あらすじ
『タテ社会の人間関係』著者の最新刊!
現代新書既刊3部作『タテ社会の人間関係』『適応の条件』『タテ社会の力学』累計170万部超のベストセラーシリーズ第4弾!
長時間労働をもたらす小集団の封鎖性。
非正規・正規雇用問題と「ステイタス・コンシャス」。
家族という小集団が招く家庭内虐待問題。
「場」の序列意識から生まれる新参者へのいじめ。
タテ社会のなかの女性の社会進出……
「資格よりも場」「序列意識」「ウチとソト」など、日本社会独自の構造を鮮やかに解き明かした「タテ」の理論。現代日本の抱える問題を「タテ」の理論を使って読み解く52年目の続編。
終身雇用制が崩れても、なぜ先輩・後輩の関係は変わらないのか?
日本の組織で上司の上司に告げ口をするのが許されない理由とは?
なぜ序列の意識なしに席に着くこともできないのか?
『タテ社会の人間関係』から50年超、著者がいま感じることとは?
現代社会と向かい合うための、「タテ社会」入門書!
「失われた二〇年」などと言われるように、低成長の時代が長年つづき、新卒一括採用から定年まで、すなわち入り口から出口まで面倒を見るという日本型経営がかたちを変えつつある、と報じられている。しかし、年功序列のようなものが薄らいだとしても、タテのシステムは残るところに残る。その大きなものが、先輩・後輩の関係である。最近の若者は自由になったといわれるが、学校において上級生、下級生の区別はなくならない。親分・子分の関係が薄らいでも、その要素がなくなっていないのと同じように、会社における先輩、後輩の関係はなくならないだろう。――「プロローグ」より
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Posted by ブクログ
本書の本筋ではないが、結婚した男女と生家との関係の分類が興味深い。
日本が男系でも女系でもないことを明確に示している。
筆者によれば、祖先崇拝も感情的つながりを重視する日本ならではの慣習らしい。
Posted by ブクログ
日本に強く根付いている、先輩と後輩、上司と部下の関係、集団で行動する傾向について書かれていました。
集団の封鎖性からその集団でしか生活できないと考えてしまい、結果自殺へ繋がることも問題視されていると述べられていました。
また、日本では同じ「場」を共有することを重要視し、年功序列のようなその「場」に居た長さで集団内の階級が位置づけられていました。
今では年功序列などの廃止を進める企業もありますが、タテのシステムつまり先輩と後輩などの関係はなくならないと語られています。
Posted by ブクログ
まちライブラリーの女性スタッフに勧められたまちライブラリーにあった本です。
まえがき
プロローグ 日本の先輩・後輩関係
第1章 タテの関係とは?
第2章 タテ社会の「いま」
第3章 「タテ」の発見
第4章 これからのタテ社会
エピローグ 場は一つとは限らない
付録 日本的社会構造の発見――単一社会の理論 1964年中央公論
1序論
2資格と場による集団構成
場を強調する日本社会
3集団成員による全面的参加
集団の結束と孤立を招く一体感の強調
地域的で接触的な人間関係
4「タテ」組織による人間関係
「タテ」の関係 序列の発達 対立でなく並立の関係
5集団内部の構造
基本構造 契約精神の欠如 リーダー(親分)の資格
6「タテ」組織の功罪 人間平等主義
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
という内容でした。
1964年に発表された理論で、現代日本社会に生起する日本社会独特な諸問題を分析説明できるって、すばらしいことだと思いました。
先生が西洋社会科学のものさしでなく、若い頃世界各各地で経験したことから編み出した独自の理論、面白かったです。
Posted by ブクログ
名著『タテ社会の人間関係』を著者自らが解説し、さらにその理論を現代日本が抱える問題に適用することを試みた本。
『日本的社会構造の発見 単一社会(ユニラテラレル・ソサエティ)の理論』附録。
以下、『タテ社会の人間関係』の内容整理。
日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。
本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つ。
①日本社会における集団意識では「場」が優先される
② 日本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する
③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される
①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。
「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。
これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。
日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。
日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすい。
そのために、日本のグループはしらずしらず強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。
結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。
さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。
つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。
これが②の主張に該当する。
「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。
これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。
理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。
「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。
この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって精緻な序列が形成される。
例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。
これが3番目の主張になる。
本著の内容はこれらの理論をよりコンパクトに、より分かりやすくまとめたものなので、原著よりも理解にやさしいと感じた。
本著はさらにこの理論を現代の日本が抱える課題に当て嵌めて、構造的にどのような点を改善するべきかを説いている。
一例として、日本的小集団が高い閉鎖性・封鎖性を持つために、定年後の老人がコミュニティから切り離されて孤独になってしまうという問題がある。
これに対して、著者は意図的に会社(家庭)とは別の居場所を持っておくことが重要だとする。つまり、「所属単一性(unity)」の緩和である。
また、会社であれば異動を増やすことで小集団の流動性を高めることも対策として提言される。
著者は、冒頭、50年前の「タテ社会」理論を現代に当てはめるにおいて、根本的に理論を修正する必要はないと述べている。
私も同じように思う。
日本社会が変容し、その特色が薄くなっているとはいえ、本書の理論が指摘する本質的な部分は変わっていない。故に日本社会、あるいは日本的組織の理解の一助となる良書であると思う。
Posted by ブクログ
学生時代の国語で読むくらいだったが、監査系雑誌で紹介されてたので、読んでみた。
古典となった、タテ社会の人間関係読むよりも手っ取り早いのだろうけど…
それにしてもいまも同じ、たいして変わらんと思う事象が並んでることに驚きもある。
Posted by ブクログ
会社における人間関係の複雑さ、意思決定の遅さ、イノベーションの少なさなど、日本の会社の問題点はいくつか挙げられる。
その原因の一つが、タテ社会における「感情の結びつきの強さ」にあると感じる。
タテ社会の良さももちろんあるが、少子化が進み、一層国際化が進む日本において、タテ社会のままでは国際社会から取り残される気がする。
本書の付録にもあるが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の感情を持たないようにする事を心掛けたい。
Posted by ブクログ
社会集団構成の要因を「場」と「資格」の2つと捉え、それぞれの内部メカニズムを分析することで、こと日本におけるタテ社会の人間関係を描写した1冊。
特に印象的だったのは前述の2つの概念整理に加え、会社内における序列意識の一節(原文は下記)。日本社会は場を重んじる社会集団であり、大きくその特徴として①序列意識(年長者など)②集団内のエモーショナルな結びつきの2つが挙げられる。
これらを背景とした際、重視すべきは自分個人の能力ではなく、集団内における自己の立ち位置や結びつきであり、故に下記のようにどこまでいっても「オレだって」という不公平感が拭えないのだと理解できる。他国と明確な比較を行なったことはないが、この企業内における意識は実感とも通ずる部分があり、故に能力主義のインストールが困難であるのだと認識するに至った。
「筆者のみるところ、日本人の「オレだって」という意識はまったく世界に類例をみないほど強く、自己に対する客観性をミニマムにしている」(p.73)