あらすじ
誰もが「助けて」と言える社会を構築するための提言の書、電子版刊行。
コロナ禍で進む弱者切り捨てに異議申し立て!
孤独死した39歳の男性が、便箋に残した最後の言葉は「たすけて」だった──。社会から孤立する三十代、なぜ彼らは「助けて」と声が上げないのか?
派遣切り、ホームレス、孤独死……過酷な現実に直面しつつも、「自己責任」という呪縛にとらわれ続ける就職氷河期世代。その孤独な実態を掘り下げて取材し、幅広い共感を呼んだ話題作が、電子化された。
同世代の作家・平野啓一郎の提言と、NPO「北九州ホームレス機構」代表・奥田知志の活動も収録。誰もが「助けて」と言える社会を構築するために、いま求められるものとは何か。
コロナ禍で弱者切り捨てが懸念される現在、改めて注目されるべき一冊。
【目次より】
第1章 「助けて」と言えなかった──孤独死した三十九歳の男性
第2章 ホームレス化する三十代──炊き出しに集まる若者たち
第3章 「何が悪いって、自分が悪い」──三十二歳の“イケメン”ホームレス
第4章 ネットで広がった共感の声──「他人事ではない」「明日は我が身」
第5章 手遅れになる前に──NPO代表・奥田知志さんの闘い
第6章 大小三十代の危機──平野啓一郎
第7章 「助けて」と言った後に──3・11後の伴走型支援
☆高視聴率17.9%の反響を得た
就職氷河期世代の事実に迫ったNHKクローズアップ現代の電子書籍化☆
2007年北九州市で、39歳の男性が餓死により孤独死した。
誰にも相談せず「助けて」のメモを残して・・・。
男性は、社会から逸脱するような気質を特に持っていた訳ではなく、
むしろ誠実で健康的で努力家でした。
一体なぜ?
読み進めていくと
恐らく多くの方が「他人事じゃない」と感じ始めるでしょう。
私達を知らず知らずのうちに縛り、自信を失わせている理由、
それは今の日本社会で生きてきた私達に共通する「ある意識」が原因でした。
「勝ち組」「負け組」の言葉や、「受験・就活戦争」の中で形成された「こうあるべき生き方」に囚われた観念。
「自殺大国ニッポン」と言われていますが、解決策のヒントはここにある気がします。
コロナで失業者が増えると言われている今、この話は大きな糧となる筈。
間違いなく人生観の変わる一冊です。
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Posted by ブクログ
身なりを整え、大きなカバンを隠して入店。ホームレスだと悟らせないように。
定職を探しながら日銭を稼ぐ。彼らは親にも知人にも現状を告げられないまま耐える。もう責任逃れのできない年齢だからと、人を頼らず、自分で何とかしようと思っている。生活保護は後ろめたい。炊き出しにも罪悪感がある。
彼らの考え方はとても理解できる。私も生活基盤を失って途方に暮れたとき、社会に、他人に、寄り添っていただくのは申し訳ないと感じてしまうだろうな。
「人は人によって生かされる」という現実が、社会全体で喪失している考え方なのではないか。
本書の中の言葉。助け合うということを考え直そうと思った。
Posted by ブクログ
自己責任論社会が生んだ心の歪みを題材にしたドキュメンタリー。
初版から10年経った2023年でも、この「自己責任論」や助けを求められない状況は解決できていない。
こういう社会問題に真摯に向き合った取材に基づいた良書が増えるといいな。
Posted by ブクログ
読中に思い出していたのは、大学時代の友人のこと。
自分が新卒で入社した会社は割と名の知れたブラック企業で、何年かは必死でぶら下がっていたものの耐えきれなくなって、退職を考え始めた時期があった。
でも、じゃあ辞めてどうするの? 地元は最寄りの電車駅まで自家用車で30分くらいかかるようなド田舎で、帰ったところでやりたい仕事もない。再就活も難しい。というよりも、実家に帰ったら家族に甘えてしまって、ずぶずぶと沼にはまってしまう気がするので帰ろうとは思えなかった。
