あらすじ
ミャンマー奥地で遭遇した、納豆卵かけご飯。日本以外にも納豆を食べる民族が存在することをそのとき知った。そして著者は探求の旅に出る。ネパールでは美少女に導かれ、湖南省で味噌との関係に苦悩。東北秋田で起源について考える。“手前納豆”を誇る人びと。夢中で食べた絶品料理。愛する食材を追いかけるうちに、アジア史までもが見えてきた。美味しくて壮大な、納豆をめぐる冒険の記。(解説・小倉ヒラク)
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Posted by ブクログ
納豆というと、よく、「なんで豆腐が“豆が腐った”で、納豆は“納豆”なんだろう?」と言われるが。
それは、「納豆は、豆を藁苞に納めるから“納豆”」。
「豆腐は“腐”が中国で四角く固めるという意味があるから“豆腐”」って聞いて、ずっとそれを信じてたんだけど……、
そんな話、これっぽっちも出てこない。
もはや何が何やら…!?(^^;
東南アジアの山間部で、納豆やコンニャクが食べられていることは知っていた。
あ―、それって、つまり「照葉樹林文化圏」ってことだよねって、ずっと信じてきたんだけど……、
この本によれば、それはそれでまた微妙に違うらしい。
ていうか、現在、日本で食べられている納豆というのは、
ご飯に絡めて食べるというニ―ズに沿って作られた工業生産品(品質や衛生が管理されたといういい意味で)というのも目からウロコ(^^;
納豆=糸を引くだけど、本来はあんなに糸を引くものじゃないなんて!w
(そういえば、「甘納豆」は何で“納豆”っていうの?)
ていうか、読んでいて出てくる納豆料理が旨そうで旨そうで(^^)/
おかげで、つい料理に納豆を使っちゃうもんだから、最近はやたら納豆を買う(爆)
ちなみに、冷蔵庫には今現在、例の3個パックのやつが4つ入ってる。今晩は納豆回鍋肉にするつもりだw
納豆は大好きだけど、例えば納豆を食べた箸でマヨネ―ズがかかったサラダなんか食べると、マヨネ―ズが糸を引くのがイヤなんだよね。
だから、納豆を調理に使うと旨いのはわかってたけど(だって納豆スパゲティは絶品!)、イマイチ使いたくなかったのだ。
この本の終わりの方で納豆協会の人だかが「これからは糸ひきが弱い納豆など、いろんな納豆を作らなければならない」って言っていたけど、それは本当にそう思う。
著者も、ラタトゥイユに納豆を使ったら旨くなかったけど、糸引きが弱い納豆で作ったらすごく旨かったと書いている。
もはや、ご飯かけ用納豆、調理用糸引き弱納豆、旨味調味料用納豆等々、あらゆるニーズに応えた商品構成にしない納豆会社の社長は職務怠慢!と言われても仕方ない(爆)
というか、それは納豆会社よりも流通の仕事かなぁ―。
自社で工場は持たずに、様々なニ―ズに沿った納豆を他社に製造をお願いする、納豆業界のアップルはどこだ?w
(そういえば、以前ス―パ―で「テンペ」が売ってたけど、今でも売ってるんだろうか?)
