【感想・ネタバレ】「土地と財産」で読み解く日本史のレビュー

あらすじ

元国税調査官が、「大化の改新」以降の土地と財産の歴史にガサ入れ! 日本の「土地と財産」の歴史は、ほかの地域に比べてかなり変わったものである。日本では古来、大資産家や豪族の持つ広大な土地、財産を没収し、国民に分け与えるということを幾度も行ってきた。中世以降、土地や財産の一極集中はあまり進まず、近代にいたるまで貧富の差はそれほど大きくならなかった。江戸時代の農村などでは、農地を村全体の共有財産としているような地域もあったのだ。本書では「班田収授の法」や地租改正などの世界史上まれにみる土地制度の変遷をたどり、日本の本質に迫る。 ●蘇我氏暗殺は「土地の国有化」のため ●大地主だった中世の寺社 ●信長が「直轄領」をほとんど持たなかった理由 ●明智光秀の「本能寺の変」の一因は、信長独特の領地政策にあった ●徳川家康は“史上最大の資産家”だった ●事実上の農地解放だった“地租改正” ●中途半端な土地規制がバブル崩壊を招く

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Posted by ブクログ

国税調査官を歴任された大村氏による本で、最近ネットで見つけたのですがコロナ前の2019年に発刊された本です。タイトルを見ただけて買ってしまいました。

日本の土地の所有制度が、政治形態(中央集権制、封建制)によって大きく変化してきたことがよくわかりました。なぜ江戸幕府が他の幕府(鎌倉、室町)と比べて長く続いたのかも解説されていました。明治維新の時に行われた一連の改革のうちで「地租改正」は革命的なものであったのですね。

以下は気になったポイントです。

・日本史上 土地の知的所有を認めなかった政権というのは、大化の改新後の大和政権だけである(p16)

・ 日本が支配していた朝鮮半島の 任那地域は、 今の韓国の半分ぐらいを占めていた国葬地帯であった、 新羅の支配下に取り込まれたこともあったが、 新羅 から 兆候を受けることを条件に 日本が新羅に 下賜した という形になっており 日本の影響力は維持していた、 また 百済も日本に調光しており 古代 日本は、百済・ 新羅を半ば 臣従させていた(p19)

・大家の改新後は田を与えられ、収穫の3%程度の税を払えばそれ以外の収穫は自分のものになった。 これは以前の豪族の搾取に比べればはるかに楽であったので生活は安定し 労働力も増した(p35)

・唐と新羅の連合軍が、日本と同盟を組んでいた 百済に進撃した、 百済は崩壊し 百済の残党たちは日本に救済 要請をした、そこで 日本・ 百済の連合軍と、唐・新羅の連合軍が白村江において激突した (p37) この戦いに敗れたので 朝鮮半島から鉄鉱石の輸入ができなくなり、 奈良時代の後期から砂鉄のみが用いられるようになった(p39)

・ 荘園は奈良時代後半から平安時代に急速に増殖し、朝廷政権の崩壊の一因となってしまう。荘園の始まりは朝廷の財源不足であった。 朝廷としては、民が自発的に新しい 田を開拓 するように仕向けるため、 723年に三世一身の法を出した。735-737年には天然痘だ大流行し、当時の2割以上の100万人が死亡した、この打開策として時の聖武天皇は神仏に求めた。日本中に、国分寺・国分尼寺を作り、743年には東大寺の大仏造立を決定した。その財源として考え出されたのが「墾田永年私財法」であった(p43)

・ 戸籍の作成が曖昧になっていく 9世紀中頃から、 国司の権限が非常に大きくなった、 明確な 戸籍がないので 徴税額などが 国試の判断で決められるようになっていった(p54) 10世紀になると 班田はほぼ 行われなくなり、律令で決められた 徴兵が難しくなってきた、 徴兵のやり方も 国司に任されるようになった、そのため 国司は その地域の豪族などを手なずけて 兵力として確保するようになった (p59)

・平清盛の頃、日宋貿易が盛んで、当時の 敦賀港は、 博多 に次ぐ日宋貿易の拠点であった、 そして 清盛は 博多よりもはるかに京都に近い「兵庫」に貿易拠点となる 大和田泊(神戸港)を整備した(p65)

・旧来の国家 システムでは群を動員したり 戦争を指揮するのは 朝廷であり、勲功も 朝廷が行うものであった、源頼朝はこのルールを変えて、自分が武士団を管理統括し、朝廷は武士団のことには口が出せないようにした、武家を朝廷から切り離すことで朝廷の影響力を排除した、朝廷の持っていた「徴税権・軍事権・警察権・守護地頭を置く権利など」を獲得した(p68)

・源頼朝は 各武家が朝廷と直接接触することを禁じていた、武家が朝廷に取り込まれてしまえば 武士団による新政権という思想が根本から崩れてしまうしからだ。 この大事な大前提を弟の義経が崩してしまったのである(p70)

・鎌倉幕府の財源は、 直轄管理している土地から得られる 税と、貿易による完全などに過ぎなかった。 鎌倉幕府には2つの種類の領地があった、1つは「 関東御 分国」と呼ばれるもので、 御家人などを 国司に任命し、国衙( 地方役所)を通じてその地域を統治するというものである。 駿河・ 武蔵・ 相模・ 越後が対象で、 時期によっては、 遠江・ 伊豆も入った。 もう一つは「 関東御領」 と呼ばれるもので 鎌倉幕府の直轄地である、 1184年に源頼朝は朝廷から 平氏一族の旧領500箇所を与えられた。鎌倉幕府というのは 関東を中心とした数カ国を統治していたに過ぎず、 日本全体は 各地域の豪族が統治していた(p73)

