あらすじ
『記・紀』にみる神々の記述には仏教が影を落とし、中世には神仏習合から独特な神話が生まれる。近世におけるキリスト教との出会い、国家と個の葛藤する近代を経て、現代新宗教の出現に至るまでを、精神の〈古層〉が形成され、「発見」されるダイナミックな過程としてとらえ、世俗倫理、権力との関係をも視野に入れた、大胆な通史の試み。
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「ところで、先に思想史/宗教史という書き方をしたが、なぜ特に宗教に焦点を当て、宗教史という形を取る必要があるのだろうか。それにはまず、宗教とは何かということを考える必要がある。「宗教」という言葉はもともと仏教語ではあるが、今日のような使い方ははるかに新しく、第十章で述べるように、明治初めに欧米の religion(ラテン語の religio)に相当する訳語として用いられるようになった。欧米の religionはキリスト教の長い歴史を受けているので、当然キリスト教的な形態が範型となっている。そこから「宗教」は個人の心に関わる信仰の問題として、かなり強い意味合いを持つようになった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「しかし、日本の仏教にせよ、神祇崇拝(神道)にせよ、習俗化し、制度化していて、必ずしも個人の強い信仰を要求しない。洗礼や信仰告白のようなこともない。そうなると、なかなか翻訳語としての「宗教」にぴったり当てはまらない。とりわけ神道は、戦前の国家神道が宗教に非ざるものと規定されたため、戦後「宗教」の中に組み込まれても、必ずしもすっきりしないところがある。日本人の「無宗教」がしばしば問題にされる所以である。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「それと同時に、宗教もまた歴史の中に発現するものである以上、歴史を構成するさまざまな要素、とりわけ政治とどのように関係するかが常に問われることになる。宗教のダイナミズムはまた、宗教だけでなく、宗教を担う人間のダイナミズムでもある。表層的な思想として自己表現されえない民衆の心情は、しばしば宗教という形で噴出する。しかし、宗教は政治的な民衆運動とは異なり、政治との緊張関係の中で、政治の次元で解決できない問題へと導く。本書でも宗教と政治の問題は常に大きな主題となる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「日本の歴史を考える際、宗教と政治の間に見え隠れするのは天皇の問題である。本書でもその問題は随所で取り上げられるが、必ずしも十分に扱いきれていない。日本の宗教史・思想史を考えるうえで、天皇がどのように位置づけられるのか、その変遷を見極めることは今後の大きな課題である。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「鎌倉仏教は日本の仏教史、ひいては宗教史の中でももっとも栄光の時代と考えられてきた。とりわけいわゆる鎌倉新仏教は、極端にいえば、日本の宗教史の中で唯一高く評価されてきたといっても過言ではない。その鎌倉新仏教偏重の陰で、宗教史のそれ以外のほとんどすべてが光を失ってきた。鎌倉新仏教以前の日本の宗教は鎌倉仏教を用意するためのものであり、鎌倉新仏教以後は宗教は衰退する一方としか見られなかった。このような鎌倉新仏教中心の仏教観は、明治になってはじめてできた、きわめて近代的なものである。それは、近代における〈古層〉の「発見」の仏教版と言ってよい。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「以上概観したように、鎌倉時代の仏教は実践思想を中心に大きく展開した。鎌倉仏教だけをあまりに過大に評価することは危険であるが、確かにこの時代に優れた仏教思想家が現われ、また後に強大となる宗派の基はこの時代に築かれたことも事実である。しかし、注意すべきは、彼らの展開した仏教は必ずしも伝統的な仏教をそのまま継承するものではなかったことである。戒律無視の動向は顕著であり、それは思想的には本覚思想と結びつくものである。また、戒律を復興しようとする律宗にしても、本来の仏教の戒律から外れた社会活動を積極的に行なった。このような伝統的な仏教からの逸脱が、かえって仏教が民衆の間に広がり、定着するエネルギーになっていることに注意しなければならない。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「紀伊半島は早くから宗教的な聖地として重視された。奈良・大和地方のすぐ南で、中央に吉野から大峯へかけての高く深い山岳が連なり、その南は熊野、東は伊勢へと続いている。吉野は天武天皇が即位前に拠点として壬申の乱に勝利を得たこと、後には南北朝時代に南朝が籠ったことなど、政治的・軍事的にも大きな意味を持っていた。持統天皇時代の吉野の離宮が道教的な楽土と考えられたように、早くから特殊な雰囲気を持った異境であった。 仏教が広まって以来、これらの地域は山岳修行の恰好の場となり、そこから修験道が発展した。修験道の開祖は役行者(役優婆塞)とされるが、彼は吉野金峰山で蔵王権現を感得したと伝える。蔵王権現は忿怒形で片足を挙げた力動的な姿で表わされ、密教の明王から発展したものであることは明らかであるが、既存の仏では日本の衆生を救うことができないので、釈迦・千手観音・弥勒菩薩の徳を兼備して新たに出現したといわれる。修験道は後に、天台宗系の本山派が聖護院を中心とし、真言宗系の当山派が醍醐寺三宝院を中心として発展した。全国的に広がるが、紀伊半島の諸山の他にはとりわけ東北の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)が名高い。修験道は蔵王権現をはじめとして、一般の仏教とも神祇信仰とも違う独特の神格や組織、修行、儀礼などを発展させ、神仏習合のもっとも典型的な形態を示している。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「紀伊半島の諸山は、山岳修行の場であると同時に、特殊な聖地として人々の信仰を集め、貴族たちの参詣が絶えなかった。吉野は弥勒菩薩が将来仏として成道する場と考えられ、それを期待して経筒に納められた写経が経塚に埋蔵された。その中には、関白藤原道長のものも現存する。熊野は、とりわけ院政期以後本地垂迹説に基づく信仰が行なわれるようになった。熊野は本宮(熊野坐神社)が阿弥陀仏、新宮(熊野速玉神社)が薬師仏、那智(熊野那智神社)が千手観音の垂迹とされ、三仏の垂迹の集まる熊野はこの世の浄土と考えられて、上皇や貴族なども含めて熊野詣が盛んに行なわれた。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「また鎌倉期末の説話集『沙石集』には、なぜ伊勢では仏教を忌むかということを説明する神話がある。