あらすじ
十津川&亀井、キリシタンの村に飛ぶ!
縄田一男氏の解説
山前譲氏編の最新詳細著書リストを収録
十三歳の川野三太楼という男が都内の小さな教会で倒れているところを発見された。
病院に運ばれたが、薬物による中毒ですでに死亡していた。
川野は一年前に長崎県の平戸を出たきり消息を絶っていたという。
なぜ東京の教会で発見されたのか?
足取りを追うと、川野は渡口晋太郎という人物を探して各地の教会を訪ねていたことが判明した。
十津川は、二人の出身地、平戸に飛び捜査を進める。
そんなさなか、平戸の世界遺産登録が話題となり地元は沸くが…。
第一章 老人の死
第二章 遍路に似る
第三章 長崎県平戸
第四章 キリシタンの村
第五章 世界遺産の道
第六章 約束
第七章 奇跡
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Posted by ブクログ
◎隠れキリシタンと潜伏キリシタン。日本人の信仰の深さと心情の問題は
ある教会の前で死んでいた身元不明の男。発見した中村神父のもとにやってきた大学生の緒方とともに論議していると、男が持っていた湯呑から、隠れキリシタンではないか、という推理をする。
その推理をもとに十津川と亀井は、男が川野という長崎県・平戸の出身だということがわかる。川野は平戸を出て京都や名古屋を回るが、その中で渡口という男を探していて…
渡口と川野の関係や行く先を探すべき、2人は平戸へ向かうが、そこでは現地の村の人々に話を聞こうとするもけんもほろろな対応に十津川・亀井は苦労するが……
***
"江戸時代と明治初期までは、キリスト教は禁止されていました。それが禁教期と呼ばれる期間です。この時代のキリシタンを、潜伏キリシタンと呼んでいます。その後、キリスト教が公認されたとき、カトリックに復帰した人々を、復活した人々を、復活キリシタンと呼びます。(p114)"
上記の本文中の「説明」に象徴されるように、キリシタンと言ってもそれぞれの信心やタイミングによって、どのように公認後の期間を過ごそうとしたのか、もっと言えば、先祖がどのような道を選んだかが、残された子供たちがどのようにその後過ごさなければならないかも規定されてしまう部分もあるのかもしれない、と感じる。
この物語は、そうした中で起こったある意味「行き違い」が、今回の事件を起こしたともいえるが、それが絶対に悪いかというとそうではない。
日本人がどのように信教するかというのは自由だし、その壁を乗り越えられなかった時代もあった(かもしれない)、ということであろう。(この物語が実際の史実がもとになっているかどうかは、明記はされていない。)
無論、いまこれからの時代は、乗り越えなければならない。
それを伝えるために西村氏はこの物語を書いたのかもしれない。