あらすじ
黒人スラム街にともに暮らし、黒人たちを撮り続けた、フォトジャーナリスト・吉田ルイ子――貧困・麻薬・売春・差別に象徴されるニューヨーク・ハーレムで、人間が人間であることを取り戻すことに目覚めた黒い肌の輝きを、女の感覚とカメラの冷徹な眼でヴィヴィッドに把えたルポルタージュ。
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Posted by ブクログ
ハーレムの熱い日々
著者:吉田ルイ子
発行:1979年1月15日
講談社文庫
名著をやっと古本屋でゲットして読むことができた。著者の訃報に接してからだから、2年ほど探したことになる(^o^)。
慶應大学を出て、ジャーナリズムを修めるためにアメリカに留学した彼女が、どのように写真家(フォトジャーナリスト)に転じたのか、また、ハーレムに熱くなったきっかけはなんだったのか、などもふくめて書かれている。初期の頃だから、彼女の人となりや基本姿勢もよく分かる。
雰囲気だけで彼女のハーレム撮影は1970年代と書いている人がたまにいるが、彼女のアメリカ滞在は1962年から971年の途中まで。60年代である。文章を読むと、アメリカでもまだ黒人差別は酷いどころか、黒人自身が自分たちは白人より身分が低いという類いの思いを持っていたことが分かる。日本人では、黒人を見たことがない人がほとんどだっただろうし、著者自身も渡米するまでほとんどそれに近かったようである。アメリカで初めて黒人に触れた時には、差別意識のない彼女でも、言葉が出ず、身も固まったようである。
フルブライト留学した彼女は、コロンビア大学で学んだ時に、ロバートという白人学生と結婚していたが、ニューヨーク市とコロンビア大学の社会福祉科との提携によりハーレムの団地に入居することができた。
<1962年6月 ハーレムに引っ越す>
市のスラム一掃計画でハーレムの125丁目アムステルダム街一帯の古い建物を壊して新しい団地を建てた。その前に住んでいた黒人をその団地に入れようとしているが、それだけではまたすくにスラム化するため、コロンビア大学の社会福祉科が協力して、実験的にコロンビア大学の学生夫婦にも入ってもらうことにした。大学の社会福祉科に3ヶ月に1度、感想文を提出するのが条件。
黒人家庭で入るには、年収2300ドル以下、週給だと40ドルとなり、アメリカの最低生活者レベル。過去に刑事問題を起こしたり、麻薬常習者だったりは失格。貧しくて清らかな家庭だけが入れる。
5棟あり、1棟に約300世帯。90%が黒人、10%がコロンビア大の学生や学生夫婦。著者と同じ棟に中国人学生夫婦が3組、日系人教職員など10数人の大学生が住んでいたが、殆ど交流はなく、著者は黒人達と親しくなった。
そんななか、英語で書いたりしゃべったりするジャーナリズムに辟易していた彼女は、近代美術館で石元泰博の写真展を見て感動。すると、彫刻家のイサム・ノグチ氏が、石元の写真集「ある日ある所」をプレゼントしてくれた。黒人の男の子がなんと美しい。カメラを通して自分のまわりの顔や生活を記録しよう!と思い、すぐにジャーナリズム科からドキュメンタリーフィルムとフォトジャーナリズムのコースに籍を移した。(46P)
ハーレムに住んで2年ほどたった頃、暴動が起きた。危険を感じて、白人たちは避難し始めた。ロバートは左翼で差別と闘う立場の人間だったが、愛車のフォルクスワーゲンが壊されるのを目撃し、汚い言葉で黒人を罵り始めた。大学側がハーレムから避難しろと言ってきて、大学近くに別のアパートも用意してくれたが、「ハーレムのニグロから遠く離れたい」とそのアパートも拒否し、グリニッジビレッジに引っ越した。このような態度の変化というか、本性を見てしまった著者は、ロバートと別れることにした。(99-100P)
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ナット・キング・コールがデビューした「スモールズ」は、ハーレムの若い男女に好かれるキャバレー。
バニス「私の肌は、スーみたいに真っ黒ではないワ。私の方が白人に近いから上等なのよ!」(72P)
アメリカではいろいろな証明書に、白、褐色、赤、黒、黄と肌の色を書き入れる項目があるが、初めて「黄色」と牡蠣入れた時にはなんとも変な気持ちになった。(76P)
