【感想・ネタバレ】近代日本と軍部 1868-1945のレビュー

あらすじ

「近代理性の象徴」のはずであった組織はなぜ暴走したのか? 明治維新から太平洋戦争敗戦による崩壊まで、一人で描ききった超力作!

戦前日本の歴史とはある意味において、相次ぐ戦争の歴史でした。といって、日本が明治維新以来一貫して軍国主義路線を取っていたわけではありません。しかし結果として、後世の目から見るとそうみなさざるを得ないような「事実」の積み重なりがあることも、やはり否定することはできないでしょう。
では、このような「意図」と「結果」との大きな乖離は一体なぜ起こったのでしょうか。
明治憲法体制とは、極論すれば大急ぎで近代国家の体裁だけをこしらえた、「仮普請」にすぎませんでした。そのことは伊藤博文をはじめとする元勲たちもよくわきまえており、伊藤などは折を見て、より現状に即した形での憲法改正にも取り組むつもりでした。
著者によれば、明治憲法体制の改正が唯一可能だったのは、その起草者である伊藤が憲法改革に取り組もうとし、また軍部自体もその必要性を認めていた日清戦争後の時期しかなかったということです。しかし日露戦争での奇跡的な勝利により、この改革への機運は急速にしぼんでしまいました。またその後、桂太郎、児玉源太郎、宇垣一成、永田鉄山といった近代軍の「国家理性」を体現したリーダーたちがあるいは早世し、あるいは失脚し、暗殺されるという不運もありました。そしてついには軍が政治を呑み込み「国家」自体となるまでにいたります。東条英機が首相のまま複数の大臣を兼任し、さらには陸軍相、参謀総長を兼任するまでに至ったことは、まさにその象徴と言うことができるでしょう。
「仮普請」でしかなかったはずの明治憲法体制が、政治リーダーの世代交代を重ねるに従って「デフォルト」となり、次第に硬直化してゆく。当初、政治の軍事への介入を阻止するために設定されたはずの「統帥権」が逆に軍が政治をコントロールする道具になってしまったことなどは、それを象徴する事例でしょう。組織としての宿命とはいえ、改革の機を逸した代償はあまりにも大きかったとやはり言わざるを得ません。
本書では、歴史を後付けではなく、極力「リアルタイム」で見ることを目指し、近代日本最大のパラドクスである「軍部」の存在の謎に迫ります。

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Posted by ブクログ

ミャンマーの状況を見てるうちに国と軍の関係ってどうなのか…つまり軍って国の中では圧倒的に力を持っているはずでどこの国でも簡単に軍に支配されてしまうのではと思い…言わばリファレンスとして我が国の軍の成り立ちと政治との関係を知りたいと思ったので手に取ってみた。しかしこれは労作。明治維新で日本軍ができてから太平洋戦争敗戦で解体されるまでの政治と軍との関係を丹念に書き切っている。ほぼ一年毎に何があったかを書いてあるような形式なので正直ちょっと退屈になる部分や小説ではないので盛り上がりに欠ける部分はあるのだが近代日本の政治中央がどのように発展したのか、が分かる形になっている。元々は維新の勝利者である薩長の武士団を中心とした日本軍が徴兵によるあまねく国民が参加する軍へと変貌を遂げる経緯、名高い長州の奇兵隊が暴力的に解体されたことも知らなかったし、それ故に地元の武士団との柵が薄まった長州出身者が軍の中枢を担っていった、ということが意外だった。そして何より評価が変わったのは言わば藩閥政治の権化で権力を悪どく握っていたと個人的に理解していた山縣有朋が、軍を政治から分離させることに心を砕いていた、ということかな。一般的には日露戦争で慢心した帝国陸軍が日本を戦争に巻き込んだ挙句、破滅に導いた、と説明されることが多いように思うのだけど実態はかなり乖離していてそもそも清国にめちゃくちゃな要求を突きつけて国際的な孤立を招いた大元は世論とそれに乗っかったポピュリストの大隈であったとか、元々陸軍は大陸への派兵に消極的であったとか知らなかったことが多く参考になった。植民地とそこに駐留する軍は必ずおかしなことになるので、という元々の陸軍の懸念が結果的に満洲国と関東軍という形で的中してしまうところがなんとも皮肉。諸々大変参考になりかつ興味深い作品でした。

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2021年04月20日

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