あらすじ
洒脱で晴朗なおしゃべり。出世作となった「暢気眼鏡」以下一連の貧乏ユーモア小説から、身辺な虫の生態を観察した「虫のいろいろ」、そして老年の心境小説まで、尾崎一雄(1899-1983)の作品には一貫して、その生涯の大半を過した西相模の丘陵を思わせる爽やかな明るさがある。代表的な短篇15篇を編年順に収録。
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いやあ、これはよかったなあ。読めてよかった。貸してもらってこれを今読めたのが最高に運がいい。
二作目の芳兵衛から、完全に作品の中に入った。p54-55の夫婦の会話(これは灯火管制)がすごくいいなあとなり、ここまでの三作がまず繰り返し繰り返し読みたくなる作品なのは間違いない。
虫のいろいろの好きなところは、いろいろな虫の特徴と、人間の性格を照らし合わせて主人公が自分とも重ねるところで、解説にも書いてあったけれど、尾崎一雄のそういう思考を覗きやすい作品でもある。
ここまでで大満足なのに、後半の蜂についての話がまたよかったなあ。家のそばの自然をよく見、よく書かれている。そういえば振り返ると松風もかなり印象に残っている。庄野潤三ののほうが後だけど、なんとなく似たものを感じたりもした。
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やはりベストは『虫のいろいろ』。額のしわで一匹の蠅をつかまえながら(くしゃおじさんに匹敵)、そこから確率論、宇宙の有限or無限まで話がいって、最後は「うるさくなったのだ」というサゲ。笑える。
続く「蜂」の連作もよい。対象即自己。『城ノ崎にて』を落語にするとこんな感じか。
Posted by ブクログ
曲が終わった.すると蜘蛛は,卒然といった様子で,静止した。それから,急に,例の音のないするするとした素ばしこい動作で,もとの壁の隅に姿を消した.それは何か,しまった,というような,少してれたような,こそこそ逃げ出すといったふうな様子だった。――だった,とはっきりいうのもおかしいが,こっちの受けた感じは,確かにそれに違いなかった。
蜘蛛類に聴覚があるのか無いのか私は知らない。ファーブルの「昆虫記」を読んだことがあるが,こんな疑問への答えがあったか無かったかも覚えていない。音に対して我々の聴覚とは違う別な形の感覚を具えている,というようなことがあるのか無いのか。つまり私には何も判らぬのだが,この事実を偶然事と片付ける根拠を持たぬ私は,その時ちょっと妙な感じを受けた。これは油断がならないぞ,先ずそんな感じだった。
(「虫のいろいろ」本文p.111)