インドから留学で来ている女性が言う。「インドにいた時は洋服もたまに着たけど、アメリカでは絶対にサリーだけで通すの。でないと、ニグロと間違えられるもの」
フィリピンから来た歯科医師も「お前はベトナム人か、ユダヤ人か、日本人か、と間違えられてもいいけど、ニグロにだけは思われたくない」と言っている。
コールガールをやっている台湾女性は「どんなに札束つまれても、ニグロとだけは寝たくないネ」と言う。(82-83P)
白人が持つエリートイズムについて、とくにリベラルと呼ばれる白人はたちが悪い。(103)
1966年以来、爆発的に全米に拡がったブラックパワーに対して、アメリカの警察国家権力は、暴力的弾圧にかかり、1967年10月にパンサー党の創始者、ヒューイ・ニュートンが逮捕と投獄された。黒人に圧倒的人気のあったロバート・ケネディが暗殺され、パンサーとの指導者エルドリッジ・ローパーも、1968年4月のマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された直後の黒人反乱中、オークランドのパンサー本部で会議中、警官に催涙ガスで包囲され、逮捕された。(ドラフト制度前)148-149P)
アメリカのアートディレクターやプロデューサーは、誰の紹介がなくても会ってくれる気楽さを持って要るが、それでもモデルたちは、「彼らに〝会いましょう〟と言わせるだけの魅力ある声、話し方でなければダメなのヨ」と発声法の勉強までしている。しかも、会っても仕事をくれるとは限らず、徒労に終わること95%。食事に誘われ、遊ばれ、棄てられるのがおきまりのコースなのだ。そして、お腹が大きくなって泣く泣く田舎の実家に帰ったり、一生ウェイトレスで終わったり、が多い。(157-158P)
〝モデルレリース〟というのは、被写体になった人から、自分の撮られた写真が、広告、エディトリアルその他いかなる形で使われようと使用権はカメラマンに委託します、という証文。
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バニス:隣の少女、キューバ系、5歳
バニスパパ:病院の洗濯夫、週給55ドル
ケント君:バニスのボーイフレンド、21階、9歳
スー:14歳、ケントがお気に入り、バニスが焼き餅
メイミおばさん:時々洋服を作ってくれた、ゴスペルソングをいつも口ずさむ
ジュリエット:若いファッションデザイナー、26歳、3人の子(全部父親違い)
ミシェル:ジュリエットの妹、女優志望、バーのゴーゴーガールをしている
エレクトラ:ミシェルの長女
クリス:少年、後に吉田ルイ子のアシスタント
ジミー:ロバートの教え子の1人(黒人)、9歳、数学ができる優等生→後に麻薬で感化院へ
アン:教授の娘、ジミーと仲良しだったが小学校に入ると親が遊ばせなくなった
ジョニー:ハスラー、ポン引き→ブラックモスレムとして演説(96P)
シリル:ミュージックプロデューサー
ウェイン・ショーター:(アート・ブレイキーから離れて)マイルス・デイビスのグループでサックス演奏、
ミヤ子:その娘、おしゃま
活動家系
シスター・ボビー:ブラックパンサーのカメラウーマン
メリー河内山夫人:日系人の人権活動家
オーディ:メリーの長女
ZULU:オーディの長男、1歳半
テリー:ZULUの父親、SNCC(学生非暴力活動委員会)の黒人活動家
アイチ:オーディの妹、17歳、いきがよい
仲のよかった黒人モデル3人
バーバラ:16歳で双生児の私生児がいた、5年後はパンサー党員でブロードウェイで踊るモダンバレリーナ、モデル(素顔が条件で化粧品広告に出演)
ジューン:モデル(豪華な生活ができる収入あり)、パンサー党員、副業はコールガール(政治家や実業家相手、1晩300ドルから2万ドル)
サンドラ:1967年ミスハーレム、モデル兼女優、学生、心理学者の父とピアニストの母、
メリック:ハーレムでの広告撮影時に広告会社がつけた黒人アシスタント少年(17、18歳)、黒人の高校ドロップアウトをスカウトしてトレーニングする〝プログラムの子〟として適材適所に当てるという連邦政府に押しつけられた制度でやっている、ヤクをしていて消息不明に
クリス:その後のアシスタント、プログラムの子、16歳、3ヶ月で本採用のアシスタントに
アンジェラ・デイヴィス: