれて、読み終えていた。史実を元にしたフィクションという事だけれど、何となく、そんな事も、有ったのでは?と思ってしまった。