それによると、第六天の魔王(欲界の第六天は仏道を妨げる魔とされる)が日本に仏法が流布することを恐れて、そうさせないようにと下ってきたとき、アマテラスが策略を凝らして、「私は三宝の名も言わず、身にも近づけないので、どうか天にお戻りください」と説得して帰したのだという。そこで、その約束に従って、伊勢では仏教を忌むことにしているが、かえってそのことによって、日本での仏法の隆盛を保護しているというのである。 これは、伊勢の神仏隔離を説明して、それが仏法を退けるのではなく、かえって仏法守護のためであるとして、神仏習合の側に組み込むことを可能にしている点で、きわめて巧みな神話的物語である。第六天の魔王や天狗など、仏法を妨げ、社会の秩序を乱す魔的な存在が中世には跋扈する。それをいかに秩序の中に組み込むかという点にも、中世神話は大きな役割を果たしている。このように見れば、中世神話は決して荒唐無稽のわけの分らないことをいっているわけではない。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「それだけ見るといかにも怪しげであるが、性的な要素が当時の密教の中で重視されるようになってきたのは、必ずしも不可解なことではない。仏教が民衆の中に広まっていくとき、性からの離脱は現実にそぐわないものとなっていく。なぜならば、一般の民衆にとって、子孫を残すことと豊穣な収穫を得ることはもっとも大きな関心事であり、そのために性の力は不可欠のものであるからである。今日でも神社の祭には性的な要素を含んだものが数多く残されている。民衆の間だけでなく、同じことは王権に関しても言えるのであり、立川流と密接な関係を持つダキニ法は、まさに即位灌頂など、王権の力を生み出すもととなるのである。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「前章に述べたように、伊勢神宮の信仰は仏教と深く関係しながら進展した。しかし、もともと仏教と緊密に結びついていた山王と異なり、伊勢は神仏隔離の性格を持つために、独自の動きも見られた。その中でとりわけ伊勢神道と呼ばれる独自の展開を示したのは、外宮の神官度会氏であった。伊勢はともすれば皇祖神を祀る内宮が重んじられる傾向があったが、中世になって広く布教活動を行なうようになると、因習に捉われない外宮のほうが自由な活動によって勢力を伸ばすことができた。その中で、永仁四年(一二九六)に「皇字論争」と呼ばれる論争が起こった。これは、もともと内宮のみが「皇大神宮」を名乗っていたのが、外宮も書類に「豊受皇大神宮」と記したため、内宮側が反発したものである。このとき、外宮側が自らに有利な証拠として提出した中に、後に神道五部書としてまとめられ、伊勢神道の基本文献とされたものがあった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「天文一八年(一五四九)、イエズス会のフランシスコ・ザビエル(シャビエル)は記念すべき日本への第一歩を鹿児島に印した。キリシタン時代の開幕である。ザビエルは同二〇年(一五五一)までの二年余の間に、平戸、山口、京都、大分などの各地で布教し、その後をトレルスに託した。こうしてはじまったキリスト教の伝道は大きな成果を挙げ、十七世紀のはじめに禁止される頃には、三十万から四十万人もの信者を獲得するに至った。 キリスト教の到来は、仏教伝来以後始めて、外から来た大宗教との出会いであった。しかも、仏教がもともとはインドに由来し、シルクロードを通してインドや西方の文化の薫りを伝えたとしても、基本的には東アジアの枠の中での交流であったのに対して、キリスト教の伝来は、地球を半周したヨーロッパの宗教文化が直接やってきたのであり、日本はこれまでまったく見知らぬ異質の文化と直面することになった。それと同時に、日本はグローバルな世界文化の中に否応なく投げ出された。それは宗教の次元だけの問題ではない。キリスト教の伝来が鉄砲の伝来とセットにして語られるように、西欧の文化は、これまでの東アジアの範囲では想像も付かなかった巨大な物質文明を伴っていた。日本におけるキリスト教の発展は、南蛮貿易と密接に関係することになる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「それでは、キリスト教はどのように受け容れられたのであろうか。ザビエル時代から始まって、キリスト教の宣教師たちはいたるところで仏教僧から論争を仕掛けられ、彼らを論破するために仏教を学び、また、仏教的な概念を用いて布教することとなった。かつて仏教が仏という新たな崇拝対象をもたらしたように、キリスト教のもたらしたデウスもまた、これまでの日本の宗教にない新たな神格であった。それ故、デウスをどう日本語に訳すかというところから出発しなければならず、最初ザビエルは、デウスを仏教用語を用いて「大日」と訳したところから誤解が広がり、結局「デウス」という原語をそのまま用いる方針に転ずることになった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「戦国の世が終わり、統一政権が確立する過程で、大きな課題となったのは強大な仏教勢力を押さえ込むことであった。中世末期には、浄土真宗の一向一揆の勢力はもちろん、京都の町衆を背景とした日蓮宗、また、比叡山や高野山などが、それぞれ大きな経済力と武力によって世俗的にも巨大な力を持っていた。信長はキリシタンには友好的であったが、仏教に対しては徹底的に敵対し、強力に武力討伐を進めた。まず元亀元年(一五七〇)比叡山を攻撃し、根本中堂をはじめ、ほとんどすべての堂宇を焼き尽くした。日蓮宗に対しては、浄土宗との間で論争をさせ(安土宗論、一五七九)、それをきっかけに抑え込んだ。もっとも厄介だったのが浄土真宗の本願寺勢力であった。石山本願寺に拠る顕如は徹底して抗戦し、元亀元年から十一年間の抗争(石山合戦)の末、天正八年(一五八〇)顕如らの石山退去によって結末を迎えた。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「こうした制度の確立により、仏教は一面では保護され、葬式仏教という独自の形態を定着させた。宗教は個人の自由な信仰によって成り立つものではなく、檀那寺と檀家という家単位の関係で成り立ち、個人はその制度の中に生まれつくことになった。寺院は宗門改帳によって生者の監督に当たるとともに、墓地を管理し、過去帳を整理することによって死者をも管轄するという大きな役割を課せられることになった。こうした仏教の優位に対して、神道による神葬祭を進める運動もあったが、大勢を揺るがすまでには至らなかった。後に明治になって制度の束縛がなくなり、宗教の自由が認められるようになっても、寺院による家単位の墓地の管理は続き、葬式仏教は寺院を支える大きな経済的基盤であると同時に、仏教は草の根レベルでなお大きな影響力を持ち続けた。