その頃友人は独り暮らしをしていて、自分の住む2DKのアパートの1部屋が物置状態になっているから、そこにしばらく住めばいいと言ってくれた。そのお陰で会社を辞める踏ん切りがついて、フリーターをしつつ再就活を進めて、間もなく正社員として職に就くことができた。短い間だったけれど、大学時代から仲が良く、人間的にも尊敬できる友人とのルームシェア生活は楽しいものであったし、社会人生活を経て改めて自分を見つめ直すのに充分な時間を与えてもらえたと本当に感謝している。
その後、その友人が体を壊して入院してしまうことがあった。彼自身、実家とは疎遠になっていて、先立つものを用意するのに頼る当てがないという。困ったときはお互い様だ、俺自身お前に助けられたんだから、と工面してやって、友人は無事に手術を受けることができた。ヘルニアの。
その友人が行方を晦まして久しい。昔から不安定なところがあったのだけれど、体を壊してから何年か後にメンタルの不調で仕事を辞めることになり、横浜の実家に連れ戻されたというところまでは聞いている。それ以来、何度か理由を付けてメールを送ってみたりもしたけれどいつも返事はなくて、最近ではそれすらしなくなってしまった。けれど大学時代の共通の友人に会うたびに、なんとなく「彼はどうしているだろうか」という話をいつも持ち出してしまう。やっぱり少しでも、彼の消息に関わる情報を知りたいと願っているのだ。
どうか、無事であって欲しい。元気で、とは言わない。せめて生きていてほしい。
それから、「助けて」と言える相手が、どうか、彼のそばにいますように。
もしそうでないのならば、ぼくに何かできないだろうか。彼の助けになれないだろうか。どうか「助けて」と言って欲しい。
Posted by ブクログ
私の身近にも「助けて」と言えない30代がいるので、他人事ではないと思いながら読んだ。
なぜ「助けて」と言えないのか。だって「助けて」なんて言ったら「甘えるんじゃない」と突き飛ばされるに決まっているから。あるいは決まってると思い込んでいるから。
なんとかする、自分の責任だから自分でなんとかする。必ずそういうのだ。
でもなあ。基本的なスキルが欠落している人も多いし、本書では触れられていないけれども、発達障害などがあって根本的にコミュニケーション能力が欠けていたりする場合もあるのだ。そうなると、本人がどれだけ真剣で真面目であろうとも、表に出てくる現象としては遅刻だとか、態度の悪さだとか、そういうマイナス面ばかりになってしまうことが往々にしてある。
他人のことだと実に簡単に「ちゃんと探せば仕事なんていくらでもあるよ」などと言ってしまうけれども、面接に行っても落とされてばかりだったり、やっと見つけた仕事が犯罪スレスレ(ブラック企業にはありがち)だったり、どうしてもできないような職種しかなかったりすると、やっぱり仕事にありつけない状態になってしまうこともあるのだ。
そういうものをすべてひっくるめて「自己責任」にしてしまい、ダメな奴は救ってはもらえないのだ、という雰囲気が形成されているのが今の世の中の一面なのである。
親にも言えない、という感覚は、わからなくもない。ずっと「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられて育ってきたのだから、親にだって迷惑はかけられないと思うだろう。そうして負のスパイラルに巻き込まれて、最後は死ぬところまで追い詰められてしまうのだ。
どうすればいいのかは私にはわからない。でも、決して見捨てない、何かあったら手を貸すよ、という気持ちだけはずっと持っていたいと思っている。
少しでも「助けて」と言える人が増えるといいと思う。そしてそれを「自己責任」という言葉で切り捨てることがなくなるといいと思う。
