あらすじ
星新一から村上春樹まで――かくも愉しき装丁今昔
洗練と温かみを両立させたそのデザインの源泉は、
幅広い好奇心と書物への愛着。
依頼を受け、ゲラを読み、絵を描き、文字を配して、紙を選ぶ。
描き文字の工夫、レイアウトや配色の妙、
画材あれこれ、紙の質感にも心を配って、
一冊が出来上がるまでのプロセスを具体的に紹介。
数多の装丁を手がけた和田さんが、惜しみなく披露する本作りの話
〈電子版は和田さんの装丁をカラーで満載〉
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Posted by ブクログ
和田さんの語り口は謙虚で穏やか。そして責任を持って仕事をしてきたという誇りが随所に見てとれる。
その仕事ぶりは作家や編集者、イラストレーター、写真家の、自身ではない人の仕事を最大限に尊重する姿勢によって貫かれている。《ミドルマン》のお手本のような和田さんの、その語り口がガラッと変わるのは最後の章。書籍の流通のため半ば強制的に表4(カバー裏面)に印刷されることとなった二段組のバーコードについて。
デザインを学ぶ学生だった当時、その決定のプロセスに対して、またその美的感覚を無視した横暴に対して異を唱える人たちがいたことは、確かに記憶にある。しかし恥ずかしながら、和田さんがこんなに怒っていたことを、三十年以上経った今になって初めて知った。
和田さんの予見通り、さまざまな分野で技術革新は進んだ。音楽や映像における媒体は、消滅したわけではないものの、テープやディスクといった物質から、手持ちの端末を利用してデータで鑑賞することが普通になり、ジャケット的なものの役割・有り様は完全に変わった。
そう言われてみれば、しかし書籍のバーコードの形状にあの当時から大きな変更は無いと思うし、それを見直すという話も聞かない(と思う)。
問題意識を持つ人がいるならば、今なら目立たないように変えることも可能ではと思うが、出版社に当時を知る人が少なくなり、いま現場にいる人たちは、そのことが前提となった商品しか知らず、デザイナーもそれが当たり前になっていたら…。もしかしたら誰も疑問に思わないかもしれない。
昨今のあちこちで起きているさまざまな社会問題と根っこを同じくすることがこんなところにも、と暗澹たる気持ちで本を置くこととなってしまった。
ちょうど神奈川県立近代美術館の鎌倉別館で開かれていた《美しい本》の展覧会を見たことと合わせて、それが豪華本であろうと一般的な書店に並ぶものであろうと、さまざまな素材の複合体としての本の魅力というものを、改めて考えるきっかけとなった。(20230422)
Posted by ブクログ
デザインや絵を描くことは出来ないので、ワードとエクセルでもってチラシを作ったりするわけだが、文字情報としてだけならなんとか出来上がっても「もう少しカッコよく」という欲が出ると途端に詰まる。それが結構多くなって、製本をやり始めると、さらに中身に対して手も足も出ないのが悔しく悲しく…なんてボヤいていたら友人が貸してくれました。てゆうか私も見つけたんだけど、友人の方が先に見つけてました。負け。
和田誠さんによる装丁に関するあれこれ。
タイポグラフィとカリグラフィーの違いはなるほど目から鱗。タイポグラフィは文字を分解してくっつけてもバランスが取れるけど、カリグラフィーはバラバラにしたらチグハグになる。
読み終わって装丁を眺めてみて、内容が反映されている本が好き。
装丁が気に入っている本は『The Book』のハードカヴァー『はてしない物語』のあかがね色のハードカヴァー。ちゃんと読んでるなぁと感じる。
途中、馴染みのない作家さんや業界の昔の有名人とかが沢山出てきたのでちょっと身が入らなかったが、バーコード問題は目がカッと開いた。
邪魔だよね〜バーコード…
めちゃめちゃお世話になりまくってるけど、作品の完成度として、これさえなければなぁと思うことが多々ある。唐突に張り付けられた全く違う世界観に無理やりに目を慣らして来た。だって美しいスカートの後側の左臀部の上にバーコードが入ったら嫌だ。だけどデザイナーさんに相談せずに決めちゃったのか…
本という物体の装いについてとっても勉強になった。