あらすじ
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時代を超え、遠い憧憬を呼びさます鏡花の傑作短篇、初の画本化!
異界を覗く愉悦と甘美な慄き!
言語のみを媒介として組み立てられた、
鏡花の自我の奥底にひそむドラマの構造が、
私の目にありありと映り、その超現実的な
言語体験を私もまた痛切に共有し得るという、
芸術作品の秘密は何であろうか。
澁澤龍彦
(『偏愛的作家論』より)
尾崎紅葉のもとで小説修業をし、作風は、川端康成、石川淳、三島由紀夫、澁澤龍彦らに多大な影響を与えた、
泉鏡花の幽玄華麗な文体が煌めく名作短篇。
金沢の年間約2万人、開館以来、約40万人が訪れた、泉鏡花記念館で開催予定の
「泉鏡花×金井田英津子『絵本の春』原画展」公式画本。
こちらが覗けば向こうからも、というわけで魔の小路を覗いた
少年は美しいあやかしに微かな毒意を秘めたいたずらをされます。
鏡花の少年は常に無垢で純粋な魂の標号のような存在ですが、
それが無惨なもの悪意あるものと対置されるとき、私にはちょうど
手で作った窓のような装置となって束の間の幻想を見せてくれるように
思われました。 ―「あとがき」より―
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
どこかで読んだような気もするのだけど、読み直してみて特に記憶が刺激されたわけでもないから、初読だったのかもしれない。美しい絵と、いつの間にか引き込まれている鏡花の文章。絵もあいまり、金沢で鏡花関連の場所を巡った時の記憶が蘇ってくる。
…石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。
"ぼっと黄昏れる"という表現にすでにぞわなでだし笑。
…巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女の生肝で治る
冒頭近くで「ああああ我が影」など連呼されている表現が、この「みみみみ」に繋げるためだとわかる。巳年、巳月(4月)、巳の日、巳の刻生まれの若い女…蛇を連想するだけでぞわだし、巳と言う漢字が5つもつながっているのを見ると、視覚的にもくるものがある笑。
そして最後の「振返ると、白浜一面、早や乾いた蒸気の裡に、透なく打った細い杭と見るばかり、幾百条とも知れない、おなじような蛇が、おなじような状して、おなじように、揃って一尺ほどずつ、砂の中から鎌首を擡げて、一斉に空を仰いだのであった。その畝る時、歯か、鱗か、コツ、コツ、コツ、カタカタカタと鳴って響いた。」と言う鏡花ぽい終わり方にぞくっとして、絵の迫力に息を呑んで終わる。
Posted by ブクログ
怪奇幻想ホラーは古典の方が怖いと改めて実感する。屋敷町の荒れ果てた裏小路、十歳くらいの「私」が土塀の一ヶ所にくっついて庭の中を覗いていた。占い師をしている小母さんがやってきて、恐ろしい伝説を聞かせてくれた。「あの組屋敷の侍が巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女の生肝で治るというので、侍は人買いから若い女を手に入れ、雨戸をまな板代わりに、女の裸を鎹で打ちつけ、真っ白な腹をずぶずぶと割く。そして蛇は美女に化け、洪水を起こしたのだ。」すべては蛇の怨念だった。口語体ゆえに怖さが倍増した。④
Posted by ブクログ
★新坊や、可恐い処だ、あすこは可恐い処だよ。
絵が凄い。それだけでも持っておきたくなる。
あやしい小路があり逢魔が時なは貸本屋の札が貼られているのが見えたりするのだが占いをやってる小母さんは一度死んで甦ったことがあり身体も大きくなかば魔に近い存在なので平気でそのせいか少年だった頃の「私」もなんとなく親しみを感じていたりしてひっそりと覗いてみたりするのだった。
Posted by ブクログ
金井田英津子さんの画にひかれて初めて泉鏡花の本を読みました。独特の雰囲気の怪異譚が、明治の金沢の街と最近の文章にはない美文と、そしてその雰囲気にぴったりの版画とに溶け合って、不思議な世界でした。