Posted by ブクログ
就職氷河期世代の孤独な実態。「たすけて」と便箋に綴り傍に置いたまま、仏壇の前の布団の上で孤独死(餓死)した両親のいない39歳の男性。自己責任として自分を責め、「助けて」と発することを拒み続ける三十代。生活保護を申請しないで、ホームレス化する三十代。「救いを求めてもいいのではないか」「社会は助けての声を受け止める環境にあるのか」を発信した書。「助けてと言えない」、2013.6発行。
Posted by ブクログ
こ綺麗な身なりで髪型も整え、一見するとホームレスに見えない30代くらいのホームレスが増えているらしい。しかし長年ホームレスの支援をしてきた男性が見ると明らかに目立つ箇所があるという。それは靴だ。 履き続けたまま長いこと歩くので、汚れが目立つか、傷みが目立つらしい(だからこの本の表紙は靴)
彼らは自らをホームレスと認めがらない。
定住する家がなく、日雇いの仕事で多少の金が入ればネットカフェに泊まり、小銭だけになれば24時間営業のファストフード店で朝を待つ。所持金がなくなれば公園で野宿もするが、ずっとそうしているわけではない。また日雇いの仕事が入ればネットカフェに泊まる。だからホームレスじゃない。という理屈らしい。
彼らが自らをホームレスと認めたがらないのにはわけがある。
彼らは厳しい受験戦争と就職氷河期を経験した年代だ。結果がでないのは努力が足りないからだと教えられ、競争から脱落した者は負け組という言葉で括られた。
ブラック会社や派遣切りなど、彼らのせいではない場合も多いのに、それは彼ら自身の責任だという、いわゆる自己責任論を社会は暗に押しつけてきた。
彼らは負け組であるという現実を友人に伝えたくはないし、親にも恥をかかせたくないから伝えない。親から電話でもあれば「元気でやっていると」と安心させるための嘘をつく。
しかし、住所がなければ履歴書も書けないし、携帯電話の料金未払いで連絡がつかない人を会社が雇うはずがない。それなのに支援を求めない。重い病気やけがを負っているのに病院に行かないのと同じで、状況が改善するわけがないのに、あるかわからない日雇いの仕事を探す。もうひとりでは社会復帰できないのに、自分の力でなんとかする、できると勘違いしている。
もちろん同年代がみなこのような考え方に陥っているかというとそうではないだろう。実家の助けを借りる人もいれば、行政や支援団体の力を借りるひともいると思う。それができない人がホームレスになってしまうのだろう。生真面目と言えばそう言えるかもしれない。
だから彼らには、どうか支援を受けて下さい、それはあなたの権利なのです、と諭すしかない。それはあなたの責任ではないのだから、と。
それでも拒むなら、厳父が子を殴り飛ばし、鼻っ柱を折るように接するしかない。
助けを求めない=潔い、と考えるのはこの場合は間違いだ。誰の助けも借りないのは、この場合傲慢でしかない。だから鼻っ柱を折るしかない。この認識を彼らも社会も共有しないと、彼らの命は削られるばかりだ。
Posted by ブクログ
自己責任論。
今の世の中に痛いほど響く声。
人生に失敗した人間が、どん底に落ちる。そのときに、落ちた責任がその人の無責任な行動にあることを理由に救済しないなら、それは人の世ではない。
私はそう思う。
たとえ無責任な行動の結果であっても、救済もせず放置する社会は間違っている。
なぜか言う理由はない。おそらく、困った人を助けるという単純な思いが人類の発展につながったという最近の研究成果とも関係ない。
ただ、私がそのように思うだけだ。
この本には三十代という私と同年代の人たちの苦境が描かれている。
これを読んで、この間読んだビックイッシューの挑戦にも同じようなシーンがあったのを思い出した。
それはイギリスのビックイッシュー代表者が日本に来たときに漏らした言葉だ。
なぜ彼らは暴動を起こさないのか?