今日、家のシステムが崩れつつある中で、葬式仏教も少しずつ変わらざるを得ない情勢にある。それはもしかしたら、日本の宗教史の大きな転機となることかもしれない。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「近世は儒教(儒学)の時代で、儒教は倫理の教えであって宗教ではなく、宗教、とりわけ中世まで栄えた仏教は衰退するというのが、かつて常識化していた近世のイメージである。古代・中世は仏教の時代、近世は儒教の時代というのである。その儒教の中でも朱子学が正統で、それに対して、陽明学や古学が勃興し、他方、中国由来の儒学に対して、日本本来の道を明らかにするものとして国学が起こる──これが教科書などに出る江戸時代の思想状況である。しかし、そのような図式は今日では大きく変わってきた。儒教ははたして江戸時代の主流の思想であったかというと、疑問視されるようになってきている。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「以上、世俗的な職分の倫理を基礎付ける宗教的な理論を取り上げた。しかし、近世の庶民の信仰はこのように理論的に整理されたものばかりでない。むしろさまざまな神仏が、その霊験によって信仰されるということが少なくなかった。七福神のように縁起のよい現世利益の神仏が広く信仰された。それらの信仰は、修験、陰陽師などによって広められた。また、流行神といわれるように、突発的に流行し、一時期熱狂的に信仰されるが、やがて忘れられてしまうような神仏もしばしば現われた。 生き神として信じられるような人もいた。例えばお竹大日というのは、出羽国から出てきて江戸の商人のところで奉公していたお竹が、羽黒の修験者によって大日如来の化身として信仰されたというものである。このように、何の特別のこともない庶民が突然仏の化身とされ、やがて大々的な宣伝によってブームを呼ぶこともあった。また、重税に苦しむ農民のために将軍に直訴して処刑された佐倉惣五郎が神と祀られるような義民信仰も見られた。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「儒教は中国から輸入されたものであり、その点では仏教と同様、土着していない弱さを持つ。中国の聖人の教えがそのまま日本に該当するという保証はない。度会延佳は、「神道・儒道其旨一なれば、其道によりて修する教のかはる所はあるまじけれども、異国と我国と制度文為はちがひめ有り、それをわきまへず、古より我国になき深衣をきる儒者など近比はありとなん。此事大なる非義なり」(『陽復記』)と、中国式のやり方をそのまま持ち込む儒者を批判している。そこで儒者の側では、日本社会におけるその存在意義を神道に求めることになったということも考えられる。即ち、為政者の立場から日本独自の歴史・伝統を重んじ、仏教の外来性を排して、神道にアイデンティティを求めたのである。その過程でとりわけ伊勢神道の理論において、神々から天皇の歴史へと連続する系譜学が重視された点や、唯一神道の根葉花実説の日本中心主義などは、儒学者にも大きな影響を与えることになった。このような発想の受容は、日本の宗教文化の〈古層〉の「発見」に結びつくものである。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「闇斎を支えるもう一つの柱が神道である。朱子への絶対的傾倒と一見矛盾するようであるが、儒教と神道の真理は一致するものと見られ、日本における真理のあり方として神道を重視するようになった。闇斎は伊勢・吉田両神道の秘伝を受けているが、とりわけ吉川惟足から伝授された吉田神道の影響が大きい。そもそも吉川惟足は宋学の影響を強く受けており、土金之伝や神籬磐境之伝などの秘伝を体系化した。土金之伝は五行相生説に基づくもので、五行は木 →火 →土 →金 →水の順に循環するとされる。その中の土・金を「天地未分ノトコロヨリソナワル真」(『土金之秘決』)とみて根本に置き、金によって土がしまるから、ツチシマルからツツシミ(敬)に通ずると解している。それが本来の秩序であり、君臣上下がきちんとしていることであるという。吉田神道の最奥の神秘とされる神籬磐境之伝もまた、君臣の道を守ることに他ならないと解される。こうした惟足の思想は、そのまま闇斎に受け継がれることになった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「本居宣長(一七三〇―一八〇一)の方法は、西欧の古典文献学にも比較されるように、きわめて厳密な学問的手続きをとって進められ、その成果は今日でもなお色褪せていない。しかし、ただ自国の古典だから研究するというだけのものではない。古典の研究は、そのまま自らの生き方の探求であった。宣長はそれを、「主としてよるべきすぢは、何れぞといへば、道の学問なり」(『うひ山ぶみ』)と規定している。しかし、その「道」は儒教でいう「道」とは異なっている。「第一に、漢意・儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし」(同)。それでは、どこに「やまと魂」の道を求めるべきかと言うに、「此道は、古事記・書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろもろの事跡のうへに備わりたり」(同)とされ、そこから、記紀、特に『古事記』の研究が肝要とされることになる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「宣長を受け継いだ篤胤は、膨大な著作において、インド・中国から西洋まで、ありとあらゆる文献を漁って、日本の優越性を証明しようと努め、日本以外の伝承は所詮日本の正しい道が歪んで伝えられたものに過ぎないと主張する。それは唯一神道の根葉花実説以来の課題であったが、篤胤がそれを証明しようとすればするだけ、ますますいかがわしい袋小路に追いやられていくかのようであり、我が国こそ根本という結論だけが終始固執されることになる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「神仏分離は直ちに廃仏を意味するわけではないが、神道優位の気運のもとに廃仏的な雰囲気が高まり、廃仏毀釈の運動を招くことになった。奈良の興福寺は自主的に僧侶が還俗して廃寺となり、比叡山と一体化していた日吉山王社では神官や人足たちが押しかけて、仏像をはじめ、仏教と関係する宝物などをすべて焼いたり棄却したりした。修験道のようにもともと神仏習合的な性格の著しい形態ではとりわけ影響が大きく、既存の宗教形態を大きく変容させることになった。また、津和野藩をはじめとするいくつかの藩では藩単位で廃仏を実践し、仏寺を破却して神葬祭に切り替えた。あまりに激しい廃仏の動きに対して、政府がそれを押しとどめなければならないほどで、その動きは明治四年頃まで続いた。それは確かに一部の神道家やその支持者たちの過激な動きではあったが、仏教側がそれに抵抗できるだけのエネルギーを失っていたことも事実であった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「こうして宗教の課題は、外界の一切を断念し、内面に籠ることによってのみ達成されることになる。そこには、「真面目に宗教的天地に入らうと思ふ人ならば、……親も捨てねばなりませぬ、妻子も捨てねばなりませぬ、財産も捨てねばなりませぬ、国家も捨てねばなりませぬ。進んでは自分其者も捨てねばなりませぬ。語を換えて云へば、宗教的天地に入らうと思ふ人は、形而下の孝行心も、愛国心も捨てねばならぬ。其他仁義も、道徳も、科学も、哲学も一切眼にかけぬやうになり、茲に始めて、宗教的信念の広大なる天地が開かるゝのである」(「宗教的信念の必須条件」)という断固たる決意が必要とされる。国家も愛国心も捨てなければならないという強い断定は、明らかに「教育と宗教の衝突」論争を意識し、国家道徳を主張する井上哲次郎らに対する宗教側からの反論として出されたものである。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「第八章で見たように、江戸時代には仏教や神道のように確立した宗教の他に、流行神のように民衆の間に広まった宗教があり、また、陰陽師や山伏のような民間布教者が活動し、民衆の間の宗教は非常に盛んであった。制度化した宗教の他に、その制度の隙間を縫ってマグマのように噴出してくる宗教のエネルギーは、どこに何が出てくるか予測のつかないものがあった。一時の流行だけで消えてしまうのが多い中で、次第に教祖的な人物を中心に信者が集まり、世代を超えて継承していくような教団的な組織が作られるものが出てきた。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「大本教がそれまでの新宗教と異なる特徴は、天才的な霊能者である出口王仁三郎(一八七一―一九四八)の協力を得て、男女のコンビを組むことに成功したことである。なおは変性男子(肉体は女性で、霊魂は男性)、王仁三郎は変性女子(肉体は男性で、霊魂は女性)とされ、両者一体の緊密な体制を作り出した。このように、シャーマン的な女性とそれを解釈発展させる男性のコンビという体制は、その後の新宗教でしばしば見られるようになる。霊友会の小谷喜美と久保角太郎、立正佼成会の長沼妙佼と庭野日敬などがそれである。男性優位の家父長制の強い時代の中にあって、新宗教は民衆レベルからジェンダーのあり方に対して大きな問題を提起してきた。 それだけに、国家の方針と必ずしも合致するわけではなく、大本教は出口王仁三郎の指導下に大いに発展しながらも、その独自の神話解釈が天皇否定につながるとして、昭和になって壊滅的な弾圧を招くことになった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「キリスト教に較べると、仏教のほうは必ずしも社会活動が盛んとはいえなかった。その中で、明治三三年(一九〇〇)に結成された仏教清徒同志会は境野黄洋・高島米峰らを中心として、雑誌『新仏教』を刊行し、清沢満之の精神主義の主観主義などを批判しながら、社会的関心を広げた。大逆事件の際には、内山愚童・高木顕明ら仏教僧が連座し、社会に衝撃を与えたが、キリスト教のように、仏教社会主義が大きく発展することはなかった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「明治が終わり、大正に入ると、相対的な社会の安定の中で、大正デモクラシーの運動が進められて自由な雰囲気が生まれ、大正教養主義といわれるように、個人の自覚と教養を高め、近代的な自己を確立することが大きな課題となった。これは、明治後半の清沢満之や高山樗牛、綱島梁川らの目指した方向を受け継ぐものである。明治末にはニーチェが紹介されてブームとなり、その後の日本の知識人に大きな影響を与えた。ニーチェは西欧の近代の行き詰まりの中で、その超克を図った哲学者であったが、日本ではむしろ近代的な自我の確立という点で受け止められた。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「その代表的な例が高山樗牛(一八七一―一九〇二)である。樗牛ははじめ国家主義的な立場に立って雑誌『太陽』を舞台に論陣を張ったが、結核で海外留学を断念しなければならなくなってから自省を深めて、明治三四年(一九〇一)には個人主義を主張した。樗牛の個人主義は本能の満足を求める本能主義で、それをニーチェ主義と結びつけた。それは、知識人の世界に大きな影響を与えたキリスト教的なリゴリズムに対して、抑圧されていた性欲などの本能を積極的に主張するものであった。内村らのキリスト教倫理主義は武士の儒教的倫理につながるものであり、そのことは国際的な場で活躍したキリスト教徒新渡戸稲造が『武士道』(一八九九)の著者であることからも知られる。樗牛の本能主義はそれを批判することで、封建的抑圧から自由になることを自我の解放として求めた。その思想は自然主義を経由して、大正の白樺派などに受け継がれることになった。なお、樗牛はその後さらに田中智学の『宗門之維新』を読んで感激し、日蓮主義に転換している。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「 「万世一系」の天皇を頂点とする日本の国体という観念は、江戸時代後期からの〈古層〉の「発見」の歴史の上に成り立ち、近代になって、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という憲法に集約される。それが昭和ファシズム期に頂点に達することになる。しかし、その観念が草の根の隅々まで浸透するには、単に権力による強制だけでなく、それを支えた民衆的基盤を考えなければならない。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「しかし、日蓮主義や『法華経』信仰は、そのような右翼的な方向と結びついただけではない。上述の妹尾義郎も日蓮信仰者であったが、反ファシズムの立場に立った。また、宮沢賢治は政治との関わりを一切持たずに、『法華経』に広大な宇宙観を読み取り、詩や童話に展開した。ちなみに、明治のキリスト者内村鑑三も『代表的日本人』に日蓮を取り上げており、日蓮といえば国家主義と結びつけるのは短絡的である。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「創価学会のもととなる牧口常三郎(一八七一―一九四四)の創価教育学会もまた、日蓮信仰に立ち、もともとは日蓮正宗の在家信者の集まりである。教育者であった牧口の著書『創価教育学体系』第一巻が刊行された昭和五年(一九三〇)を創立の年としている。日蓮正宗は日蓮の弟子日興の富士門流の流れに立ち、日蓮宗の中でも他派とは距離を置いた特異な位置を占めているが、牧口とその弟子で創価学会第二代会長となる戸田城聖(一九〇〇―五八)とは、日蓮正宗の他派排斥の立場から、伊勢神宮のお札(大麻)を焼いたということで、昭和一八年(一九四三)逮捕され、牧口は獄死した。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「しかし、これは外から強制された変革であって、神道界自身の自覚や反省によるものでないだけに、神道に関する問題はその後もくすぶり続けることになった。折口信夫のように、これこそ神道が宗教として生まれ変わるよい機会として積極的に捉えるものもいたが、それはごく少数であり、神道界全体としては戦前を懐かしみ、復古を願う機運のほうが大きかった。他方、仏教界の鈴木大拙が戦争の責任はすべて神道にあるとして攻撃したように、神道を一方的に悪者に仕立て上げて非難するだけの論調も目立った。神道問題はタブーとされて学術研究が遅れ、十分な議論がなされないままになっている問題が多い。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「また、靖国神社に関しては、敗戦によって国家との関係は切れたにもかかわらず、戦没者の氏名が厚生省から靖国神社に送り続けられていたように、なお国家との関係がくすぶり続けている。一時期靖国神社国立化を推進する動きもあり、それは現行憲法の下では無理であることが明白になっているが、それに代わって首相の参拝問題がクローズアップされている。また、靖国神社が海外から批判を招くことを恐れ、靖国神社と別の国立戦没者慰霊施設を作るという声もあり、今日に至るまで議論が絶えない。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「しかし、進歩的な労働運動や学生運動が盛んになる中で、宗教は否定的に見られ、とりわけ知識人の言説において正面から議論されることが少なかった。戦後大きな影響を与えたマルクス主義は唯物論・無神論の立場に立ち、宗教に対して批判的であった。また知識人の間ではキリスト教、とりわけプロテスタントに親近感を持つ場合が少なくなかったが、そこには、戦後の社会科学をリードしたマックス・ウェーバーの影響が見落とせない。ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、近代の資本主義の精神の源流をプロテスタンティズムの倫理に見出したが、それは合理的な近代社会の構築を目指す戦後進歩派の共感を呼ぶことになった。そのために、宗教というとプロテスタント型のキリスト教が模範とされ、伝統的な宗教は人気がなく、また、新宗教は「新興宗教」と呼ばれて、しばしば軽蔑的に見られた。「神々のラッシュアワー」の中で、新宗教の中には珍奇な儀礼もしばしばあり、スキャンダルや犯罪も少なくなかったところから、それを扱うマスコミの論調もしばしば興味本位となり、宗教は必ずしも真面目に論じる対象とされなかった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「そうした中で、特に戦後進展が著しかったのは創価学会である。創価学会は、牧口常三郎が獄死した後、戦後活動の中心となったのは第二代会長戸田城聖であり、強力な折伏運動で都市の低所得者を中心に急速に信者を増やした。戸田の後、昭和三五年(一九六〇)に第三代会長となった池田大作は、その絶大なカリスマ性によってさらなる大発展へと導いた。日蓮系では、布教に相手の立場を尊重しながら穏健に導く摂受と、相手がどのような態度を取ろうが正面から自説を主張して説き伏せる折伏があるが、創価学会が採ったのは折伏の方法であった。また、現世主義的な立場に立ち、信仰の結果は現世に直ちに現われるとしたことも、広く信者を獲得する結果となった。しかし、その折伏的態度は既成の教団と軋轢を生み、また社会的にも批判を浴びるようになって、その激しい折伏活動を収めることとなった。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「なお、創価学会はもともと日蓮正宗の在家信者団体であったが、日蓮正宗側との対立が激化し、一九九一年に日蓮正宗が創価学会を破門することで両者の関係は決裂し、創価学会は既成仏教の信者団体から純粋な新宗教として再出発することになった。また、創価学会インターナショナル( SG I)は国際的にも大きく発展しており、カルトとして危険視されることもある。創価学会は、さまざまな点で、よくも悪くも日本の宗教のもっとも新しいフロンティアを切り開いている宗教ということができる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「しかし、例えば一般の日本人が神社に参詣したり、寺院に墓参したりするとき、はたして「究極的意味」とか「究極的解決」ということを考えているであろうか。恐らくそのようなことはないであろう。それならば、そのような行為は宗教的ではないかというと、そうもいえない。宗教を「究極的」とか「絶対的」とか言ってしまうと、多くの日本人は「無宗教」ということになってしまう。しかし、習俗化した行為まで含めれば、多くの日本人は何らかの形で宗教と関係しており、厳格な意味での無神論とか無宗教の人はきわめて限られている。日本で「宗教」というときには、この二重の意味を持っていることを認識しておく必要がある。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「今日使われる「宗教」という言葉は、 religionの訳語として用いられ、個人の心の問題としてかなり制限された意味で使われている。その範囲からは、習俗、儀礼に関する要素が抜け落ちてしまっている。今日の宗教研究に大きな影響を与えた宗教学者岸本英夫は、「宗教とは、人間生活の究極的な意味をあきらかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、人々によって信じられている営みを中心とした現象である」(『宗教学』)と定義している。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「倫理学者和辻哲郎によれば、「人間」というのは、文字通り「人の間」の存在であるという(『人間の学としての倫理学』)。私たちはただ物理的な空間に生まれるのではない。最初から親子の関係の中に生まれつくのであり、それを通して複雑な「人の間」に組み込まれている。個別的に接触する「人の間」の日常的な倫理だけではない。さらに広げれば政治や経済のシステムも同じように「人の間」の関わり方であり、そのような関係を通して、私たちは直接に出会うことのない地球上のすべての人とも何らかの関係を持つことになる。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「 「人の間」のルールの逸脱というと、非常に特殊なことで、ふつうの人には関係ないように思われがちである。しかし、そうではない。例えば日常でも、私たちは自分でも制御できない激情に駆られることがある。それは自分でも説明できない、自分自身の中に巣食う「他者」というべきである。あるいは、先に挙げた例で言えば、寺社に参詣することは、たとえそれがただちに「究極的」とか「絶対的」とかいうことでなくても、少なくとも合理的に説明されるこの世界の秩序を超えた何ものかと関係を持つことである。」
