あらすじ
古代から現代にいたるまで、日本人はそれぞれの課題に真剣に取り組み、生き方を模索してきた。その軌跡と厖大な集積が日本の思想史をかたちづくっているのだ。〈王権〉と〈神仏〉を二極とする構造と大きな流れとをつかみ、日本思想史の見取り図を大胆に描き出す。混迷の今を見据え、未来のために紡がれる、唯一無二の通史。
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Posted by ブクログ
日本古代から現代に至る様々な思想を構造化して一つの枠組みとして捉えることを試みている。本書では、日本思想における大きな枠組みを王権に関する思想(政治思想)と神仏に関する思想(宗教思想)を設定し、両者の緊張関係の間に文学や芸能などの思想が位置づけ、これを大伝統としている。大伝統は主に中世に出来上がった枠組みであるが、古代はこの枠組みができるまでの黎明期、近世は世俗化やキリスト教、儒教などの要素が含まれつつもこの大伝統の枠組みで説明できるとする。
明治以降は王権と神仏を中心とする枠組みから天皇を頂点とする一元的な枠組みに転換し、大伝統が崩壊する。著者はこれを中伝統と名づけている。第二次世界大戦での敗戦によってこの中伝統の枠組みも崩壊することになるが、本書では主に大伝統、中伝統の解説に紙数を割いている。
このように大きな枠組みの中で日本の思想を捉えようとすると、それぞれの時代の思想は前時代の影響を受け、あるいはその積み重ねの上にあり、現代においても例外でないことに気付かされる。
Posted by ブクログ
本書の序文では、著者が個々の思想を思想史の文脈から切り離して論ずることを付け焼き刃であると喝破し、思想史の全体的な理解の重要性を訴えかけており、その信念に非常に共感した。社会に変動が起こる度、偉大な思想家を持ち出した通俗本が流行する傾向に辟易していた私にとって、著者のメッセージは力強く感じられた。
日本思想は外来の思想の変容によって成り立ってきたという前提の元、思想の萌芽を王権と神権の関係の中に見出し、軽快に論じていく面が本書の斬新な点である。文学・芸能・宗教史が個々に並列している認識を改め、思想史の一つの流れにあることを知ることができた。
日本思想史の小辞典としても活用出来そうである。
Posted by ブクログ
日本思想史をコンパクトにまとめている良著。日本の三段階を、明治維新、敗戦で区切っているところがポイント。基本的にバランスよくまとめてあると思う。
Posted by ブクログ
末木文美士氏は、日本の仏教学者・思想史研究者であり、東大名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。1949年甲府市生まれ。東大文学部印度哲学仏教学科卒業後、同大学院博士課程を修了。仏教思想を中心に、日本思想史・宗教史を幅広く研究し、中世から近代に至る思想の展開を探究。特に近代日本における仏教の変容と思想的意義に注目し、多くの著作を発表。代表作に『日本仏教の思想』『近代日本の思想再考』などがある。比較思想学会会長も務めた。
本書は、日本思想は外来の思想をもとに、それを変容することで形成されてきたが故に、思想史の中核となるものがなく、全体的な流れを把握することが難しいとされている中で、「王権」と「神仏」を2つの極と位置付け、その関係と変化に注目することにより、日本の思想史の全体像を描こうとしたものである。
そして、その構造に着目すると、日本の思想史は大きく、前近代、近代(明治維新後)、戦後の3つに分けられ、以下のような変遷を経てきたという。
<前近代> 王権(国家統治に関する政治的な機能で、世俗的な権力)と神仏(世俗を超えたところから世俗的な次元にも力を及ぼすもので、宗教的な要素)が対立し、両者の相補的な緊張関係の中に、どちらにも吸収されない様々な思想や文化、人々の生活が形成された。また、王権は、中世には「院-帝-摂関」+「将軍-執権」、近世には「院-帝-摂関」+「将軍-大名」という重層構造を持ち、また、神仏についても、土着の神と外来の仏のような重層構造を持っていた。
◆古代(~9世紀)/日本思想が形成される
◆中世(10~15世紀)/思想が定着する・・・摂関・院政期/王権と神仏が儀礼化する。鎌倉期/王権と神仏の新秩序が生まれる。南北朝・室町期/中世文化が成熟する。
◆近世(16~19世紀)/思想が多様化・変容する・・・戦国・安土桃山期/大変動し再編する。江戸初期/安定社会が構築される。江戸中期/思想が一斉に開花する。江戸後期/ナショナリズムへの道が作られる。
<近代(明治維新後)> それまで両極に分かれていた王権と神仏の要素が、天皇を中心として一元化された。
明治期/日本的近代が形成される。大正・昭和前期/思想が戦争に結び付いていく。
<戦後> 近代の体制が解体されて、西洋的な近代の民主主義の理念が根底に置かれるようになり、王権は象徴として議論の外に置かれ、神仏の要素は全く考慮されなくなった。
昭和後期/平和への理想を求め、また幻想化する。
一通り読んでみて、王権(公家や武士などの支配権力を含む)及び神仏(キリスト教や儒教などの他宗教・思想を含む)という軸で見た通史としては、相当な情報量があり(大学受験で日本史を選択していない私にとっては、別途調べる必要のあるワードも結構あった)、読み応えはあった。
一方で、王権と神仏が両極にあり、その間に他の様々な思想・文化が存在したという仮説が、どの程度説得力を持って説明できているかには疑問が残ったし、史実の羅列に留まっている印象が強く、これをもって日本思想史の全体像といわれても、物足りなさを感じるものであった。(時代を遡るほどその印象が強くなるのは仕方のないことだが。。。)
また、私は、本書を数年前に購入したまま積読状態で、先日、宇野重規氏の『保守主義とは何か』を読み、本書のことを思い出して読んでみたのだが、保守主義の基本的スタンス(の一つ)が、「歴史の中に連続性を見出し、保守すべき価値を見出す」ことだとすると、その文脈で(本書のような本を)読む限り、明治維新の精神といわれる、万世一系とされた天皇の性格と、その天皇を頂く国家全体の家父長的性格が、その対象として安直にイメージされやすいことが、改めてよくわかった。(尚、私は穏健リベラルである)
保守主義全盛の今、我々(日本人に限定されない)にとって、歴史に基づいて守るべきものがあるとしたら、それは何なのか。。。それを考える上で起点にはなる一冊だろう。
(2025年10月了)