あらすじ
ニイチェが「神が死んだ」と予言した現代は、従来の価値体系が崩壊し、思想史の上でもルネサンスの時代に比すべき大きな転換期をむかえている。そのなかでフッサール、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロースら現代の哲学者たちが、心理学や言語学、人類学などの人間諸科学と交流しながら追求する哲学の新しい方向とは何か。そして彼らが負った共通の課題とは……。人間の存在を問う現代哲学の書。
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Posted by ブクログ
反哲学入門の続きのような感覚で読み始めたけど、ちょっと趣が違う。哲学に限らず20世紀の学問・思想の限界(理性の崩壊)から話が始まり、そこを突破するための存在論・認識論の新しい地平、生理学などの力を統合し進む現象学中心の展開を見る。後半マルクス主義の潮流あたりは特に難しくてあんまり読めていないなと思う。
自分にとっての「体」の持つ意味、心と体の分かちがたく結びつく様、世界内存在としての企投の場であるということを検討してからの言葉の検討、言葉とは思考のからだであるという流れがとても美しく、頭の中で強く広く響く。今まで持っていた言葉への違和感がするする解き明かされていくようで気持ち良かった。
鶏のエサ実験や失語症や色名健忘の話が面白かった。私は相貌失認とそれに関連してひどい方向音痴なのだが、これを読んで相貌失認はおそらく記憶の問題ではなくて鶏のエサ認識のように対象の差異を相対的に細かく認識する機能の欠陥なのではないかと感じる。
方向音痴も色名健忘の「障害によって侵されているのは、判断力であるよりは、むしろ判断力の生まれてくる地盤であり、……つまりそこに何らかの意図を造形するわれわれの能力なのである」という部分は非常に大きな気付きになった。
地図上で目の前の建物がどこにあるか分かり、地図上でどう進めば目的地へ着けるか分かるのに、目の前のどの道路をどちらへ進めばいいかは何分考えても分からないという自分の感覚は「頭がおかしい」という言葉でしか認識できていなかったが、そういうことなのかと腑に落ちてすっきりした。
欠けているのは理解ではなく要素をシンボル化し利用する「ベクトル」であるということがチンパンジーのところでも書いてあったが、左右盲だとかこうした細々した困りごとはたぶん頭の根っこでつながっているのだろう。
哲学の本でこの辺りのことに大きな収穫があるのは思いがけない嬉しいプレゼントだったけれど、たぶんもっと読めばさらに得られるものがあるだろうと思うので、また読みたい。