—『日本宗教史 (岩波新書)』末木 文美士著
「世界史的にも、「危機」という点では、一四世紀のほうが深刻だったと思われる。一四世紀には、ユーラシア大陸の多くの地域でペストが大流行した。中国あるいは中東が発生源といわれているが、それがヨーロッパまで広がったのは、モンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が発展したためだった。このペスト禍に地球寒冷化が加わり、一四世紀半ばにはユーラシア大陸全域で危機が発生した。東南アジアの出来事で、地球寒冷化と結びつく可能性が高いのは、一四世紀半ばの陳朝ベトナムでの飢饉の頻発と、それに伴う社会的混乱であろう。また、東北タイとカンボジア西北部のドライゾーンの平原が、歴史の表舞台から姿を消すことになるのも、なんらかの生態環境の変化と関連しているかもしれない。」
—『東南アジア史10講 (岩波新書)』古田 元夫著
「この時代に、東南アジアの最も有力な輸出品となったのが、胡椒だった。胡椒の原産地は南インドだが、一四〇五年頃、北スマトラに苗木がもたらされ、東南アジア各地で栽培されるようになり、原産のチョウジやニクズクに加え、東南アジアは胡椒でも重要な産地になった。胡椒輸出のピークとなった一六七〇年代には、東南アジアからは、推計で年間六〇〇〇トンがヨーロッパに、二〇〇〇トンが中国に輸出された。」
—『東南アジア史10講 (岩波新書)』古田 元夫著
Posted by ブクログ
(2024/11/05 10h)
新書1 冊だけで古代から現代までにおける日本の宗教観を総覧している稀有な本。内容はまとまっていて、過去に学んだ日本史と結び付けつつ楽しく読んだ。
少ない紙幅ながら、情報はいくつも散りばめられているために、ここからいくらでも掘り下げられる。深掘しては整理するため読み返すのに有用でありがたい本。
『どちりいなきりしたん』において、キリストの教えを広めるために、既に日本に馴染んだ仏教の用語や「天狗」のような語を用いている点はおかしみがあった。
神道の定着しない点については、葬式の定着度合いが分け目になったという指摘もある。いまでも葬式は仏教式が主流であり、納得できる。
国家神道として、各宗教観の揺らぎ・政教分離の如何について触れられており、避けられない靖国問題や創価の公明党についても言及。
現代においては新新宗教として、カルト宗教についてもサラリと記載がある。現代に生きる自分にはここをもっと知りたいと思うし、物足りないが、なにぶん1冊中の数ページなので仕方ない。ここから掘り下げて読んでいきたいと思う。
Posted by ブクログ
丸山真男が言う歴史を貫く唯一の古層などない。層の重なりがあり埋もれている古層を宗教史を通じ検討する。
近代における過去の発見は近代に都合の良い古層を作り出す作業であった。古代最大の文献は記紀である。記紀神話は仏教と無関係ではなく影響がある。
神仏習合は最も深い古層である。集合にはいくつかの形態があるが、何も仏教側が土着的信仰を吸収する形である。
日本仏教思想の基礎は平安初期に最澄空海により確立された。9世紀後半から律令制が崩壊し荘園制へ移行した。宗教もまた国家的祭祀から私的祭祀へと性格を変えた。
死に関する儀式は仏教、現世利益は仏教・神祇信仰・陰陽道があわせ用いられた。
信仰を強めるため末法思想が広められた。鎌倉仏教は日本仏教の最盛期と見られている。煩雑な儀礼的要素を排し平等な救済を説いた。ありのままの現状を肯定する本覚思想が現れ、最も日本化した仏教思想と言われる。
本地垂迹とは遠くの仏より近い神の方が貴いとする説であり、山王信仰がある。
中世は偽書も多いが、合理主義の奥の古層レベルにおいて偽書も生きることがある。
近世では朱子学が正統とされたが、仏教神道思想が衰えたわけではなく、百家争鳴の状況だった。
Posted by ブクログ
日本宗教の歴史のイメージをとりあえずふんわりと抑えるという意味において、本書の持っている力というのは絶大だと思う。
無論、新書という形態をとっている以上、細かいところまでは言及されてはいないし別の見方もあるのだろう。
けれど、日本における「宗教」概念がどのように形成されてきたのか、そしてどのような実態があったのかを振り返るためには、本書のような存在が欠かせない。
宗教学をやっている人にかぎらず、日本の思想に興味がある人は読んでみても決して損はしない一冊。
Posted by ブクログ
ふーむ面白かった。
しかしあれですね。宗教ってわけわかんないですね。(いっちゃった!)
ただ、現世利益を求めるようになったっつーのは、少なくとも余裕がでてきたからなのかしらと思いました。
その欲求っていうのもまた、いいんだか悪いんだが…うそ寒い現代を作ったなあとおもいます。
実感があるからなのか、いわゆる新興宗教というやつには抵抗があるのは事実です。現代というやつは、何て言うか信仰心を小ばかにしてる感じもあるし、そのせいなのかも。
とりあえず本はおもしろかった。荒かったけど、面白かった。
Posted by ブクログ
日本宗教史を「古来不変の日本精神」の探求ではなく、歴史の過程で重積・沈澱してきた「古層」の形成過程として分析する試み。本書の特色は、「日本人は無宗教か?」という問いに対し、歴史という巨大な地層(古層)から答えを出す点にある。
本書は、有史以来不変の発想様式(古層)は存在せず、古層自体が歴史的に形成・沈澱されたものであると主張する。記紀神話等の文献資料は7世紀末以降のものであり、それ以前の姿をそのまま反映しているとは限らないため、特に7世紀末から8世紀初頭(天武・持統朝)を、文献的な「古層」が形成された最大の画期と位置づける。
記紀神話については、アマテラスを頂点とする神話体系は、天武・持統朝の権力闘争と皇位継承をスムーズにする機能を持たされた創作であると論じる。アマテラス(祖母)からニニギ(孫)への継承図式が、持統(祖母)から文武(孫)への継承実態と平行関係にあるため、天皇支配の正統性を神話的に確証する「国家神話」として、当時の皇位継承問題を反映しつつ、改変・創作されたものと整理する。