おそらく、その答えは自分の置かれている状況は自分の責任で社会に責任がないと思っているからだろう。
誰にも迷惑をかけたくない。
そんな日本社会。
震災のときに、混乱せず整然としていることが美徳として世界に報じられた。
しかし、その美徳の裏にはこんな暗部がある。あの美徳を支えている感情と同じものが、どん底にあって救済を拒むのだ。
なかなか複雑な思いがする。
明日は我が身。
まったく、その通りだ。
今が平穏で、今まで努力をしていたから大丈夫などとなぜ思えるのか。私には理解出来ない。
努力が支えるものは明日の平穏ではないのに…。
個人の努力など自然の猛威や社会の波で一瞬に消え去るのに。
そんな経験を何度もしたからこそ、人間は助け合うことこそが生存と繁栄のために必要な力だと学んだはずなのに。
戦争を忘れたことを平和ぼけと言うらしいが、助け合うことを忘れるということはなにぼけと言えばいいのか?
助けて!
助ける!
このツーとカーこそが人類の基本であることを思い出してほしい。
これこそ、努力が紙のように軽い時代に、生き残った人類の知恵なのだ。
こんなことを書くと、必ずこういう人がいる。
無責任なことをやって、その後で安易に助けを求める奴が出てくる。
それなら、助け方を考え直せば良いのであって、助けることを否定してはいけない。
安易に助けを求められた方が助けるのも楽なのだ。
一部の特殊な例を持ち出して、救済が後手に回る社会を作るべきではない。
安易に助けを求める社会こそ構築すべきなのだ。
その方が、社会はより発展する。
社会の力というのは、そこに存在し活動する人間の総和以上にはなり得ないのだから。
Posted by ブクログ
北九州で餓死した39歳の男性。「たすけて」と書いたものの誰にも出せなかったその手紙の横で、冷たく横たわっていたこの男性の名は北原学(仮名)。彼の死をきっかけにして、助けを求められず困窮する30代の人々の現実を追ったルポ。
弱いものを救うことができる社会。これが"発展した社会"の定義だと個人的には思っている。弱いものと弱い"ふり"をするものの選別は必要だ。しかし、それは個別具体的でならないと思う。一般論で語ることは間違いなく必要だが、一般論では語れない人たちを切り捨てる社会であってはならない。そう思うのだ。
この本を読みながら迂闊にも泣いてしまった。正社員で実家暮らしだけど、一度転職しているし、上司とだって馬が合うとは言えない。この先どうなるかなんて予測できない。こんな自分を弱いと思うし、根性が必要だと思う。事情は違うがこの本に出てくる30代と大差なんてない気がする。すべては必然ではなく、偶然だという気もする。人に頼るのは弱いと、なんとなくそう思ってしまうけど、せめて同じ世代でなんとか現状を変えることはできないのだろうか。…なんだか思っていることの羅列になってしまったけれど。。。
一頃、生活保護の不正受給が問題になった。批判は強まり、なんだか生活保護を受給することがすべて悪だと言わんばかりの風潮になりかけている今、不正受給をした者の罪は相当に重い。
Posted by ブクログ
タイトルを見て、30代ではないですが、気持ちわかるな〜と思い購入しました。誰かに助けを求めるって、相当追い詰めらても踏み切れないことだと思います。それが家族であってもです。ただ、亡くなった方の気持ちを本当に思うのであれば、詮索せずにそっとしてあげるのが1番なんでしょうね。
Posted by ブクログ
「自己責任」という言葉が、どれだけ人を追い詰めるか。風邪をこじらせる前に治した方が早いように、もっと早く「助けて」が言えていたら、心の負担も少なく、お互い様と互いに助けられたのではないだろうかと考えさせられる。
また、家族を養わねばという気概はあれど妻子を残して失踪してしまう例もある。男が養わねばといって消えるくらいなら、二人で働いて子どもを育てようとシェアしたほうがずっと皆にとってよかっただろうに、とも思った。
Posted by ブクログ
30代のホームレスの見えなさ。働き盛りにあるという「常識」があるから問題は一層に隠れてしまっている。自己責任、自助努力だけではどうにもならないもの。