そんな様々な目からウロコのこの本だけど、「醤」と「納豆」を区別したい著者のこだわりはイマイチわからないw
自分は、調理や旨味調味料として使ってるというのを読んだ時点で、ああこれはもはや「醤(味噌)」なんだな―と思ったけど。
個人的には、ご飯にかけて食べるのは、いわゆる「納豆」。調理に使ったら、それはいわゆる「納豆」ではないという風に考えちゃうけどな(^^ゞ
そういえば、今の中国人はカレ―ル―を調味料として(つまり「醤」として)使うらしいけど、それはどっちも「カレ―ル―」だと思うのだ。
確かに、カ―ル―でいわゆるカレ―を作ったら「カレ―」という料理だけど、カレ―ル―をチンジャオロ―ス―の味付けに使ったら、それはチンジャオロ―ス―だ。
でも、味付けに使ったのはどっちも「カレ―ル―」だって思うのだ。
確かに、著者が言う、漢民族に追われた人たちが住む地域(=漢民族の住む周り)では納豆が食され、漢民族の住むエリアでは醤が食されるという区分けは明確だ。
でも、一方でタイやミャンマ―の海に近い方で納豆は食されず魚醤が使われるのは、海が近いからその材料が手に入りやすいという単純な理由のわけだ。
なら、漢民族が醤や豆鼓を使うのも(or周辺部で納豆を使うのも)、海が近いから魚醤を使うみたいに単純な理由なんじゃないのかな―。
だって、毎日のメシのことでしょ?
普通に考えれば、旨いからとか手に入りやすいみたいな単純な理由のはずだよね。
なんらかの単純な理由で、一方では納豆、一方では醤や豆鼓を使うようになった。
それらをまとめて「納豆文化(or醤文化)」とするでいいような気がするんだけどな―(^^ゞ。
ただ、ま―、それは、“納豆=ご飯にかけて食べるもの”という意識が強い自分と、“納豆=旨味調味料”の現場を沢山見てしまった著者の納豆に対する認識の差なのかなもしれないw
ていうか、納豆を料理に使っていて思ったんだけど、納豆って他の食材に隠れちゃうんだよね。
あんなにクセがあるのに、料理に使うとそのクセが消えちゃって。そのクセが料理の味に生かされない。
でも、「醤(味噌)」は違う。使えば、料理の味が決まっちゃう。
つまり、平地や沿岸部は塩が手に入りやすいので、塩を加える「醤」の方が味が決まって便利ということで広まったけど。
山間部は塩が手に入りにくいので、塩を加えない「納豆」を旨味調味料として使った。
個人的には、そういうことなんじゃない?なんて思った。
この本には、アジア納豆のことと日本の納豆のル―ツをさぐる話が書かれている。
どっちも面白いのだが、日本の納豆について書かれている章の方がちょっとだけ面白い。
それは、たぶんアジア納豆については見たことを淡々と書いているのに対して、日本の方はそのルーツについて謎っぽく描かれているからだろう。
本を読む上で、謎で読者の興味を引くは読むエンジンとしてやっぱり大事だと思うのだ。
最後の章で、照葉樹林文化と東亜半月弧なんて出てくるが、むしろそれは最初に出した方がよかったんじゃないのかなぁーw
とはいえ、すごく興味深い話で面白かったのは確かだ。
サピエンス納豆の方もぜひ読んでみたい(ただし文庫になったらw)。
ていうか―、ぜひレシピ本も出して欲しいぞ(^^)/
Posted by ブクログ
アフリカ納豆の本を買おうと思っていたら間違って買ってしまったのだけど、こちらが前作となっていたので順番は正しかった。間違って買ったと思ったので、モチベーションが上がらなかったのだけど、読んでいると面白い。しかも納豆は毎日のように食べているのに全く気にしたことがなく、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかったような足元がぐらぐらしてくる感じが気持ちいい。
シャン州の納豆や各地の納豆を食べてみたいという興味に駆られ、納豆の自作も簡単そうなのでやってみたくなる。今は気軽に外国に行ける状況ではないのだけど、これから先外国に行く機会があったら、日本では食べることができない、現地の人が食べている料理を積極的に食べてみたい。外国旅行も上京してシャン州の料理や大久保の韓国料理も食べることができないので、最も手軽にこの本のエッセンスを味わうには納豆の自作だ。
一般の主婦の皆さんが納豆の達人だと分かった途端師匠になる感じが楽しい。それは僕が育児をした時に、その辺のおばさんたちが実は達人で頼るべき存在になる感覚に似ている。
長い本編を読み終わったと思ったら、謝辞や解説がやたらと長かった。