あらすじ
修験道に目を向ける人が増えている。彼らはなぜ山に惹きつけられるのか。修験者として山中を歩くと何が見えてくるのか。そもそも日本の信仰は自然とどう関わってきたのか。日本仏教の源流とは――。修験を代表する実践者であり理論家でもある二人の高僧と「里の思想家」内山節が、日本古来の山岳信仰の歴史と現在を語り尽くす。
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Posted by ブクログ
内田樹先生と藤田一照老師の対談の中で、行という取り組み方の説明があった。その中で、人間のあらゆる行動は、行となりうるという説明の中で、科学という探究活動も行となり得るという発言があった。
自我を去り、比較や被査定の次元を離れて、未知に向かって道をあゆむこと。歩み方としては、言葉やテクニックから入るのではなく、五感を使って身体的に、呼吸も含めて、師匠を真似て肉薄するという、修行をすること。それにより、調い、人ならざる大悟や強さにつながる。
そんな話があった。
全てが行として実践し調え得るのであれば、人と人の関係や、チームビルディング、商売などの営利活動、ひいては自然と共存する社会のあり方にも、行としての活動の仕方があるのではなかろうか。
行として、
ネイティブ・アメリカンや里山、先住民の自然観、それらを守るセイフガードなどの社会のあり方、
個人として自然と向き合い調和する山伏の生活、禅的自然の生き方、
をもっと深めていきたいとおもう。
この本も、上の様な意識から読んだ。
対談を通してわかりやすく歴史や態度について、学ぶことができる
Posted by ブクログ
太古から受け継がれてきた信仰を生み出した風土と結ばれて、日本の大乗仏教は成立する。
仏教に共通するものがあるとすれば、「自己否定」というところでしょう。
自分はどうでもいい存在として生きていることに気づき、そのような存在の在り方を楽しむ。
Posted by ブクログ
修験のお坊様2人と内山節の鼎談。修験の歴史とかも。女性受け入れをどうするのかとか、今どきの話も出てくる。縄文的なものとしての修験というのは最近の流行りなのかな。