あらすじ
ヤマト「宅急便の父」が胸に秘めていた思い。
2005年6月に亡くなったヤマト運輸元社長・小倉昌男。
「宅急便」の生みの親であり、ビジネス界不朽のロングセラー『小倉昌男 経営学』の著者として知られる名経営者は、現役引退後、私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を創設、障害者福祉に晩年を捧げた。しかし、なぜ多額の私財を投じたのか、その理由は何も語られていなかった。取材を進めると、小倉は現役時代から「ある問題」で葛藤を抱え、それが福祉事業に乗り出した背景にあったことがわかってきた――。
著者は丹念な取材で、これまで全く描かれてこなかった伝説の経営者の人物像に迫った。驚きのラストまで、息をつかせない展開。
※本書は過去に単行本版として配信された『小倉昌男 祈りと経営~ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの~』の文庫版です。
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Posted by ブクログ
小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの 単行本 – 2016/1/25
人間というものは私生活も含めあらゆる角度から見ないと本来の姿は見えてこない
2017年8月26日記述
森健氏による著作。
2016年1月30日初版第1刷発行。
森 健(もり・けん)
1968年1月29日、東京都生まれ。ジャーナリスト。
神奈川県相模原市で育つ。1992年早稲田大学法学部卒業。
在学中の1990年からライター活動をはじめ、
科学雑誌、 経済誌、総合誌で専属記者を経て、1996年フリーランスに。
2012年、『「つなみ」の子どもたち』(文藝春秋)と
『つなみ 被災地の子ども80人の作文集』(企画編集、文藝春秋)で第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
2015年、『小倉昌男 祈りと経営』で第22回小学館ノンフィクション大賞の「大賞」を受賞。
ヤマト運輸2代目社長であった小倉昌男氏についての本。
2005年6月30日に亡くなった。
しかし亡くなった場所がアメリカのLA。
その点に疑問があったこと。
もうひとつは小倉氏が経営者引退後にはじめた福祉事業はどのような背景、思いがあってのことなのか不明確であった点に関心を持ち調査しだしたことだ。
実際にヤマト運輸の経営者時代に障害者福祉の活動をしていた形跡はなかった。
またそこから分かったことは小倉氏の率直さ、信仰、愛といったものを感じずにはいられなかった。
また人間というものは私生活も含めあらゆる角度から
見ないと本来の姿は見えてこないのだということを痛感した。
小倉氏本人の著作からヤマトに関する書籍などは多い。
ただ小倉の私生活面にスポットをあてた本はなかった。
小倉氏をよく知る人物たちへのインタビュー。
岡本和宏氏(1966年入社)
高田三省氏
伊野武幸氏(ヤマト福祉財団常務理事)
藤井克徳氏(社会福祉法人きょうされんの常務理事)
小林敬三氏(元カトリック麻生教会司祭)
娘の真理氏、息子の康嗣氏へのインタビュー。
大変興味深い。当時の小倉氏の悩みは相当のものだったろう。
小倉氏は1980年代各地方を訪ねているが、特に北海道は頻繁に訪れていた。しばしば妻の玲子氏を帯同。
妻の旅費は必ず自費を用意し会社にもたせることがなかったという。
(本書内では何気ない一節ではある。しかし極めて重要な点だ。この部分だけでも小倉氏がまともな人間であることを痛感する)
娘の真理氏の精神的な病。
そして妻の玲子氏も周囲、親族からの責めによって
精神的に病んでいた。
小倉の父・康臣から嫌われていたうえ、康臣の3人目の妻からもしばしばいじめられていた。
玲子は当時では珍しく高学歴の女性で、(聖心女子大学卒)
人に媚びない淡々とした性格だった。
そうした所が養父の康臣やその妻には不評だったのである。
当時の真理氏の破天荒な振る舞いが周囲で取り沙汰される。
それに伴い娘を教育できていないと苦言をしばしば受ける。
真理氏は1990年1月元米海軍のダウニイ氏と結婚。
まもなく子供も生まれた。
(1996年までに4人の子供が生まれた)
小倉氏は死期を悟り無理を押してアメリカの真理氏の元へ
そこには真理氏の面倒をみようとする親の愛であった。
福祉財団を立ち上げた背景には妻、娘の精神の病と
向き合うことになったことがある。
その娘の真理氏も身体に合う薬もあって病を克服し
本来の自分を取り戻せたことは何よりの結果である。