・応仁の乱 当時の静止の不安定さの要因は、室町幕府の直轄領の少なさと 財政力の弱さにあった、武家政権である鎌倉幕府の直轄領は少なかったが、 室町幕府は さらに少なかった、 大目に見積もっても200万石 程度であった(p78)

・ 日野富子が溜め込んだとされる 7万貫という 銭は 現代 貨幣価値にして40億円以上とされる、 これは個人としての貯蓄であれば確かに大きいが幕府の資産と見た場合全く大した金額ではない。 例えば 上杉謙信は、 柏崎・ 直江津の2つの港からの関税収入だけで年間4万貫あった(p85)

・紀伊の国(和歌山県)では、 水田面積の9割程度が寺社の領地だったとされる、大和の国(奈良県)では、 興福寺・ 東大寺・多武峰・高野山 ・金峯山領でない土地はないほどであった(p93)

・実は 織田信長は大胆な農地改革をし、 領民に対して「 大減税」を行っている。信長は周囲の勢力と戦いながら版図を急激に広げていった、 領民の支持を得られなければ スムーズな領土拡大ができない。 信長が天下統一 事業を急速に進められたのは、 自国の統治が他の大名に比べてうまくいっていたからに他ならない (p105)

・残された記録から見れば 織田信長は征夷大将軍ではなく、太政大臣(朝廷で政権を担当)になっていたのである(p111) 信長は「 中央政権が日本全国を統治する」という形に戻そうとしていた(116)

・ 徳川家康の直轄領は豊臣秀吉の 220万石 程度と異なり、 大坂の陣以降は400万石、 徳川家勢力 全体では800万石 あった (p149)

・明治時代になって 地租改正のために全国の農地が計測された、江戸時代の記録では日本全国の収穫量は3222万であったが、実は4684万石あったことがわかった(p177)

・戊辰戦争で勝った 明治政府は合計860万石の直轄地を持ったが じゃんけんは全く足りない、 中央集権 政権として 全国から 税を徴収したかったので、 廃藩置県をしようという動きが出てきた(p190)

2026年5月3日読破
2026年5月4日作成

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2026年05月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

元国税調査官の書いた土地と財産の扱い方の歴史解釈。今までは、領収証の話など仕事上の知見を生かした本が中心だったようだが、今回のこれは、日本人の土地の捉え方に関する画期的な著作。

要は、テーマ別日本史なのだが、元国税調査官が、徴税の歴史を振り返ったところに、オリジナルの視点がある。

結局、土地と財産の関係は、為政者と民の間の関係と言える。
土地は、国有か私有か
財産を、国はどう取り上げるか。

政権が、どれくらい中央集権的かによって上記が決まってくるが、実は、大和朝廷が、その意味で最も際立ったこと、つまり土地の私的所有の禁止を行ったというのは、興味深い。

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2020年09月21日

Posted by ブクログ

土地とお金で歴史を読み解くと新しい視座が見えてくる。
聖徳太子の大化の改新、平家と源氏の攻防、応仁の乱などなど
歴史の転換点に人、モノ、金の流れがどのように変わっていったのか、大変興味深い視点で一気に読んでしまった。
最後に現代の日本の税氏に関しても、元国税調査官という筆者の経歴から示唆に富む文章が心に響いた。

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2020年04月18日

Posted by ブクログ

お金という視点で歴史をみると、今までの歴史と少し違ったイメージを持った。もっと早く出逢っていたら、もっと歴史の魅力や多面的な見方で、自身の学びを深めれたかもしれない。
現代では、価値あるものとして定着しているお金。でも、紙切れ1つに、現代のような価値観をもたせるまでには、壮絶な物語があったんだなあと改めて思った。
大人が優しく噛み砕いて、紹介できたら、子どもももっと社会が好きになっていくのではないか、そんなことを考えさせられた一冊でした。

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2020年04月05日

Posted by ブクログ

土地の所有という観点から日本史を読み解いた本。通史とするために「土地と財産」としたのだと思うが、近世までは財産=土地であろうし、近代以降の土地と切り離された財産の記述は通り一遍な内容である。
本書全体の内容もそんなに目新しいアイデアがあるわけではなさそうだし、一般向けの入門書である事をいいことに記述の信頼性も今ひとつである様に思う。そうは言いつつも土地の所有という観点から日本史を通史的に記述するという試みは面白いし一読の価値はある。
その中でも、「江戸幕府の領地の広さが250年の平和をもたらした」という考え方は刮目に値しよう。
ヤマト政権は班田収受により、すべての土地を国有のものとしたが、自然災害、伝染病といった要因は班田収受を支える人口を削り、墾田永年私財法は富の偏在を許すこととなる。
頼朝は武士による支配を既得権益化したが、直轄領地の少なさが財政基盤を脆弱にし、日本全土を納めるだけの軍事力を持つことを出来なかった。鎌倉幕府に続く室町幕府同様であった。戦国の覇者織田信長はヤマト政権当時の中央集権制度の復活を目指したが、道半ばに倒れる。跡を継いだ秀吉は大判振る舞いで天下統一を成し遂げたが,そのために直轄地を多く持てなかった。最終的に家康が棚ぼた式に領地を増やし、それにより250年の平和をもたらしたのである。
現代の財産は直接土地と結びつくものでも無いのであるが、国の力は結局は土地の広さとそこからくる人口の多さに集約される。中国が領土に執着するのもそのためではなかろうか。

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2021年04月04日

Posted by ブクログ

通史を分かりやすく把握するために、土地の所有者の観点から切り込む角度は、新鮮だった。特に古代と明治時代の内容が分かりやすかった。各時代の土地と税の移り変わりを理解すると、政治のしくみや、権力者が誰なのかがハッキリしてくる。他国との比較分析があれば、なおよかったと思う。

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2020年03月27日

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