神仏習合については、日本の神々は仏教によって滅ぼされたのではなく、仏教の影響下で神像が作られ、固定した神社が建立されるなど、仏との対比で個性を明確化したと指摘。歴史的に解明できる限り、日本の神々はその出発点から仏との交渉の中に自己形成をしてきた。
初期神仏習合の思想として「神身離脱」が重要。これは、日本の神も六道を輪廻する苦しい存在であり、仏法に帰依して救われるべきだとする考え方で、8世紀前半に苦しむ神を救うために神社の傍らに建てられた寺(越前比古神宮寺など)が神宮寺として神仏習合の具体的な端緒となった。
天智期関連では、壬申の乱で大海人皇子(天武)が伊勢の豪族を味方につけたことで、伊勢神宮のアマテラスが皇祖神として特別の地位を得たと指摘。天智期までは伊勢と朝廷の関係は密接ではなかったが、天智の子・大友皇子を破った天武朝において、伊勢の神が皇室の守護神として再定義された。
また、天智・天武朝にかけて中央集権化が進む中で、理想的な政治・仏教の指導者としての「厩戸皇子(聖徳太子)」像が『日本書紀』段階で造形されたと論じる。これは聖徳太子虚構説(大山誠一説など)を前提にした記述で、像の"政治利用"がテーマになる。
僧の役割としては、遣唐使から帰国後、大安寺を移築し、『日本書紀』の編纂にも仏教の知識をもって関与したとされる僧道慈の例が挙げられる。僧が"経"だけでなく"記録"を扱い、典籍・文書・年号・儀礼次第など、国家が必要とした知(暦・儀礼・正史の形式)を提供した点が重要。
中世以降は、この神仏習合が「本地垂迹説」として理論化され、近世の儒教・国学による「古層の発見(=新たな創作)」を経て、近代の「国家神道」へと再編されていくプロセスを、政治と宗教の緊張関係から描き出している。
注意点として、聖徳太子の事績の多くが『日本書紀』による創作であるとする説(大山誠一説など)を前提に記述されている点、古代に「神道」という体系があったわけではなく、中世以降に自覚的に形成されたとする「黒田俊雄説」に近い立場をとる点がある。著者は文献史学・思想史の立場から「言説(書かれたこと)」を中心に分析しているため、発掘調査などの考古学的知見よりも、記紀や仏典の引用・加工のプロセスに重点が置かれている。
岩波新書で専門用語の解説が丁寧、通史としての見取り図が非常に明快な初学者向け。飛鳥時代の王宮で、誰がどのような意図で「アマテラス」という最高神を仕立て上げ、外来の「仏」とどう折り合いをつけたのか。古代の「死生観(ケガレ)」や「神がかり」の生々しい感触から、近代の「国家神道」に至るまでの日本の宗教的深層が一気に俯瞰できる。単なる知識ではなく、日本人の「思考の癖」がどこで生まれたかを知るための必読書。
匿名
欧州や中東では宗教的にはキリスト教やイスラームが絶対的な地位を占めていたが、日本ではどうなんだろうと思って読んでみた。神道・仏教・儒教のシンクレティズムだったというのは当然知っていたが、あまりにも漠然としていたのでその実態を知ることができたという点では良い読書だった。儒教の影響が強くなるのは江戸時代からで(それも知識層や官学としてのものだが)それ以前は神仏習合の形態が日本の宗教社会のありようだったようだ。個人的には道元や親鸞など鎌倉仏教に興味と思い入れがあるが、それらを読んでいては分からない、日本の土着の神祇信仰と絡み合ったという意味での日本仏教の形を知ることができた。
また特に明治以降は日本国家の古典として半ば神聖視され仏教や儒教以前の日本のあり方を知る書として読まれている日本書紀や古事記も実際には仏教の影響を受けていることが説明されている。その点で本居宣長は紀記に日本の古層を求めていたが、実際には既にそれは人為的な古層であったという。
Posted by ブクログ
日本の宗教史が詳しくかかれており、どのような形をえて、現在の日本のかたちなったのかが良くわかる本です。浅く広く宗教史を書いている感じで勉強になりました。
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最初と最後が面白かった。丸山眞男の提唱した古層論にたいして、どのように捉えるべきなのか。古層とは、一環的なものじゃなくて、それ自体が歴史的に形成されてきたもの。
イザナミイザナギの時代の話から創価学会まで分かりやすく説明されてる。
鎌倉仏教とかキリシタンの話は眠かったけど、大学受験の内容を復習出来てなかなか面白かった。
Posted by ブクログ
表層に現れず私たちに蓄積されているもの。これらを「古層」というキーワードに当てはめ、日本宗教史を解説。筆者の立場は、日本古来の「古層」は存在ぜず(解明されておらず)、歴史的に作られたものだとする。確かに、古事記や日本書紀が書かれたのは天武朝以降のことであり、それ以前の文字史料はないのだから、その通りだろう。
続いて中世以降の仏教と神道における複雑な関係性、近世以降におけるキリスト教の伝来の影響や仏、神、儒の関係など解説。近世後期には、国学において復古神道の流れから仏教以前の日本の「古層」を探る運動が大きく展開した。近代になり明治政府は国家神道の体制を整えるに至るが、江戸後期から展開したこの流れは仏教以前から存在した日本本来の「古層」ではなく、つくられた「古層」であることを指摘する。戦後は国家神道が解体されたが、それ以降大量に現れた新興宗教乱立の動きを筆者は「宗教のラッシュアワー」と呼んでいる。
上記のように日本宗教史のエッセンスを、「古層」というキーワードをとおして概観できる。日本人古来の「古層」はこの先解明されないのだろうか、と思う一方、この多様な変遷そのものが私たちの「古層」と呼べるものなのだろうか、と考える。安易な右派的言辞にも注意を要することに気付かされる。
Posted by ブクログ
神道だけでなくその他の日本で信仰されたり影響を与えた宗教の歴史をざっとさらっており、しかし新書の丁度読みやすい分量であった。末尾の現代宗教の言及から、日本人が宗教に耽溺していることを危険とし、少なくとも良くは思わないという風潮から現代日本人は曖昧な信仰心を抱き、それが俗に言う日本人の無宗教的思想の根幹にあるのではないかと考えた。今回の読書で自身の日本史基礎的知識の欠乏が顕著となったため、次は日本史の基礎的知識を仕入れたい。
Posted by ブクログ
古代から現代にいたるまでの日本における宗教の歴史をたどりつつ、著者自身の関心にもとづく考察をおこなっている本です。
著者は、丸山眞男の「古層」の概念に触れて、「古層」は歴史を通して一貫したものとして存在しているのではなく、むしろ歴史のなかでつくられてきたものと考えるべきなのではないかと主張します。本書はこうした考えにもとづいて、日本の宗教のありかたが、歴史のなかでどのようにかたちづくられてきたのかを論じています。
そのさい著者は、仏教、キリスト教、神道がたがいにどのような影響をあたえあってきたのかということに、とくに注意をはらっています。中世における神仏習合の実態や、近代以降の神道とナショナリズムのむすびつきなどの事実を紹介しながら、現代におけるこの国の宗教のありかたを可能にしたものがいったいなんであったのかという問題へと、読者の思索をみちびいています。
