あらすじ
敗戦から高度成長期にかけて、デジタル産業の黎明期に、常に世界の最先端を突っ走ったスーパー・サラリーマンがいた。シャープの技術トップとして、トランジスタからLSI、液晶パネルと当時のハイテクを導入して苛烈な「電卓戦争」を勝ち抜き、電子立国・日本の礎を築いた佐々木正。インテル創業者が頼り、ジョブズが憧れ、孫正義を見出し、サムスンを救った「伝説の技術者」の痛快評伝。(解説・孫正義)
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
そうなんだスティーブ。
人類の進歩の前に、企業の利益など、いかほどの意味もないのだ。小さなことにこだわらず、人類の進歩に尽くすのが、我々、技術者の使命なんだ。
これ、最高に好きなフレーズ
Posted by ブクログ
シャープ技術担当専務→副社長の佐々木力さんについての本。
カシオとの電卓戦争でシャープの陣頭指揮を執り、のちに電子工学の父とも呼ばれた人物。
戦時中の殺人電波の研究、電卓戦争の話、アポロ計画に携わりロケットササキと呼ばれるまでになった話、孫正義やジョブズとのエピソード、内容が濃くて面白かった。
以下は備忘録がてらメモ。
アスキー創業者でパソコンの天才と呼ばれた、西和彦さんから、
カリフォルニア大学バークレー校に面白い日本人がいると聞き、のちのソフトバンク孫正義に会いに来た。
その際、スティーブ・ジョブズにも出会った。
早川電機(現シャープ)に移籍して2年した際、電卓「CS-31A」を35万円で製造出来るようになったが、
まだ乗用車一台分の値段で、これよりいかに安くしたら良いか模索していた。
その時、新工場が出来、独身寮は既にあったが、それでも人が足りずに、家族持ちも採用出来るよう家族寮を建てるための図面を総務が持って来た、
それを見て、IC回路と似通っていることに着想を得て、MOSという新しいタイプの半導体を使えば出来ることに気がついた。
ただ、それは開発されたアメリカでも使い物にならず埃をかぶっていたもので、扱いにくく量産は無理と言われていた。
そこで逓信省の人を熱心に説得し、メーカーが生産できるなら良いと承諾を得た。
そしてメーカー側は日立、三菱電機、日本電気、東芝などなど、どこもどうなるか分からない技術に設備投資出来ないと断られた。
だが、継続してアプローチを続けた結果、三菱電機の担当役員を口説き落とした。
ただ、半導体の第一人者である教授の入れ知恵で、社長ストップがかかってしまい、早川電機は予算を取っているのに日本の半導体メーカーを口説き落とせなかった。
そのため佐々木さんはアメリカのメーカーをなんとかして見つけようとした。