また最終章では、著者自身がこれまでにも論じてきた、死者とのかかわりにおいて宗教のありかたをあらためて考えなおす必要があるという議論も提出されています。
Posted by ブクログ
前半はキレの良い部分もあったが、後半は粗っぽい印象を受けた。
記紀神話の政治性、聖の登場、聖地化、キリスト教と権力者の神格化、国家神道の詭弁。
Posted by ブクログ
正月は神社に初詣に行き、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、盆に先祖の霊を迎え、クリスマスを祝い、葬儀は仏式で行う…、そんな無節操さを、しばしば批判的な論調で語られることが多い日本人。
私自身、まったくの無宗教・無信心で、いわゆる信仰というものに対する嗜好は皆無だが、日本に生まれ暮らす日本人の一人として、そういったあまりにも混沌たる日本人と宗教との関わりについては、以前より強い関心を抱いている。
結果的に本書は、日本人の国民性および精神性と宗教との関連を包括的に分析し、一つの見方を提示する、という私が求めていたようなスキームで論じられたものではなかったが、そうした思索の前提となる予備知識を、古代より時系列を追って適宜説明してくれており、まさしく"日本宗教史"の概論としては充分に読み応えがあるものだと思う。
何となくは知っているつもりの"神仏習合"の本当の意味合いや、檀家制度の成り立ちと葬式仏教の意義、記紀神話の成立には実は仏教が影響していた、などといった目から鱗の知識にも出会うことができた。
他にも、日本独特の様式である山岳信仰や、実在の人物が神として祀られる数々の事例など、掘り下げていけばきりがないような興味深いトピックスが多くあることが分かる。
とどのつまりが、"宗教"と肩肘張っていても、突き詰めればその国や土地に、文化と不可分なものとして根付く"生活様式"こそがそれだと言えるのではないか、という自分なりの結論に至った。
もちろんそれは信仰や信心とは縁が薄いものにもなりうるので、狭義的には"宗教"とは言えないのかもしれないが、帰依する対象の有無を別にすれば、例えば"道徳"や"倫理"として捉えられているものこそ、人々の行動を縛り、そして冠婚葬祭など生活の中の節目節目で様式を規定する"宗教"なのだ、と定めても完全な誤りではないだろう。
儒教(儒学)は宗教なのか、という議論も古くより行われていると聞くが、その辺りは専門家の間でも意見が分かれているようだ。
少し話は飛躍してしまうかもしれないが、宗教に対する日本人の寛容さ(ルーズさ)、というものに考えを巡らせてみると、なぜ日本の街並み(たとえ古都と雖も)がヨーロッパのそれらと比べて無秩序で美観を伴わぬのか、その理由が朧げながら分かるような気もする。
Posted by ブクログ
〈古層〉論を論を批判的に発展させる観点で、日本の宗教史を概観した本。仏教、神道、儒教、キリスト教などの宗教諸派が互いに影響しあい、そこに政治が絡む形で、各々発展して来たと言うストーリーになっている。
時代区分ごとにその時代の代表的な事例を紹介していて、記紀神話は仏教の影響の下に創作されているから、日本の〈古層〉じゃないと喝破するあたり小気味よい。個人的には、中世に創作された偽書に、積極的な意味を持たせている話が面白かった。
個別の話は他にも面白いことが書いてあるのだが、本書全体のパースペクティブが一番最後の章に記載されているため、読んでいる途中は、その話が全体の中でどんな位置づけなのか把握できないのは難点。
初読の場合は、最後の「いま宗教を問い直す」を読んで、全体像を把握してから読み進めることをお勧めする。
Posted by ブクログ
日本人と宗教について分りやすく説明してくれています。主に神仏が密接に関わりあいながら展開していく宗教史を丁寧に解説してくれています。自分のように大雑把に日本の宗教について把握したい人にためになる一冊だと思います。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
『記・紀』にみる神々の記述には仏教が影を落とし、中世には神仏習合から独特な神話が生まれる。
近世におけるキリスト教との出会い、国家と個の葛藤する近代を経て、現代新宗教の出現に至るまでを、精神の“古層”が形成され、「発見」されるダイナミックな過程としてとらえ、世俗倫理、権力との関係をも視野に入れた、大胆な通史の試み。
[ 目次 ]
1 仏教の浸透と神々―古代(神々の世界 神と仏 ほか)
2 神仏論の展開―中世(鎌倉仏教の世界 神仏と中世の精神 ほか)
3 世俗と宗教―近世(キリシタンと権力者崇拝 世俗の中の宗教 ほか)
4 近代化と宗教―近代(国家神道と諸宗教 宗教と社会 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
今まで、神社と寺が一緒になっていたりするのに不思議を感じていたのだけど、これを読んで少しは理解できた感じ。今度は個別の宗教についての本を読みたいな。
Posted by ブクログ
日本の宗教の発生より現在までを俯瞰して描く。
筆者の広範で詳細な知識にはただただ驚くばかりだが、宗教史どころか日本史の素養もない私から見ると、分からない表現や説明も多かった。
もう少し、ざっくりと各宗派の流れが分かればよかったのだが…。
Posted by ブクログ
日本の宗教史をざっとさらった一冊。長すぎず短すぎず、古代から現代までにおける宗教の数々を拾ってかいつまんで説明しているので、概論を押さえるのには良書だと思う。
筆者は丸山眞男の「古層」という考え方を元に日本の宗教史を展開していっており、その古層は時代を上るとともに「発見」され、「創出」されていくことを説明している。これらは特に江戸時代や明治時代において顕著であり、日本の原始から存在する思想はなにか、日本的ルーツはどこにあるか、というのは昔からの大きなテーマだったことがよくわかる。
宗教とは関係なくなってしまうけれど、個人的には筆者が聖徳太子を『源氏物語』の光源氏と結び付けたところに面白味を感じた。ともに天皇の子というやんごとなき血筋を受け継ぎながらも、自らは天皇とならずに自由に動ける身を謳歌し続けた。二人のカリスマ性は、確かにそういう特徴からきている部分もあるのだろうな、と思った。
Posted by ブクログ
宗教には興味があるが
古代神話と宗教がわかれ
天皇の位置 祭祀を司る
平安から鎌倉になり大乗仏教としての 聖が出始め 山伏 などが密教系と別れる
キリスト教の伝来 江戸から明治にかけて神道との合祀
江戸時代は寺社が 戸籍の役割を果たす
現代にかけて新興宗教が出てくる
Posted by ブクログ
授業でお勧めされた本。
レポートで読んだ。
入門書かもしれないけどあまり新書読まない自分にとってはちょっと難しかったorz
こういうのって何回か読まないと頭に入らないんだなぁ。